798.先遣隊と平穏と
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王国の東の海に、一つの遺跡があった。
誰が何のために作ったのかすら分からぬ遺跡は、その神殿の如き上部を海上に見せながら、今も、広がる海の中にぽつんと佇んでいる。
そこに近付く二艘の小舟と、離れ行く一隻の帆船があった。
「旦那ぁー。また三日後に来やす。お達者でー」
「ありがとう、船長」
小舟から帆船へ手を振り返しているのは、耳が隠れる程度の長さに切り揃えられた若草色の髪を、海風に靡かせる二十半ばの男性であった。
甘く、柔らかな顔をした彼の名はファルコン。
ピュテルの町の冒険者ギルド『鉄骨竜の牙』に属するAランク冒険者である。
小舟の上には、彼の他にも、同じパーティーメンバーが荷物と共に乗っていた。
内、戦士二人が、櫂を用い、船を漕いでいる。
力強い櫂の動きと魔法の力で進む二艘の小舟は、次第に遺跡へと近づき、容易に接岸を果たした。
人工物にも見える石面に、二組の冒険者パーティーが上陸する。
一組は、ファルコンパーティー。
そしてもう一組は、王都の冒険者ギルド『金獅子の爪』に属する、朱色の槍を振るう灼髪のイプシロン率いる、Aランク冒険者パーティーであった。
彼らは小舟につないだ太い縄を、近くの柱に括り付け、遺跡の中へと向かう。
警戒しながら、下り階段へと進む十人。
最後尾を歩くイプシロンが、神経質そうな目でファルコンを見て、尋ねた。
「以前と、何か違いがあるか?」
「いいえ。ありませんね……つい先日訪れた時と、何一つ」
「そうか。何か違和感があれば、何でも言ってくれ。戦いは兎も角、俺達は遺跡調査は不慣れでな」
「その為の我々ファルコンパーティーです。ご安心を」
ファルコンは、そう言いながら、王から受けた命を思い出していた。
ピュテルの町から呼び出されたファルコンパーティーに与えられた命令。
それは、最深部へと向かうイプシロンパーティーの案内と護衛であった。
先日再調査を終えたばかりの遺跡へ、再び潜る理由。
それは、この場に居る十名全員が知っていた。
レオニード王より直接伝えられた、太陽教教皇アポロの予言。
東の遺跡にて復活する双子の悪魔。
双子の悪魔によりもたらされる災い。
それが世迷言では無い事を、王国は十二分に知っている。
アポロの予言は、起こり得る未来を語る言葉なのだと。
イプシロンパーティーは、王国による再調査の先遣であった。
彼らに与えられた依頼は復活の阻止でも、双子の悪魔の討伐でもない。
地図の再確認と進路の確保。そしてモンスターの掃除。
それが今回の、イプシロンパーティーへの依頼。
それに対し、イプシロンも案内に呼び出されたファルコンも不服はなかった。
最深部への道は、他者に任せらえる程、容易くはなく、そして長い道のりであるからだ。
下り階段を下りきり、記憶した地図通りに彼らは進む。
石畳の通路。造りの良い石壁。整えられた天井。綺麗に四角く形作られた部屋。
そして、外光が入らぬ遺跡の中でも、松明や魔法の灯りが不要な、良く視界の通る明るさ。
歩むイプシロンパーティーは、想起せざるを得なかった。
ここは、月女神の遺跡と、似ていると。
歩むファルコンパーティーは、やはりと頷く。
この遺跡は、ピュテルのダンジョンと、そっくりであると。
気を引き締め直し、彼らは奥へと進む。
予言の刻限が迫っている事を知らずに、一歩一歩、慎重に。
夕刻、ミュール様との訓練を終えた俺は、ドレイク先生の診察室を訪れていた。
淡い花の香りが漂う中、少し骨ばった手が俺の右手を触診して行く。
触診の動きに合わせ、生気が薄い目が追う。
正直、自分の右手の診断結果よりも、ドレイク先生の方が心配である。
面長の顔はいつも通り青白く、白髪も疲れた様子はなかった。
「ドレイク先生。ちゃんと食べてる?」
「お前に心配されるほど、落ちぶれてはいないつもりだ……安心しろ」
「ならいいんだ。食べてないなら、ディアさんに――痛っ。痛い、痛いって先生。もぅ冗談だってば」
「フッ、痛みは伝わるようだな。問題なしと……」
指を反対側にボキッと曲げようとするのは、診察じゃないですよね、先生……。
まぁ、確かに痛みが伝わるのは、正常と言うべきなのだろうけど。
今度は、正しい向きへ関節の一つ一つを折り曲げ、先生は触診を続ける。
「よし。魔力を通してみろ」
「はい……こんな感じです」
俺の右手を淀みなく通る魔力を見て、ドレイク先生は大きく頷く。
そして俺の右手を離した先生は、やや前傾姿勢になっていた背を伸ばした。
「自分でも分かるだろう。もう、異常は見当たらない」
「残りの動かし難さは、鍛錬次第ってことだよね?」
「ああ。だが、無理はするな……お前には、言っても無駄かもしれないがな」
「あはは。でも、ドレイク先生は、そう言ってくれるんだよね」
「これでも回復術士だからな」
そう言うとドレイク先生は、皮肉な笑みを浮かべ、机へと向き直った。
診察は終わり、という合図でもあり、さっさと帰れ、という意思表示でもある。
「じゃあ、先生、また」
「ああ、いつでも来い。お大事に」
俺は椅子から立ち上がり、ドレイク先生の背に軽く頭を下げ、扉へと向かう。
「失礼しました」
重厚な扉を閉める俺を見送る様に、ドレイク先生が左手を上げヒラヒラさせた。
ドレイク先生の右手も目も、既に書き物へと集中している。
邪魔をしないように、静かに扉を閉め、俺は待合室へと向かった。
「あっ、マルク君。だいじょーぶだった?」
「はい。先生のお陰で、この通り」
待合室で暇そうにしていたディア―ヌさんへ右手をワキワキと動かして見せる。
すると、桃色の髪に包まれたディアーヌさんの丸顔が、無邪気な笑みを浮かべ、ふにゃりと丸みを強めた。
二十程に見える彼女の顔が、少し子供っぽく見える。
昔から変わらない、可愛らしい笑顔だ。
「よかったー。わたしもマルク君のこと、心配してたんだからねー」
「ありがとう、ディアさん」
「むー。ディアちゃん、でしょう」
そう言って、笑っていた頬を膨らませるディアーヌさん。
年齢不詳な彼女の顔が、余計に子供じみて見えてしまった。
怒らせるのは本意ではない……しかし、子供の頃ならいざ知らず、今更『ディアちゃん』とは、呼べない。
何度訂正を促されても、応えられぬ事もあるのだ。
「その、俺ももう十八なので、ちゃんはご勘弁を」
「わたしからすれば、せんせーもマルク君も、まだまだ子供なのになー」
「ドレイク先生も、ですか?」
「そーだよ。ディアちゃん、これでもお姉さんなんだから」
そう言って、エッヘンと言わんばかりに胸を張るディアーヌさん。
本当に、この人、何歳なんだろうな……まぁ、ディアーヌさんは、ディアーヌさんだから、別に年齢は、どうでも良いか。
「では、ディアお姉さま。ドレイク先生のこと、よろしくお願いします」
「その呼び方もいいねー。せんせーの事はディアおねーちゃんに任せなさい」
「はい。では失礼します」
「ばいばーい。おだいじにー」
手を振るディアーヌさんに右手を振り返し、俺は『ドレイク・パブロフの店』を後にした。
日が照る時間の長い季節故、まだ外は明るく、僅かな赤に染まるだけであった。
さて、一度、家に帰るとしよう。
商店へと向かう人波。そして、住宅へと戻る人波。
後者に乗り、人混みに紛れながら、歩き慣れた道を進む。
今日は、友人の見送りで空を跳んだ以外、騒動も無い平和な一日だった。
こんな日が、続けばいいな……。
それが、無意味な祈りである事くらい、自分でも分かっている。
戦いの音は、いつでも、どこからでも響くものだ……ふぅ。何もない所で勝手に滅入っていても仕方ないよな。
さてと、テラさんが帰って来るまでの間、訓練の続きでもしていよう。
そうと決まれば、急ごう。
歩む足を急かし、出来るだけ人の邪魔にならぬ様に、人混みの中を駆け抜ける。
またマルクか、と言わんばかりの視線が飛ぶが、気にしてなど居られない。
何事も行動第一だ。
降りかかる面倒事は、後で考えるとしよう。
次第に人が少なくなっていき、我が家に辿り着く前には周囲に誰も居なくなっていた。まぁ我が家は、住宅街の更に奥にポツンとあるからな。
走り、開け放たれたままの門へと向かう俺の目が、我が家の敷地から飛び出す人影を捉えた。
胴や足に金属防具を身につけた、筋骨隆々なあの姿は……ゴンさんだ。
「おーい。ゴンさーん」
「おっ! マル坊!」
ダンジョン入口を守る番兵の仕事をするゴンさんが、今、ここに居る……平穏なんて、簡単に崩れ去るものだ。
こちらに駆け寄るゴンさんへ一秒でも早く近づく為に、俺は更に速度を上げた。
その一秒が、誰かの命を守るかもしれないから。




