85.テラさんと一冊の本
読みやすいように全体修正 内容変更なし
俺はいつもの通りに、母の部屋で魔導書を探し、読む。
いつもと違う点を挙げるならば、テラさんが一緒という所だろうか。
テラさんならば、魔導書の魔力に当てられて精神に異常をきたしたり、不用意に魔法を発動して、大惨事になることは無いだろう。
「ほぅ。マリアもよう集めたものじゃな」
「好きに読んでいいですからね」
俺も好きに読ませて貰う。
魔導書と向き合うのは、一対一の戦いだ。とはいえ、現在、何を調べ、何を読み込めば良いのかわからないので、手当たり次第である。
ん? いや。暴風竜の大薙について探してみよう。あれがウィンさんの覚えた特殊な魔法でなければ、魔導書としてあるかもしれない。
俺は、風に関する魔導書を探す。
テラさんも、背表紙の刻印を見て、気になった本を手に取っているようだ。
うん。『風の導き』か……軽く読んでみよう。
俺は立って読む。一脚だけの椅子は、テラさんに空けておこう。
風を称える修辞、風の精霊シルフの匂わせと説明、風魔法の魔法図形と解説。
だが、魔法一つ一つの書き込みが甘い。
内容も浅い。
あぁ、これは図鑑的な側面を持った魔導書だ。
こういう魔導書に魔力を込めると、大惨事になる。中に記された魔法が、勝手に発動してしまう。取り扱い注意だ。
それに俺は、魔法図形を読み取ることしかできない。
活用するなら、スクロールを作るアムの領分だ。
俺は直接魔法を見た方が、まだ習得の糧になる。
理論から組み立てるアムに言わせると、俺は『危ない奴』だそうな。俺は、感覚的な方が分かりやすいのだから仕方ない。
戦闘に活用できそうな魔法も無かったし、この魔導書は棚に戻しておこう。
「な! なんじゃこれは!」
テラさんの大声に、少し驚いてしまった。
「ご近所さんは居ないけど、夜は静かにね」
「なんじゃ。何でこんな本があるのじゃ」
テラさんが一冊の本を持って、こちらに詰め寄ってきた。ち、近い。
彼女は片手で本を抱えながら、もう一方の手で、胸倉をつかんで揺らしてくる。
とりあえず話を聞こう。
「何か気になる本があったんですか? というか揺らさないで」
「これじゃ! これ!」
テラさんは興奮した様子で、抱えた本を俺に見せる。
『ザザーランド伯爵による植物生成の始まりと世界樹へ至る道の考察』
ああ、あの伝記か。
「ああ、その本ですか。面白かったですよ」
「なんでザザーランドの事が書かれた本がここにあるんじゃ?」
「さぁ? それは母の所持していた本なので」
俺から少し離れて、本をじっと見つめている。
「読んでもいいものかのぅ」
「変な内容は書いてなかったですよ」
役に立つことも、あまり無かった気がするが。
読むのを躊躇するような内容では無かった。
「わかった……読んでみるのじゃ」
そう言って、椅子へと座ったテラさんは、静かに本を読み始めた。
ゆっくり、そして丁寧に頁をめくっている。
よくは分からないが、大切な本なのだろう。
俺も、別の本を探そう。風の魔導書、風の魔導書っと。
実入りの無い時間を過ごしていると、テラさんの声が響いた。
「あやつ! わしのことを男だと思っとったのか!」
「テラさん。それ本人が書いたものじゃ無いと思いますよ」
過去の人物の人生を語ったものであった。自伝ではないはずだ。
「おう。そうじゃったな。つい頭にきてしまってのぅ」
「その伯爵様と、お知り合いだったんですか?」
「ハハ。昔のことじゃよ。わしがまだ若かった頃の知り合いじゃ」
そう言ってテラさんは、また本の世界に戻っていった。
年齢が少し気になったが、まぁ何歳でもいいか。
テラさんは、テラさんだろう。
テラさんは、先程の驚きを露わにした顔と違い、穏やかで優しい顔をしている。大切な記憶を辿っているようで、言葉を掛ける事すら気が引けた。
そっとしておこう。
俺だったら邪魔されたくない。その大切な時間を。
「マルクや。また読みに来ても良いかのぅ?」
俺は、一つ思い当たることがあった。
その本がテラさんにとって大切な本であるならば、母の思いは一つのはずだ。
「この扉を、開くことが出来るなら」
俺は、唯一の出入り口へと向かい、そう言った。
今、扉は閉じている。
テラさんは、ゆっくりと扉へ近付き、ノブを回した。扉が開く。
母の罠が作動しない……やっぱりそうだ。
テラさんは首を傾げている。
「どういう事じゃ?」
「テラさんは、この罠、見えてますよね」
「当然じゃろ。始めは拒み、二度目は壊す。侵入者対策にしては優しい罠じゃな」
「それが開くってことは、そういうことですよ」
その本は、母がテラさんの為に用意した本だ。見せるだけなのか贈り物なのかは、わからないが。罠が作動しないということは、そうなのだろう。
「というわけで、その本は差し上げます」
いいよね、母さん。
「ちょっと待たんかマルクや。お主は言葉を省く悪癖があるじゃろ。説明せい」
うん、面倒くさい。けど説明するか。
十年前からこの部屋の中は、本一冊すら配置一つ変えていないこと。そして、その本がこの部屋に置いてある事の可笑しさと、扉の入出許可が、十年前から変更されていないことを伝える。
ならばその本は、ここに入れる誰かの為の本という事になる。
少なくとも俺の為ではない。断言できる。
もしかしたら、それがテラさんではない可能性もあるが……まぁ、気にしないことにしよう。
「ふむ。始めからそう言わんか。全く……じゃが、この本はここに置いて帰るぞ」
「持って帰っても良いんですよ」
「わしは、定住先を持たぬ宿なしじゃ。ならここに読みに来る方がよい。それならマルクとも会えるしのぅ」
「いつでもどうぞ。読みふけって遅くなったら、好きに泊まっていっても構いませんし。今日のようにね」
「なんじゃ。わしを口説いとるのかえ?」「違いますよ」
テラさんは、楽しそうに笑う。その笑顔が、優しくて、愛らしくて、母がテラさんを気に入っていたであろう理由が、何となく分かった。
何となくだけど。
「わしは、お主のベッドで寝たいのじゃ」
「そういう勘違いを生む発言は、やめてくださいね。それと駄目です。客室が使えますから――」
「いやじゃ。あのポカポカを味わったら、もう抜け出せんのじゃ」
何を言っているのか、よく分からない。
シャーリーがベッドメイクしてくれるから、快適な寝心地なのは理解できるのだが。それは客室も同じであろう。
俺が首を捻っていると、テラさんの耳がピンッと上がった。
「そうじゃ。あっちにも、マルクの魔力をたっぷり注げばよいだけじゃ。善は急げ。さあ行くぞ、マルクや」
俺の自室に近い客室は、綺麗に掃除されていた。
質素に寝具のみの部屋ではあるが、綺麗なものだ。
そして何故か俺は、寝具に魔力を込めることになった。
その意味は分からないが。
魔道具を作る時のように、繊細に丁寧に。一時間、じっくりと……。




