800.静かな祈りを
腹から血を流し、生気なく壁際で倒れているレスローさん。
腕と背を裂かれ、出血の激しいゲイリーさん。
そしてチュルチェさんと、ナタリーさんに背を向け、俺は次の部屋にて待ち構えるヴァンパイアの魔力へ、急ぐ。
一人、足りない。
砕けた皮鎧と残された衣服。床に置かれたままのショートソードに弓と矢筒。
セラさんに何があったかなんて、分かりきっている。
間に合わなかった事は、嘆かない。
そんな自由は、俺には無い。
通路の曲がり角を越えれば――いた。
黒の装いをしたヴァンパイアが、青白い顔をこちらへと向けている。
とっくの昔に、俺の存在は気付かれている。
それを証明するかのように、既に生み出されていた蝙蝠達が、ヴァンパイアの周囲を飛び回っていた。
標的は、俺だ。
長い呪文を唱えている時間はない。
先程のように、不意を突き、絶氷の棺を叩き込む時間も余裕もない。
俺は前へと駆けながら、呪文を唱えた。
同時に、奴の周りをグルグルと飛び回っていた蝙蝠達が、俺へ向け、飛ぶ。
「≪風≫よ」
込められるだけの魔力を込め、正面へ向け、突風を吹かせる。
広くはない通路に風が満ち、迫る蝙蝠を吹き飛ばす。
通路から部屋へと抜け出した風は、ヴァンパイアへ向け、吹き付け続ける。
これなら、白い霧となって逃げる事も出来まい。
風に乗り、ヴァンパイアへ接近しながら、続けて口を動かす。
「≪氷竜の吐息≫」
こいつの倒し方の一つは、既に心得ている。
呪文の終わりに合わせ、両手に握っていた炎帝竜の大剣を左手一本に持ち替え、右手を前に突き出した。
右手より放たれた凍える風は、吹く風に乗り、ヴァンパイアを包み込む。
『風』の魔法を消しながら、俺は肉薄するため、更に速度を上げた。
待ち、では勝てぬと判断したのか、奴もまた、こちらへ向け飛び掛かって来る。
氷竜の吐息を浴びせ続けながら、右肩へ迫る赤い爪の一振りを、躱す。
俺は走る爪の軌跡の脇を通り抜け、奴の胴へと炎の剣を滑りこませた。
通過する炎が、ヴァンパイアの胴に赤い炎の斬撃痕を残す。
斬った、筈ではあるが、当然の如く、奴の上下は繋がったままであった。
素早く向き直り、左手に持つ炎の剣を払った。
ヴァンパイアの赤い爪と炎が重なり、反発するように離れ合う。
続け放たれる蹴りを後ろへ下がり、躱しながら、その足を斬り、炎を刻む。
やはり、絶氷の棺で弱らせねば、二撃では死なないか。
それでも、奴に刻んだ炎は残り続け、奴の肉体と魔力を喰らい続けている。
だが、白い霧へと姿を変えられたら、炎を刻んでも意味がない。
故に、凍える風で変化を封じたまま、接近戦で勝負を付ける。
赤い爪も、鋭い牙も、触れる手も、身体能力も恐ろしい。
だが、接近戦ならば、負けない。
幾爪を躱し、弾き、ヴァンパイアの体に炎を刻む。
何度でも、何度でも。
たとえ魔法が効き難くとも、死ぬまで斬り続けるだけだ。
氷竜の吐息の影響か、奴自身の魔力の枯渇か、動きの遅くなった奴の攻撃を薙ぎ払いながら、そのまま奴の首を切り払う。
炎の剣が奴の首を焼き切り――奴の頭が飛んだ。
瞬間、ヴァンパイアの頭は炎に飲まれ、消滅した。
それは、体とて同じ事。
全身に刻み付けた炎が広がり、黒い装い諸共、塵も残さずに食らい尽くす。
小指程の小さな魔石が、石畳に転がり、美しく輝いていた。
俺は、手から放ち続けていた氷竜の吐息を消し、部屋に充満している凍結の魔力を消滅させた。
だが、炎帝竜の大剣は、消さない。
恐らく、まだ奥に居る。
「流石だな、マルク君」
「貴公、怪我は無いか?」
聖騎士五人と共にツヴァイ氏がこちらへ駆け寄って来る。
俺は小さく頷きながら、二つの通路に目を配り、警戒を続けた。
片方は行き止まりの小部屋。
もう片方が、先へと続く通路。ならば、まずは――
「行き止まりを潰して来ます。皆さんは、ここの守りを」
「まて、貴公。盾は我らに任せ、貴公は一手、後ろから魔法を」
「……分かりました」
俺の言葉を聞き、聖騎士らに指示を出すツヴァイ氏。
俺は、少し、焦り過ぎだな。
深く息を吸い……長く、長く吐き出す…………大丈夫だ。
魔石を拾い、バックパックへ放り込みながら、先へ進む事を彼らへ促す。
「行きましょう」
「タップ、ラカン。マルク殿を頼んだぞ」
「「ハッ。お任せを」」
二人の声に合わせ、俺は行き止まりの小部屋へ続く通路へと走った。
胸の一点に魔力を集中させながら、ヴァンパイアの魔力を探る。
「我、示すは理、凍る世界は万物の果て――」
言葉の一つ一つが魔法の想像を強め、自然と魔法を組み上げ、形作られて行く。
生み出すは、凍結の力の結晶。
放つは、世界を凍らせる力。
魔力の一欠片も零さず制御し、集め、凝縮させる。
二度の曲がり角の先に、ヴァンパイアは居た。
速度を落とした俺を追い越し、聖騎士二人が前へ出る。
こちらを視認したヴァンパイアが、瞬間的に狼へと変じ、石畳を駆けた。
「――汝、彼の者に、終焉の導きを――」「「≪大天使の守護≫」」
狼が聖騎士に飛び掛かったその時、通路を埋め尽くす白き光の壁が生まれた。
突撃する狼は咄嗟に行動を変え、その前足で光の壁を裂かんと跳ねた。
前足と壁が触れた瞬間、弾ける様に狼が後ろへ吹き飛ぶ。
まるで、加護の力に拒絶されたかの様に。
俺は構う事なく右手で狙いを定め、言葉を続けた。
「――≪絶氷の棺≫」
胸に輝く魔力が、呪文により魔法へと姿を変える。
魔法は、胸から右腕を伝い、指し示す通りに放たれた。
青い結晶が光を放ちながら、光の壁を通過し、狼の内部へと入り込む。
間、髪入れず、凍結の力を解放する。
狼の中で弾けた凍結の力は、奴の全身を駆け巡り、肉体と魔力を凍り付かせた。
俺は、急ぎ、走る。
そして駆け抜けながら、動かぬ狼へ向け、炎帝竜の大剣を払った。
炎が、頭から胴へ走り、胴から尾へと切り裂く。
深く、長く刻まれた炎は、絶氷の棺で弱った狼の体を、炎へと変えた。
白い霧へ変わる事も、元の人型の姿に戻る事も無く、ヴァンパイアは死んだ。
周囲を調べ、敵が居ない事を確認した俺は、魔石を拾い上げながら、来た道へと走った。
二人の間を駆け抜けながら、声を掛ける。
「戻りましょう」
「ああ、マルク君……しかし、本当に一瞬だな」
「無駄口は後だ、タップ。行くぞ」
背で、二人の声を聞きながら、俺は急いだ。
この様子だと、まだ奥に何体のヴァンパイアがいるか、分かったものではない。
大丈夫だ。魔力はまだまだある。
今は、全て片付けるまで、動き続けるしかない。
聖騎士の守りの中で絶氷の棺を放ち、凍り付いたヴァンパイアを殺す。
それをひたすら繰り返し、第四十階層を全て潰し終えた。
俺が倒しただけでも九体か……。
第四十一階層へと続く階段部屋まで調べ終えた俺は、ひとつ前の大部屋へと戻る事にした。
そして、ツヴァイ氏ら聖騎士へ、判断を仰ぐ。
「階段部屋には何も。下も調べますか?」
「いや。一度引こう。レスロー殿も心配だ」
「ツヴァイさん、ありがとう」
「当然の判断だ。皆も、急ぎ戻るぞ」
重なる聖騎士達の返答を追い越し、俺は先頭を走った。
炎帝竜の大剣は、まだ、消さない。
警戒しながら戻るも、ヴァンパイアと遭遇する事は無かった。
炎帝竜の大剣を消し、部屋へと戻った俺の目に、治癒を受けるレスローさんの姿が映り込んだ。
壁にもたれ掛るレスローさんは、回復術士のナタリーさんの手に癒されながら、手に持ったヴァンパイアの魔石を見つめている。
その顔に、苦痛や苦悩は浮かんではいない。
疲れ以外を顔に見せず、ただ呆然とした表情で。
レスローさんのぼんやりとした目が、俺を見た。
そこに浮かぶ感情は、俺には分からない。
俺は、レスローさんに近づきながら、彼の発する声に耳を傾けた。
「なぁ、マルク……もう少し辛抱すりゃ、お前がやってきて、怪我する事も、ナタリーやゲイリー、チュルチェが死にそうな目に遭う事も……無かったんだぜ……ははは……俺達、馬鹿みてぇだよな……」
「いいから、喋らないで」
「馬鹿なんかじゃ、無いですよ」
俺は、彼らが何のために戦ったのかを、知らない。
金の為か、勝利への自負か、名声か、それとも仲間の為か。
分からない。
どんな理由であれ、命を懸けてモンスターと戦った人の事を笑ったりはしない。
「もし、レスローさん達の事を馬鹿にする奴らが居たら、俺が許しません」
「ははっ、そうか……マルク……セラの仇はとったぜ……俺達の手で」
「はい」
俺には、その言葉一つを返す事しか出来なかった。
大切な仲間を失った人へ、掛ける言葉を知らない。
継ぐ言葉を、思い付かない。
死を前にしたら、俺は、無力だ。
いつだって、いつだって……。
沈黙の中、レスローさんはゆっくりと目を閉じた。
まだ、荒い息が、聞こえる。
俺も、祈ろう。
たいして親しくもなく、信じる神のいない俺でも、セラさんの眠りが安らかである事を祈るぐらい、許して欲しい。




