95.かけがえのない光景
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振り下ろされた木剣を、足捌きだけで避ける。
距離は見誤らない。
目の前のガル兄は、そのまま踏み込みながら、斬り上げに移行する。
その剣の軌道に己の木剣を合わせ、横に払う。
上体の崩れたガル兄へ、素早く腹を薙ぐ――が、後方へと大きく跳んだガル兄には当たらない。俺の木剣は空を斬っただけだ。
前に進むのは、今度はこちらの番だ。
足が土に力を加え、体を前へと進める。速度は全速力だ。肉薄した速度を乗せて、ガル兄の肩へ向け、木剣を打ち込む。
「ちょ!」
体勢を立て直そうとしたガル兄は、俺の一撃を上体をそらし、回避する――が、さらに崩れた体勢を見逃しはしない。
勢いそのままに、ガル兄の腕を掴み、振り回す。軸足を中心に半回転。
「ぬわぁぁ」
芝生へ放り投げたその背中へと、木剣を――「参った」――打ち込むのを止めた。
「ありがとうございました」
「今日は、一勝一敗か」
早く起きたので木剣を振っていたら、ガル兄が現れた。
なのでシャーリーを待つまでの間、打ち合いに付き合って貰っていたのだ。
一戦目は、剣を打ち合っていたら、軽く剣を弾き飛ばされ、負けた。
二戦目は、勝てたが、今のは身体能力に物を言わせた勝ちだ。
俺の剣の腕は、まだまだガル兄に及ばない。
「さっきの一撃、やけに気合入ってたじゃないか」
「バルザックさんっていう冒険者の戦いを見たからね。俺も、もっと鍛えないと」
「お前、自分が魔術師だって忘れてないよな」
「忘れる訳ないって」
変なことを言うガル兄だ。
魔術師だって、近接戦闘能力が必要なのは当たり前だ。
その事を伝える前に、元気な声が聞こえてきた。
「お疲れ、お兄ちゃん。ガランサさんも」
「おはよう、シャーリー」
「おう、シャーリー。この間は、マルク連れ出して悪かった」
芝生を払って立ち上がったガル兄が、シャーリーに頭を下げた。
相変わらず律儀な人だ。
「お兄ちゃんがあっちこっち行くのは、いつもの事だから」
「お詫びに、朝飯も買ってきたから、二人で食べてくれ」
笑顔で話していたシャーリーが、露骨に嫌そうな顔をした。
自分の持ってきた食材が、無駄になるのが嫌なのだろう。足が早いからな。
「俺は、シャーリーの朝食を食べるよ。ガル兄のは、後でいいさ」
「持ってきた俺への礼節ってのは、無いのかよ」
「とりあえず二人とも、中、入ろう」
三人で屋敷の中へと戻る。っと、シャーリーに言わねばならないことが。
「シャーリー。テラさん、今日もうちに泊めてるから」
「うん、わかった。食事どうしようか?」
シャーリーの顔は、笑顔になっている。テラさんには、良い感情を持っているようだ。
だが、しばらく滞在することを伝えたら、どうなるのだろうか?
予想がつかない。
「食事が出ないのは言ってるから、別にいいよ。昼まで寝てるかも知れないし」
「へぇ。マルクにも、家に泊めるような知り合いがいたんだな」
ガル兄が興味深そうに俺を見ている。まぁ、その感想はよくわかる。
俺自身も、家に泊めるような人物と出会うとは、思ってもいなかったのだから。
三人で食堂へと向かうと、既に起きて、水を飲んでいるテラさんがいた。
ふわりとした銀の髪はそのままだが、目尻と耳がトロンと垂れている。
「「おはよう」」
「マルクや。シャーリーも、おはよう。二人は早起きさんじゃのぅ。して、後ろの男は?」
「俺の幼馴染のガランサ。父さんの唯一の弟子だよ」
「おぉ。セツナの弟子か。あ奴も自身の剣を、伝えようとしていたのじゃな」
テラさんと会話をしていると、彼女のトロンとしていた顔が、少しずつ優しい微笑みへと変わっていった。
「初めまして、ガランサです。マルクがお世話になっているようで。ありがとうございます」
「テッラリッカじゃ。セツナの弟子なら『テラさん』と呼んでよいぞ」
「はい、テラさん。では少しマルクをお借りしますね」
そしてガル兄に引っ張られて、俺は、台所へと連れ込まれた。
「彼女作れって言ったけどな。シャーリーが毎日通ってる屋敷に、連れ込む奴があるか! 何考えてんだお前!」
奥に進んだ瞬間、ガル兄が捲し立ててきた。
結構な剣幕だ。胸倉まで掴んでいる。
服が伸びるから止めて欲しいし、それに勘違いまでしている。
「ガル兄の考えてるような関係じゃないよ」
「どっちがだ! テラさんか? シャーリーか?」
「テラさんの方」
ガル兄は、俺から手を放す。その顔も、すぅっと赤みが引いていった。
「そうなのか?」
「むしろ関係で言えば、母さんや父さんの友達だった人だよ」
「あぁ、師匠のこと言ってたな……あの人って、何歳だ?」
「さぁ? どうでもいいでしょ、それ」
あっ、ガル兄の表情筋が死んだ。
その顔は、どこか諦めた風に感じる。
「うん。お前は変わらないな……少し安心したよ」
「安心したなら、それなりの顔をしようよ」
ガル兄が、静かに首を横に振っている。そして、ガル兄から言葉が消えた。
このまま黙ったままのガル兄と台所にいても、シャーリーの邪魔になるだけだ。
「とりあえず、戻ろうか」
頷いたガル兄を連れて、食堂へと戻ると、シャーリーとテラさんが、和やかにお喋りしていた。こっちは楽しそうだ。
「あっ。お兄ちゃん。テラさんから話は聞いたよ」
「うむ。これで正式に許可が下りたのじゃ。しばらく世話になるぞい」
思っていたよりも話し合いは、穏やかに終わったらしい。シャーリーにとっては、掃除やらなにやらと、面倒ごとが増えるだけなのに……優しいな。
いや、屋敷のあれこれを本来やるべきなのは、俺だった。
「俺も屋敷の事、もっと頑張るからな」
「お兄ちゃんは、頑張らなくていいんだよ」
嗚呼、俺の体まで労わってくれるとは、嬉しいじゃないか。
「マルクには、伝わっとらん様じゃぞ」
「お兄ちゃんですから」
「そうじゃな」
ちゃんと伝わっているさ。シャーリーの優しさは。
「さてと。朝ごはん作っちゃうから、少し待っててね」
「俺も」
台所へ向かうシャーリーの後を追い、俺も朝食を作りに行く。
シャーリーに甘えてばかりでは駄目だ。我が家の事は、少しでも自分でせねば。
「じゃあ燻製肉と卵、焼いちゃって」
「了解、シャーリー」
朝から眩しい笑顔を見せてくれる。
こんな笑顔を毎日見逃していたなんて、冒険者マルクは、とんだ節穴野郎であったのだと、最近になって気付いた。
それだけでも、一歩前進したのかもしれない。まぁ、自分の心の中だけの話ではあるが、一歩一歩進んで行くしかないのだろう。
肉の焼ける匂いが、お腹を刺激する。
横では、シャーリーが皿とカップを四人分用意していた。
肉と卵を早く仕上げて、お茶はシャーリーに任せよう。
ガル兄には、お茶を初めて振る舞うのだったか……俺の家でお茶が出るなんて、どういう反応を示すのか、楽しみである。
二人前を四人分に分け、皿に盛りつける。
「≪水≫よ」
シャーリーの用意した鍋に、沸騰寸前のお湯を魔法で注ぎ入れる。
「えへへ。ありがとう」
お茶を待つ間に、配膳を済ませよう。
今日は、珍しく四人の食事だ。本当に珍しい。
この光景は、どこの思い出にもない。俺の光景だ。
冒険者を辞めた次の日の朝を、思い出した。そして、その尊さも。
忘れないようにしよう。
どちらも俺にとって、かけがえのない光景なのだから。




