797.時間と時間
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普段着に着替えた俺は、テラさんとの昼食後、独り、パック先生の研究室へと向かった。
いつも通り片づけ、茶を魔法で出し、調査結果を報告する。
俺の報告を聞きながら、パック先生は茶の香気を高い鼻の中へと潜らせていた。
「んー。やっぱり変質の楔は見つからなかったんだね」
「はい。空振りでした」
「『無い』って事も、貴重な調査結果だよ……でも、可笑しな枯れ木のモンスターか……ちょっと心配だね。この前も、炎帝竜の所でモンスターの大量発生があったばかりだから……うーん」
パック先生はカップを卓へ置くと、頭に乗った三角帽を抑えながら背もたれに身を預けた。何処か思案するように、視線が斜め上へと泳いでいる。
俺は茶を飲みながら、パック先生の考えがまとまるのを待つ事にした。
ついでに俺も考える。
先程パック先生が言った『モンスターの大量発生』というのは、パック先生、アム、俺の三人で炎帝竜さんの所へ精霊の調査に行った時の話だろう。
あれも、何か関係しているのだろうか……結びつけるには根拠が薄い。
王国の北に横たわる山々。
共通点は、それだけだろう。
それに問題は、本当に北の山だけの異常なのか、という点だ。
バルザックさん曰く、モンスターの出現が不安定になっている、との事だしな。
異常の発生する法則や場所を特定できなければ、原因の特定なんて出来ないだろう……結局、考えても答えは見つからない。
それはパック先生も同じだったらしく、思考の海から戻って来たパック先生は、高い鼻の先端を掻きながら、少々困り気味に笑っていた。
「うん。お姉さんには、さっぱりだね」
「パック先生が分からないなら、お手上げです」
「まぁ、元々私やマルク君の領分じゃないからね。ミネルヴァ様には、もう?」
「既に」
昨夜、報告済みだ。
パラサイトと聞き、動揺するテラさんとは違い、ミュール様は至って冷静に俺の話を聞いていた。
ああ云う時のミュール様は、普段よりも、より感情が読めない。
内心驚いていたのか、事態を憂いているのか、それとも元から知っていたのか、それが分からない……いや『知っていた』は、ないな。
そこに危険があると事前に知っていれば、先に注意を促してくれる御方だ。
茶を飲み、共に余計な考えを喉の奥へと流し込む。
「ふぅー。なので、後は知らない誰かに任せようかと」
「それが良いよ。何でもかんでもマルク君が背負う必要なんてないからね。人に頼れる時は、いっぱい頼っていいんだよ」
「はい、そうします」
素直に返事をする俺に対し、パック先生は「フフン」と一笑いした。
どことなく、パック先生の鼻が更に高くなっている様に見える。
自信? 喜び? そんな感じか。
その感情の意味を問う必要は、ないだろう。
「パック先生も、面倒事があれば俺やテラさんを頼って下さいね」
「ああ、頼りにしているよ……フフッ、でも、そうやっておねぇさんのご機嫌を取って、一体どうするつもりなのかな?」
そう言いソファにダラリと横になったパック先生は、肢体をソファに預けながら俺へ手招きをする。
こっちへ来て、一緒に……と言いたげな様子だが、これはいつもの冗談だ。
俺は茶を飲み干し、パック先生へ答えた。
「どうもしません」
「ハハッ、だよねー」
パック先生は、何事も無かったかのようにスッと体を起こすと、楽し気に肩を揺らし始めた。
三日月を描く口が、カップに隠れる。
「ふぅ~。マルク君。おかわり」
パック先生の口を隠していたカップが、真っ直ぐ俺へと差し出された。
俺は、そこへ人差し指を向けながら、魔法の茶を注ぎ入れる。
多めに用意しておいて良かった。
このおかわりは、きっと『もうちょっと話をしよう』という合図だ。
了承の意味も込め、自分のカップにも茶を注ぎ入れる。
「そうこなくっちゃ。そうそう。マルク君が心配したらいけないから先に伝えておくけど、今日、アム君は研究室には居ないよ」
「へー。そうなんですか」
淡泊な俺の反応に、パック先生はキョトンとした目を俺へ向けた。
「あれ? 興味ない?」
「何かに巻き込まれていたり、無茶していないなら、別に」
「そんなものなの?」
「そんなもんです……一応、居ない理由を聞いても?」
「やっぱり、気になるんだね。お姉さんに隠さなくてもいいのに、フフフッ……」
他愛もない話をしながら、茶を一口。
あぁ、どうせならばテラさんも誘えばよかったな……まぁ、テラさんはテラさんで忙しいのだろう。
皆、それぞれやる事があるのだ。
トーマス少年も、エルも、シャーリーも、アムも、テラさんも、パック先生も。
そして、俺も。
もう暫くしたら、訓練の時間だ。
それまでは、態々パック先生が作ってくれたこの時間を、楽しもう。
それが俺に出来る、小さな恩返しだと信じて。
ここは、女王の塔の一室。
転移陣以外何もないこの部屋は、魔法訓練を行う時に利用している部屋である。
その中央に立つ俺の左手を、ミュール様の両手が包み込んだ。
「≪氷結晶の庇護≫を……マルク。今のあなたならば制御出来るわ」
「自信は無いですが、やってみせます」
「フフッ、頑張って」
ミュール様の手が離れても尚、俺の左手には凍結の力が張り付き、残り続けていた。ヒンヤリとして、心地いい魔力と共に。
これは俺の左手を、最大の魔力を込めた炎帝竜の大剣から守る為の一手。
とは言え、訓練の度に、ミュール様の魔法ごと俺の左手を焼いてしまい、毎回毎回、ミュール様の癒しの水の世話になっているのだけれど。
今度こそ、上手く制御してみせる。
ミュール様が俺から離れるのを待ち、俺は魔力の集中を始めた。
大丈夫。出来る。
息を吸い、長く吐き、心を落ち着かせ、胸の一点に魔力を凝縮させて行く。
併せ、慣れた言葉を口遊む。
「其は原初の光。猛る汝に触れるは誰ぞ。今ここに塵と化す者の名を――」
魔力が失われ、全身から力が抜けて行く。
その代わりに、胸に集中した魔力が結晶と化し、赤々と輝き出した。
胸が苦しい。
それでも、加減などしない。
今、込める事の出来る最大限の魔力を、全て、この一点に。
焼けるような幻痛と、息苦しい程の熱。
それでも、俺の意識ははっきりとしていた。
胸に左手を当てると共に、赤き魔力結晶を移し、左手で握り締める。
大丈夫だ。
想像の中には、既に一本の炎の剣が生まれている。
後は、名を呼ぶだけ。
俺は左手を前へと伸ばし、言葉の続きを口にした。
「――我に、示せ、≪炎帝竜の大剣≫」
赤き魔力結晶が、呪文に従い、炎へと生まれ変わる。
迸る血よりも濃い赤が、左手の向きに合わせ、横へと伸びた。
伸びる炎は、俺の身の丈程の長い剣となり、俺を赤く照らす。
狙う標的も無く、燃やす対象も無い炎が、薪を求めるかの様に揺らめく。
俺は、魔力制御に努めながら、ただ、耐える……いや、このままじゃ駄目だ。
急速に失われていく魔力の喪失感に抗いながら、俺は真っ直ぐに深紅に輝く炎帝竜の大剣を見つめた。
深紅の炎が、魔力全てを喰らい尽くさんばかりの勢いで、燃え上がっている。
この炎は、俺の炎だ。
全てを制御しろ。無駄を削ぎ落とせ。
出来る。出来る。出来る。
刀身の炎を洗練させ、魔法としての形を整えて行く。
砕け、落ちそうになる膝を堪え、続ける。
流れる汗が、邪魔だ。
もっと、もっと――
「そこまで」
俺は、ミュール様の声が聞こえると同時に、魔法を解除していた。
操り糸が切れてしまった人形の如く、俺の体は、意図せず石畳へと崩れ落ちる。
意識では体を支えようとするも、力が入らず、倒れる体を止める事は出来なかった――石畳に衝突する寸前、冷たい魔力が俺の体と石畳の間に入り込んだ。
魔力が干渉の力へと変わり、俺の体を支え、ゆっくりと石畳へと導く。
俺は抵抗も支えも出来ずに、そのままゆっくりと、石畳に横たわる事となった。
ミュール様の魔力もそうだが、石畳も、冷たく、心地良い。
いや、先程まで感じていた熱が、俺にそう思わせているだけかもしれないな。
「マルク。左手を見て」
顔を横に動かし、渾身の力で左手を眼前へと動かした。
あっ。
痛みが無い時点で気付くべきだった。
俺の目に映る左手は、焼け爛れてはいなかった。
開閉を繰り返しても、痛み一つない。
ミュール様の魔法は消滅してしまっていたが、これは――
「一歩前進、でしょうか?」
「一歩どころではありませんよ」
「でも、何で?」
疑問は尽きない。
第五十七階層で骨の竜に対し使った時も、その前日に訓練したときも、制御が上手くいかず、俺の手は焼け爛れてしまっていた。
それからは、炎帝竜の大剣の訓練はしていない筈なのに……何故?
涼し気な声と、足音が近づいて来る。
「フフッ……私がただ、あなたに魔力操作の訓練をさせていたと思っていたの?」
「あー。全部繋がってたんですね」
俺の答えに、ミュール様は穏やかな笑い声を以て、返事とした。
呪文を使わぬ魔力の行使と、それを使った応用。
ただ趣味で俺に水玉をぶつけていた訳じゃないんだな……当たり前か。
水玉を防ぐ魔力も、空中を駆ける訓練も、御し難い力を制御する為の一助だった訳だな。
動けず、横たわったままの俺の左手を、ミュール様がそっと撫でた。
「でも残念。この手を癒す間だけは、マルクを独り占め出来たのに」
「あの、ミュール様。一つお願いが」
「はい。褒美でしたら、何でも」
「癒しの水を、左手に」
「ウフフ。≪癒しの水≫」
傷一つ無い俺の左手を、ミュール様の癒しの水が包み込んだ。
僅かに残っていた熱が、冷たさに上書きされていく。
別に、熱を冷ます為に頼んだ訳じゃない……そうして欲しかった。
ちょっとした、俺の我が儘だ。
横たわったままの俺には、ミュール様の顔は見えない。
出来れば俺の我が儘に、笑っていてくれたら、嬉しいのだけれど。
抜け行く力は、眠りにも近い感覚を俺に与える。
だが、眠る訳にはいかない。
まだ、ミュール様との訓練の途中なのだから。
それに俺も……この時間を、無駄に何てしたくなかった。
ミュール様を独り占めできる、この時間を。




