86.幕間~二人の男~
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「はぁい、バルザック。今日はご機嫌だったじゃない」
「ん。サラスか。まぁな」
宿の談話室で、酒を片手に寛いでいた俺に、グラスに入れた琥珀色の酒を揺らしながら、サラスが声を掛けてきた。
俺もこいつも仕事用の服装ではなく、質素な普段着だ。
褐色の肌を酒で赤らめたサラスが、俺の隣に座る。
「よいしょっと。で、朝から何処で遊んできたのよぉ」
「ああ、ダンジョンでミノタウロスと殺り合ってきたんだよ」
力比べを思い出してしまい、自分の顔に笑みが浮かんでいるのが分かった。
楽しさも共に、酒を口に流し入れる。少しだけだ。
「よく、許可が下りたわねぇ……なぁに使ったのよ」
「何も使ってねぇよ。マルクと一緒だっただけだ」
「まーたマルクに迷惑かけたり、巻き込んだりしてんじゃないでしょうねぇ。そしたら私、怒るわよ」
言葉では、そう言いながらも、サラスの顔は、ふにゃっと笑みを浮かべている。
だが、俺達パーティーメンバーは知っている。
答えを間違えると、問答無用で魔法が飛んでくることを。
誰だろうが、関係なしにだ。
「勘違いすんじゃねぇ。手伝いだよ」
「偉い。珍しく偉い。私が褒めてあげる」
「いらねぇよ」
頭を撫でようとする酔っ払いの手を、叩き落とす。鬱陶しい。
「もぅ。勿体ないわねぇ。で、マルクはどうだったのぉ?」
「ああ。あいつ、前より丸くなってたな」
「そぉう? あの時は、んー、特に変わった感じはしなかったわよ」
変わっている。俺には、そう確信があった。
今日の朝から昼までのマルクを考えれば、当然だ。
随分と緩い雰囲気を纏っていた。
周囲の相手への接し方も、俺への対応も、随分と人間らしくなっていた。
まぁ、相変わらずミノタウロス戦では、俺の獲物まで倒そうと、全ての敵に、あの眼を光らせてやがったが……今回は取らなかっただけ、良しとするか。
記憶の中の冒険者マルクは、もっと単純で、機械的だった。
恐ろしいほどに。
特に印象に残っているのは、共にフロストジャイアントと戦った時の事だ。
今、思い返せば、俺はAランク冒険者になって、気が大きくなっていたのだろう。サラスが”念のため”に用意した助っ人依頼。その時に現れたCランク冒険者、それがマルクだった。
昔から知ってはいた。一方的にだが。
硬質的で、ざっくりした人への対応。俺達も、マルクにとっては、共に戦う仲間ではなく、モンスターを狩る同行者でしかない。
マルクから、意思も感情も感じるのだが、アイツ自身、自分を他人事に処理している風であった。
そんなガキの子守をしながらの依頼。
正直、面倒くせぇ。
そんな甘い考えは、すぐに消えた。フロストジャイアントの前では。
触れるだけでも凍え、棍棒を一撃くらうだけで氷漬けになる。
俺達パーティーは、敵の力を舐めていた。ジャイアントなら、俺一人で殺れる。
そう、自分が強くなった気になっていたのだ。
Aランク冒険者になったことで。
ドムもテガーも、一撃で死にかけた。
シャラガムは、二人の延命だけで精一杯だった。
サラスの魔法は、足止め程度にしかならず、俺に至っては奴に力負けする始末。
少しずつ、体の自由が奪われていく。
全滅寸前。それでもフロストジャイアントが俺達に止めを刺さない、いや、刺せないのには、理由があった。
マルクが炎の大剣を片手に、フロストジャイアントに張り付いていたからだ。
一撃で死へ導かれる攻撃を、躱しながら、少しずつ、少しずつ、フロストジャイアントに炎の大剣を沿わせていく。
マルクの野郎に恐怖は無いのか?
今なら分かる。マルクも恐怖を感じていたことを。
そしてマルクの頭の中では、逃げの一手が浮かんでいたことを。だがマルクは逃げなかった。理由は簡単だ。御守りされていたのは、俺達の方だったからだ。
倒すと決めたのなら、あいつの頭は、どう周りを助けるか? どうモンスターを殺すか? その二点だけで動く。
まるで、それしか頭に詰め込んでこなかったかのように。
だから張り付く。
死の一撃にその身を晒しながら。俺達を助けるために。
魔法を炎の大剣に集中させていたのも、それが奴を倒す唯一の方法だったからだろう。
その時の俺の役目なんて、一つしか無かった。
フロストジャイアントの足止めだ。ただの足止め。
そのために俺は、何度も何度も突撃し、大剣を振るった。
その度にマルクは、炎の大剣で相手を切り崩していった。
得物である棍棒を、足を、手を、切り裂かれ、少しずつ消えぬ炎に浸食されていくフロストジャイアント。
その姿に、俺の心も燃えた。腕に力が、足に活力が戻ってくるのを感じた。
だから、あの時のことは、未だに申し訳なく思う。
トドメの一撃を、俺が決めちまったことを。
当のマルクは、気にする様子もなく『一仕事終わった』という風で、重いドムを運んで帰っていたが……あれが、アイツにとっての日常だったと知るのは、また別の機会だった。
『そんな通り名あったんですね』
マルクの野郎、本当にふざけたことを言いやがる。
また、自分の口の端が上向いている事に、気が付いた。
「なーに考えてんのよぉ」
「ん? 昔のマルクの事だよ。あれとは”殺り合い”たかったが、今のマルクとは、御免だなと思ってな」
「あんまり迷惑かけたら駄目よ」
サラスの言葉には、沈黙で返し、酒を口に運ぶ。
楽しい酒は、少しずつでいい。今のマルクと同じだ。
一気に味わうのは、惜しい。
目の前の男の剣が、俺の腹へと払われた。
刃を潰した剣であっても、その衝撃は体を貫く。
帷子を着こんでいても関係ない。
俺の口から、体の中の空気が押し出された。膝が地に落ちる。
「集中しなさい。ギュスト。エル様の前ですよ」
「はぁあ、はぁあ。エル様は、ふぅ、今はマルクの話に、夢中ですよ」
横を見ると、使用人に髪を梳かれているエル様の姿が、遠くに映った。
使用人のあの少女に、今日のマルクの話をしているのだろう。
あぁ、マルクが妬ましい。
結局、俺は何もしなかった。
エル様の、遺跡における初めてのお仕事に同行出来たのに、やれる事一つなかった。エル様に汚れ一つ、怪我一つ無かった事が何より喜ばしいことであるが……少しは、俺の活躍を見せたかった。
ミノタウロスなら俺でも倒せたのに……とはいえ、あのバルザックというマルクの連れの動きは……何だったのだろうか?
ミノタウロスと真正面から力比べする人間がいるのだろうか?
実際、いたのだから証明は済んでいるのだが……。
だが注目するべきは、その剛力だけではなかった。
ミノタウロスの大斧を、的確に弾く技術。
体力の化身たるミノタウロスを、一撃で斬り伏せる技の切れ。
ミノタウロスの一振りの隙をついた、あの背後へ回り込む足捌き。
眺めているだけだったのが、惜しまれる。
一つでも、己の技術の糧に出来れば良かったのだが。これでは、バルザックという剛の者がエル様の敵に回ったら……勝てる絵が全く見えない。
このままでは、エル様を守り切れない。
この命に代えても守らねば。
「もう一本。お願いします」
剣を両手で持ち、構えを取る。
踏み込み、両手で振り下ろした俺の剣を、目の前の男は、片手で持った剣で簡単に往なしてしまう。こちらの隙を突けるはずなのに、攻撃してこない。
俺にもっと打ち込ませる為だ。
彼にとっては、練習にもなっていない。
従者の中で、俺が一番弱い。目の前の男も壁だ。高い高い壁だ。
エル様を守るためにも、もっと強くならねば。
命の恩は、命で返す。
いや、それだけではない。俺は、エル様を……。
あぁ、エル様を背負って帰ったあの時間は至福だった。羽根のように軽い、いや天使の羽だ、エル様は、天使そのものかもしれない。もっとエルさ――吹き飛ばされる中、耳にエル様の声が聞こえた。
「集中なさい! ギュスト!」
あぁ、怒るエル様の声も――




