79.バルザック襲来
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「おい! マルク、出てこーい」
屋敷の罠が動いたので、誰かと思えば、バルザックさんであった。
大丈夫。情報屋のおかげで心構えは出来ていた。
それにしても、まだ扉にも達していないのに、よく通る声だ。
「お兄ちゃん。知り合い?」
「ああ。シャーリーは帰った方がいい」
「ううん、大丈夫。お茶用意するね」
「ありがとう。えっと、五人分頼む」
シャーリーは、笑顔で台所へ向かった。
俺も、バルザックさんを迎えに行こう。行かないと扉を蹴破りかねない。
剣を元の場所に戻し、出入口の扉へと向かう。
扉を開ける。と同時に、危険を感じた俺は、後ろに一歩下がる。
俺の眼前を、恐ろしい速度で木剣が通過した。
「おはよう、バルザックさん。それ、俺以外にはしないで下さいね」
怪我じゃすまないから。いや、俺でも直撃したら頭が割れる。
右手で振り下ろした木剣を、サッと己の右肩に傾けた大男の姿が目の前にあった。
強者の証明の如く鍛え上げられた肉体は、相変わらず圧迫感がある。
流石に人の家を訪ねる時は、背の大剣は持ってきていないようだ。
バルザックさんの獲物を狙う鋭い目が、俺を見てニヤリと曲がった。
「しねぇよ。お前の気配だから斬ったんだからな」
「やっぱり、俺にもやめて」
シャーリーに間違って攻撃されることは無さそうで、助かった。
そして、バルザックさんは、俺の懇願を聞き入れるつもりはないらしい。
「マルクが悪いんだぜ。俺のジャイアントまで喰っちまうし、町に帰ってみれば、森でヘヴィオーガ四体と遊んでたって話じゃねぇか。何で俺を呼ばないんだよ」
「いや、遭遇は偶然ですし、バルザックさん帰ってなかったでしょう」
とりあえず手で、入室を促す。
木剣を手放さないままのバルザックさんが、のしのし歩く。
バルザックさんが歩くと、屋敷が小さく感じる。
よく見るとその木剣、俺のじゃないか。まぁ、いいか。
「それで、今日は何の用で?」
「用が無きゃ来るなってか?」
「朝からは来ないですよ……普通」
「ハハハ。マルクが普通を語るんじゃねぇよ」
駄目だ。普通という言葉が、俺に突き刺さってしまった。
どうせ常識無いですよ……これは口には出さないでおこう。
居間でもよかったが、バルザックさんを食堂へ通す。お茶を出しやすいからだ。
バルザックさんは、入口に一番近い位置に座る。なら俺はその正面だ。
「えーと。本当に用事無し?」
「無いぞ」
「探してたって聞きましたけど」
「あぁ。暴れ足りねぇから、一戦やり合おうかと思ってな」
やり合おうって、殺り合おうじゃないよな……流石に無いよな。
「暴れ足りないなら、依頼でも受けたらいいじゃないですか」
「連日任務なんてお前ぐらいだ。”普通”は、一仕事したら休みを入れんだよ。パーティーなら尚のことだ」
「グッ」
言い返せない。”普通”が痛い。パーティーリーダーの言葉が重い。
だが、休みの重要性は、最近少し分かってきた。
昨日もゆったりとした一日で、気力も魔力も充実している。
「でだ。一人で任務を受ける訳にもいかねぇだろう? そこでマルクの噂を聞いたのさ。冒険者辞めてから、毎日駆けずり回ってるって噂をよ」
「噂は噂だよ。昨日も一日暇してたし。今日もたぶん暇だよ」
「それならそれで、こいつでやり合えば良いだけだろう。な!」
バルザックさんは、横に置いた木剣を手で叩く。
あぁ、これは獲物に狙いを定めた目だ。
彫りの深い顔の奥から、闘志がジワリと滲み出ている。
正直御免だが、俺が逃げられるほど甘い眼光ではない。
「お待たせ。お兄ちゃん」
天使の声が聞こえた。
バルザックさんの視線が緩み、俺から離れた。
シャーリーが、ティーポットとカップ二つを盆にのせ、台所から姿を見せた。
「お待たせしました」
「おう。ありがとよ」
シャーリーが目の前で、お茶を注いでいく。芳醇な香りが脳を覚醒させていく。これはお客様用の茶葉だ。俺でもわかる程度には、香りが違う。
「じゃあ、お兄ちゃん。私は帰るね。お客様も、ごゆっくり」
「ああ、ありがとうシャーリー」
「またな、嬢ちゃん」
シャーリーは、お茶を注ぎ終えると、俺とバルザックさんに笑顔と一礼を心に残し、帰っていった。
猛獣に睨まれ、削れていた心が回復した気分だ。まだ戦える。
目の前の猛獣は、シャーリーの淹れたお茶を、一口で飲み干してしまった。
「美味いなこれ」
「シャーリーが淹れたお茶だからね」
俺も一口頂く。
注がれた時から分かってはいたが……良い香りだ。
若い香りと深い渋みが絡み合って、一つの作品となっている。
茶葉もそうだが、シャーリーのお茶の淹れ方も、美味しさの秘訣なのだろう。
俺では、こうはならない事に確信を持てる。
「ふー。もう一杯いかがです? あっ。ご自分で」
「ハハハ。頂くぜ」
バルザックさんがティーポットを傾け、お茶を注いでいる。
その表情から、喜びが見て取れた。
お茶は偉大だな……多めに用意して貰って良かった。
「で? あれが狙いの女か」
「っ!」
お茶を噴き出しはしなかったが、喉に! 喉に!
お茶を口に入れ、ゆっくりと喉へと流していく。
「ふー。いきなり何を言い出すんです」
「あれ? 違ったか? それともお前、女が何人もいるのか?」
「いませんよ」
「だろ? なら逢引きに『氷の女王』を利用するほどの女なら、あれぐらいじゃないと割に合わないだろう」
あー。あの時の話をしているのか。
「あの時は、約束に遅れそうだったので仕方なく。借り一つって奴ですよ」
「飯の相手だってのは、否定しねぇんだな。けどよぉ、ミネルヴァ様に借り一つって……気楽だな、お前」
あれ? 本当に借り一つか? いや――
「ここ数日で借りがもっと増えてるか……何個だ?」
「マルク。お前、冒険者辞めてから何をやってんだ? 前からだが、本当に謎な奴だな」
バルザックさんは、お茶を楽しみながら、俺へ呆れた顔を向けている。
まぁ、ミュール様への借りは、この際、数えないでいいか。数が何個だとか、気にする人でもないだろう。
出来るだけ恩を返すようにはしたいが。
「まぁ、ミネルヴァ様はどうでもいいさ。さっきのシャーリーみたいな子は、さっさと捕まえとけよ。横から搔っ攫われてから泣いたって、男として見苦しいだけだからな」
「バルザックさんの想像する関係とは違うだろうけど……うん。努力するよ」
シャーリーには、もっと喜んで貰いたい。どうすればいいのかは、模索しなければならないだろうが。意識の方向だけでも向けておかねば。
「ああ、どんといけ。仕掛けもせずに女が寄ってくるのは、色男だけだぜ。あのアムとか云う坊主みたいな、な?」
バルザックさんも色男に分類されると思う。凹凸の効いた顔は、十分過ぎるほどに女性に受けしそうなのだが? いや、今のは自慢なのか。
それよりも、バルザックさんの間違いを正しておこう。
アムとバルザックさんは、また会うかもしれないのだから。
その機会があれば、だが。
「アムは格好いい奴だけど、女性ですからね」
「おぅ。やっぱりそうだったのか。でも坊主は坊主で良いんじゃないか」
「知ってて言うなら、別に止めませんよ」
バルザックさんは、ガハハと笑って、お茶を注いでいる。
まだ飲むつもりらしい。
まぁ、気に入ってくれたのなら、少し嬉しくはあるのだが。
俺も、お茶を飲もう。
舌で味を、鼻で香りを、喉で感触を。あぁ、落ち着く。
そして、屋敷の扉が強く叩かれた。
二度、三度と。




