8.恩には恩を
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全力疾走で残りを取りに戻り、全ての魔石をアムの研究室に運び込んだ。
研究室と言っても、フラスコやら謎の機器などは見当たらない。
多少の本と机が一つ。すっきりとした部屋だ。
「全部、こっちでよかったのかい?」
「自分で使う分は、困ってないからな」
「これでは僕が君を……いいように使っただけになってしまうよ」
アムが短い髪をいじりながら、申し訳なさ気な顔をする。珍しい。
「アムのおかげで、アイツらが碌でもない目に合わずに済んだから、うん、別にいいだろ。それにさ、俺は、お前の散歩に付き合っただけだし」
「フフ。ならばデートのプレゼントとして貰っておくよ」
「色気のないプレゼントだな。あと、あんなの散歩な、さんぽ」
「そうだね」と言うアムの口角は喜びを示していた。
変な顔をされるよりは、こっちの方が断然良い。
アムの研究室から、俺はそそくさと退散した。
魔石に魔力を込め、砕いて素材とする作業まで付き合うのは御免だ。
アムには、彼女の後輩たちと仲良く作業に勤しんでもらおう。
ピュテルの町は未だ赤く染まるにとどまり、魔工石灯る夜の町に変わるまでには、まだ時間がある。
さて、これから何処へ行こうか…………。
あれ? 行くところが……ない……。
冒険者ギルドは論外だし、フクロウからは逃げてきたところだ。
工房ギルドにいる昔馴染みの兄貴の所に行く用事もない。
ふらりと会いに行く相手もいない。
気付いてはいけないことに、気が付いてしまった……俺、かなり駄目な奴だ。
コミュニティとかコミュニケーションとは何だろう?
依頼をこなしていた以外の時間、俺って……何をしていた?
剣の稽古、魔法の研究、休息。
そこに誰かが介在したことがあっただろうか?
昔馴染み以外には……うん、いないな。
ふらりふらりと歩いていると、気が付けば、とある店の前に俺は立っていた。
木製看板には、抽象化された鳥が描かれている。
鳥の背負った道具袋から、はみ出る葱二本。
道具屋『鴨の葱』
ああ、そうだ。俺はシャーリーに、朝飯のお礼を言いに来たんだ。
そうに決まっている。よし入ろう。
扉を開け、鈴が鳴る。さっそく、活力にあふれた女性の声が店内に響き渡った。
「はい、いらっしゃい。けどもう閉店の時間だよ。ってあら、マルクじゃないか。何か切らしたのかい? それともうちのを嫁に貰いに来てくれたのかい? あら、おばちゃんはもう売り切れだよ」
カウンターの奥で、恰幅の良い女性が、両手を広げて歓迎してくれる。
この店の主であり、シャーリーの母親であるリンダさんだ。三児の母である。
毎度のように、こちらが何も言ってないのに話が進む。それが今はありがたい。
「今でも、旦那さんとラブラブだものね。こんばんは、リンダおばさん。今ってシャーリーいる?」
「マルクが珍しく会いに来たってのに間の悪い子だよ。ちょっと呼んでくるかね」
「おばさん待った。朝飯のお礼言いに来ただけだから。それも、手ぶらで来ちゃったし」
ふらふらしてたら、自然と来てました。何て言えたものじゃない。
「アハハハハ、そんなのに物なんていらないわよ。もぅ。感謝を伝えるって気持ちを忘れてなければ、いいのよそんなの」
何だろう。心が痛い。
「そうですよ。お爺さんもマルちゃんのこと、少しは、見習ってくださいねぇ」
「努力する」
店内にいた老夫婦、杖を突いたムル婆ちゃんから思わぬ援護攻撃が飛んできた。
背の真っ直ぐなボブ爺ちゃんは、ムル婆ちゃんの横で難しい顔をしている。
ムル婆ちゃんの、俺へ送られる純粋な視線が……痛い。
駄目だ。このままだと、小さな見栄が羞恥心に殺されてしまう。
話題を変えよう。
「そ、そういえばムル婆ちゃん達は、薬草採取の準備?」
この老夫婦は薬草採取の名人だ。
草花の知識に長け、判別もお手の物。
比較的危険の少ない近隣の森からでも、貴重な薬草を見つけ出してしまう。
老夫婦を真似て採取に向かっても、知識のない者では、値の安い薬草しか見つからない。モンスターに襲われるだけ、むしろ損をする。
だから誰も、薬草採取目的では森へは行かない。
この町の薬草事情は、この御両人に掛かっていると言っても、過言ではない。
「ええ。何を取ってくればいいのか、店主さんに確認して貰っていたんですよ、ねぇ、お爺さん」
「でもムル婆。冒険者、集まらなかったんでしょう」
そう言ったリンダさんの顔は、少しお困り気だ。
薬草の在庫が、少なくなっているのだろうか?
「ええ、ええ。わたしもお爺さんも、もう、あんまり戦えないですからねぇ。弟子も一緒に行きますから、ええ、森の奥まで行きたかったんですがねぇ」
「奥まで行かないと、取れない薬草?」
俺の問いに、ボブ爺ちゃんが「ああ」と返してくれる。だったら――
「なら、俺が一緒に行くよ。薬草採集」
「マルちゃんは、もう冒険者を辞めたんですから、無理しなくていいんですよ。気持ちだけ貰いますからねぇ」
「正直な話、今日も友人の散歩に付き合った以外、なーんにもやることなくてさ。今も、ふらりふらりと、この店に来ちゃっただけなんだ。俺、明日も暇で困ってるんだよ、ムル婆ちゃん」
ムル婆ちゃんが「どうしましょうか」と考え込み、ボブ爺ちゃんが目を閉じた。
ムル婆ちゃん達は楽できる。薬草で町の人が助かる。俺は暇をつぶせる。
三者三得で、良い話だと思うのだが。悩むことだろうか?
ムル婆さん達とは、何度も薬草採取に同行しているから、信頼が無いとは思えない。思いたくない。
「マルクがやるって言ってるなら、良いじゃないかムル婆、ボブ爺」
見かねたリンダさんから、援護が飛んだ。
「迷惑かけて御免なさいね、マルちゃん。それならよろし――」
ムル婆ちゃんの声を遮るように、勢いよく扉が開いた。
鈴が騒がしく鳴る中、現れた男が声を上げる。
「話は聞きました、先輩! その依頼、俺も受けるっす!」