801.独りでは味わえぬ
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最も重篤なレスローさんへの最低限の治癒が終わる前に、援軍が到着した。
聖騎士団団長であるベンドリッドさん率いる聖騎士達とBランク冒険者が二組。
第四十階層の調査へ向かうベンドリッドさんらと、レスローパーティーを連れて地上へ戻るツヴァイ隊……俺はレスローさん達と別れ、調査に参加する事にした。
負傷した二人は、ツヴァイ隊とナタリーさん達に任せよう。
薄情な選択をしてでもダンジョンに残ったものの、第四十階層の調査中、再びヴァンパイアと遭遇する事は無かった。
以前に起こった異常と同じ。
本来そこに居る筈のないモンスターが出現し、討伐し終えた後には、魔力の異常一つない階層が広がっているだけだ。
大所帯で第四十一階層に下り、階層を隈なく調べたものの、そこには通常通りのモンスターしかおらず、調査は空振りで終わった。
成果を得られぬまま、俺達は地上へ戻る事となった。
『『無い』って事も、貴重な調査結果だよ』
地上へと戻る階段を上る俺の頭の中で、パック先生の声が響く。
そう、願いたいものだ。
ダンジョン入口へ戻って来た俺を待っていたのは、心配そうな顔をしたゴンさんであった。
「マル坊。無事だったな……ふぅ、気が抜けちまったよ」
「俺は大丈夫だよ」
「ハハッ、相手があのヴァンパイアだったから、流石にな」
「そっか。ありがとう、ゴンさん。援軍も助かったよ」
「ああ。団長が残っていてくれて、良かったぜ」
そう言って、ゴンさんは俺の両肩を左右から軽く叩いた。
態とらしく、笑いながら。
それはきっと、先にダンジョンから出て来たレスローさん達の姿を目撃したからだろう……。
俺もゴンさんに合わせ、左右をキョロキョロして見せる。
「ゴンさん……今日は、司祭様に呼ばれて……無いよね」
「アハハ。マル坊って、ローレンス司祭様のこと苦手だったか?」
「いや、良い人だよ。でも話すと、どうしても長くなるから。流石にお腹空いたし今日は帰るよ」
本当は、腹なんて空いてない。
それでも、早く帰って、何か食べなきゃな。
「ああ。報告なんて他の誰かに任せりゃいいさ……マル坊、ありがとな」
「それだけで十分。じゃ、ゴンさん、おつかれさま。おつかれさまです」
「おつかれ」「おつかれさま」
もう一人の番兵さんにも会釈をし、俺はダンジョン入口から外へと出た。
外はもう暗く、どの程度夜が深けたのかすら分からない。
星の瞬きと魔工石の灯りが反発し合うように輝き、町を照らしている。
ふぅ。帰ろう。
肉体的な疲れはあまりないが、魔力は消耗しきっていた。
絶氷の棺を連発するのは、少々無理があったな。
走る気力も湧かないので、ゆっくりと歩いて帰る事にした。
歩きながら、魔工石の灯りを頼りに周囲へ目を向ける。
人通りの少ない夜の町は、平穏そのものだ。
それが嬉しいのか、物悲しいのかなんて、判断が付かない。
駄目だ、駄目だ。
これじゃ、またバルザックさんに髪をぐしゃぐしゃにされてしまうな。
両頬を軽く叩き、意識を切り替え、帰路を進む。
開け放たれた門を抜け、魔工石の灯りが漏れる我が家を見ると、少し落ち着く自分がいた。
鍵を開け、扉を開きながら、居る筈の同居人へ帰宅を告げる。
「ただいま戻りました」
「おっ。マルクや。おかえりなのじゃ」
ふわりと広がる銀の髪を揺らしながら、食堂からテラさんが飛び出してきた。
俺と目が合ったテラさんが、その目鼻立ちの良い少女の顔に、パッと花を咲かせてくれる。
帰宅を喜んでくれるのは、弾む声と表情だけでなく、髪から横へとはみ出した長い耳もまた、上下に跳ね、その感情を表していた。
テラさんを見ているだけで、顔が綻んでしまう。
友人の様な、家族の様な、我が家の同居人は、そういう凄い人だ。
「ただいま、テラさん。早速だけど、ちょっと狼のまんぷく亭に行ってきます」
「うむ。やはりお主も、まだ食べておらんのじゃな」
「も?」
「も、じゃ。ほれ、早う行くぞい」
テラさんはそう言うと、俺の返事を聞かぬまま、俺の横を通り抜けてしまう。
構わず外へと出るテラさんの代わりに、廊下と食堂の魔工石に魔力を通し、灯りを消し、戸締りをする……これを忘れちゃいけない。
「来ぬのなら、お主の分もわしが食べようかのぅ」
そんな冗談を言いながらも、テラさんは数歩先で待っていてくれた。
少しだけ早足で、テラさんの隣へと向かう。
そして並び、歩調を合わせ、一緒に歩く。
「たとえテラさんであれ、まんぷく亭の料理は渡しませんよ」
「カッカッカ。サンディの父親の料理は絶品じゃからな」
「ええ。ただ今日は軽めで」
「うむ……後は風呂に入って寝るだけじゃからのぅ。わしも同じのにして貰うとしよう」
お腹が空いているのなら、無理しなくてもいいのに。
同じものを食べる。
それも、テラさんなりの優しさの一つなのだろう。
態々アレコレと言うべき事じゃないな……だが、言っておくべき事はある。
「ねぇ、テラさん。別に俺の事なんて待たず、先に食べててもいいんですよ」
「分かっておる。ただ、わしがそうしたかっただけじゃ」
「そっか……でも俺は、お腹空かせて倒れてるテラさんなんて、見たくないから」
「そこまでは待たんわい」
カッカッカと笑うテラさんであるが、待ちそうな気がする。
そして、食堂の卓に顔を突っ伏しながら、ぐったりとしてそうだ……ただの妄想だけど。
俺の妄想を掻き消すテラさんの声が、静かな夜の町に広がった。
「しかし、お主も相変わらず忙しいのぅ」
「急ぎの用、でしたから」
「……そうか。マルクや、あまり気負うでないぞ」
「はい」
テラさんの小さな手が、自然と俺の手を握りしめていた。
温かな手を、軽く握り返す。
きっとテラさんは、何の事情も知らない。
今回は『木霊の声』で伝言を残す余裕も無かった。
それでも普段と違い、テラさんは、俺から事情を聞き出そうとはしなかった。
今は、その優しさに、甘えておこう。
自分の身に起こった出来事を話すのには慣れて来たが、人の死について話すことは、慣れそうにない。
慣れたくも、ない。
大衆食堂『狼のまんぷく亭』は、夕食時を過ぎても喧騒に満ちていた。
客は、そう多くは無いが、相変わらず酔っぱらい達が屯している。
そんな喧騒の中、俺達は、三人並んで卓についている。
目の前に並ぶのはシチューとパン。
そして、俺が茶を注ぎ入れた樽型ジョッキ。
料理に手を伸ばす前に、俺達は口を揃え、言った。
「「「いただきます」」」
右からはテラさんの声が聞こえ、そして左からはサンディの声が聞こえる。
この店の給仕であるサンディであるが、時折俺達と一緒に食事を取る事がある。
チラリと左を向くと、短く明るい髪が褐色の肌の上で輝いていた。
撫で肩が露出し、胸元が強調された給仕服を着ていようとも、俺の目はサンディの目を捉えていた。
何故か、俺が見るよりも前に、俺を見ていたサンディの目を。
「食べないと冷めるよ、サンディ」
「マルクもね」
御尤もである。
正面へ向き直った俺とサンディは、同時に匙を取り、乳白色の海を掬い取った。
おっ。今日のシチューは、豚肉の塊が入っている。
匙の中に納まる肉を、シチューと共に頂く。
噛む前に広がるのは、乳独特の香りとチーズの強い匂い。
塩味を抑えたシチューであるが、味わいは濃厚だ。
野菜の甘みも、良く溶けだしている。
リンダさんやシャーリーの作る優しいシチューも非常に美味であるが、こちらもまた捨て難い。
これは、サンディのシチューではなく、親父さんのシチューだな。
口いっぱいに広がるシチューを味わいながら、肉も噛む。
少し大きめに切ってある豚肉から、ジュワリと肉汁を溢れ出した。
肉汁がシチューと混ざり、味に変化を生んでくれる。
肉の表面に纏う胡椒が、肉ともシチューとも良く合い、ピリリと俺を刺激した。
噛み、噛み、美味しさを味わいながらも、まだ感想は口にしない。
肉とシチューだけでなく、野菜とシチューも味わってからだ。
咀嚼したシチューが喉を通ると同時に、右手の匙が赤と白の野菜を確保する。
うーん。
柔らかく煮た人参は、歯を差し込むだけで解け、崩れてしまった。
白の野菜は、お決まりの玉葱だな。
優しい野菜達が濃厚シチューと絡まり、俺の体の中に染み渡って行く。
「あぁ。親父さんのシチューも、美味い」
「お主、シチュー好きじゃな」
「ええ。好きですよー」
テラさんの声に答えながら、パンを千切り、口へ放る。
ついでに少し千切って、シチューの中に潜らせておこう。
「前から聞きたかったんだけど、何で私とお父さんの料理の違い、分かるの?」
「……味が違うよ、味が。どっちも美味くて、どっちも良い」
「他のお客さんは、誰も気づかないのに……」
「サンディの料理も美味しいのじゃ。わしとマルクが太鼓判を押してやろうぞ」
「ああ。美味いぞー」
「フフッ、何それ。でも、ありがとう」
左右から聞こえる笑声。そして、料理を堪能する舌鼓。
ここには、十分すぎる程の、褒美があった。
安らぎも、喜びも、美味しさも……。




