77.情報屋とマスターと
間違い修正 三角帽→中折れ帽 読みやすいように全体修正 内容変更なし
「マスター。牛乳を一つ」
酒場『サイド・テイルズ』のマスターは、牛乳を俺に向け、そっと滑らせた。
首を小さく動かし、マスターに返礼する。
年は五十ほどだろうか、元冒険者のマスターは、面長の顔に、糸のように細い目をしている。今も閉じているのか開いているのか分からない程だ。彼の白髪交じりの頭髪は、短く切りそろえてあり、その全てを後ろに流している。
のりの効いた服は、ピシリとしており、カウンター奥の姿を際立たせている。
マスターを眺めていても仕方ない。
牛乳を一口頂く。
本来、酒に混ぜるために用意されている牛乳は、良く冷やして保存されている。
冷たさ故に、感じる甘味が少ないためか、喉の通りも滑らかだ。
夕方のサイド・テイルズは、賑わっていた。
狼のまんぷく亭のような喧騒は無いが、人の声で満ちている。
グラスに酔いながら語らう者。独り酒に溺れる者。口説き文句に下心を隠せていない者。それを聞く者。色々だ。
「マスター、俺にも同じものを」
そう注文した男が、俺の隣の席に座る。
見た目三十程の渋い声をした男は、今日も中折れ帽を被ったままであった。
彼は、情報屋だ。
俺は、彼の名前を知らないし、知るべきでもない。
情報屋は、マスターから受け取った牛乳を一口飲む。白髭を付ける真似は、このマスターの前ではしないようだ。
「無事で何より。だが、モンスター狩りの手伝いなら御免だぜ」
「前回は助かったよ。けど今回は別件」
牛乳に目を向けたまま、情報屋はニヒルな笑みを浮かべている。
「ならどうした? また冒険者の話でも聞きたいのか」
「それは、普通に聞きたいよ。情報入ってこないからね」
「何言ってんだか。お前が冒険者の頃だって、周りの事は気にしたこと無いだろ」
そうだな。ああ、そうだ。今は笑って誤魔化すしかなかった。
そんな俺を、情報屋は、顔は動かさず目だけを向け、鼻で笑ってくる。
「まぁ、それでも聞きたいなら教えてやるよ。といっても前回同様、世間話だけどな」
「うん。ありがとう」
二人で、牛乳を飲み干す。
話が少しでも長くなるなら、追加注文は礼儀だ。
「「マスター。もう一杯」」
既に注がれた牛乳が二つ。マスターから差し出される。流石マスター。
「モンスターの討伐依頼に苦戦しているのは、この前から変わってないな。その所為で、ダンジョンの”お掃除”には手が回ってない。まぁそっちは専門でやってる奴がいるから、気にすることじゃないか。王都の話は、知ってるよな?」
「モンスター、大変だったらしいね。もう収まったんでしょ」
ダークマターの単語は出さない。情報屋も知っているだろうが。
情報屋は、俺の言葉に一つ頷き、牛乳で口を濡らした。
「その所為で、あのアホの名声が上がっちまったのは、嫌な話だけどな」
そう言うと情報屋は、クツクツと笑い出す。
ギルマスの事だろう。王都のギルドに恩を売ろうが知った話ではない。
「あー。そっちは、別にどうでもいいよ。被害は結構でた?」
「村はな。王都は無事。冒険者は怪我程度って感じだな。事件の大きさに比べれば被害は少ないもんさ」
被害に遭った村々を考えれば、”少ない”で済ませて良いのかは、俺にはわからない。そう割り切ってよい話であるかすら――
「おい。また変なこと考えてないだろうな」
「別の変なこと……考えてたよ。でもありがとう」
思考を切り替えさせてくれて、助かる。
たしかに村やモンスター被害については、考えるべき事かもしれないが、それは今ではない。今は情報屋の話を聞くべき時だ。
「ったく……まぁ冒険者的には問題なしって事だよ。もう平常時と同じに戻ってるさ」
「まぁそうでないと、薬草取りにBランク冒険者は出せないよね」
「それだよ、お前! またヘヴィオーガに喧嘩売ったんだってな。しかも四体も。お前、冒険者辞めてモンスター狩り専門になったとか言うんじゃないだろうな?」
「なってない、なってない。未だに無職継続中だよ」
首を大きく横に振り、否定しておく。
情報屋に『モンスター狩り専門家、マルク』なんて変な情報が流れたら、真に受けた頭の可笑しな連中が、屋敷に乗り込んで来かねない。
否定する俺を見ながら情報屋は、中折れ帽を押さえ、楽しそうに笑っている。
「ハァーハッハッハ。てことはお前、まだどこにも属してないんだな。お前なら、あちこちからアプローチが飛んでるだろう」
「何言ってんの? 誰からも勧誘されてないよ」
「え? 嘘だろ?」
俺は、首を横に振る。そんなものを受けた覚えはない。
いや、一件あったか。
だが、エルからの申し出は、昔からの事だ。それに、俺と彼女が友達になったことで決着したはず。だから数に入れなくとも良いだろう。
情報屋は、ぶつぶつと言いながら何かを考え込んでいるようだ。
「まだ精霊銀も白馬もフクロウも動いてないなんて、あり得るのか? いや、町の連中だって動くだろうに。だが、こいつは嘘を吐く奴じゃないし。まさか王都から来る噂の――」
考え事が終わるまで、牛乳でも飲んでいよう。
マスターから、小皿でナッツが提供された。おっ! これはありがたい。
「ありがとう、マスター」
小さく返礼をしたマスターは、すぐに仕事に戻っていった。
いや、これも仕事か。
早速一つ口に入れる。
歯を立てると、アーモンドの香ばしさが口から鼻へと流れだす。
猫の日向のタルトも美味しかったが、単純な一粒もまた良い。
牛乳とは少し合わないが、まぁ良いだろう。好みの問題だ。
俺がアーモンドを楽しんでいると、横から一つ奪われた。
「俺にもくれ」
「取る前に言おうか」
考え事は終わったようだ。さてと、本題に入るとしよう。
「でさ、ここ一月ぐらいの間で、モンスターの目撃情報の中で、変わったものってない? それも定期的に現れるようになったやつ」
「また勝手に狩りに行くって訳じゃないんだな……幾つかある。が、それがマルクの欲している情報かは分からんけどな」
「いいよ。今は情報を集めてるだけだから」
情報屋は、幾つかの場所と出現モンスターを教えてくれた。
北の山奥に、溶岩獣。
王都北の島に、ファイアーワイバーン。
王都南東の海に、ダークトレント。
南の湖に、アイアンゴーレム。
西の平野に、レッサーデーモン。
「うん。多くない?」
「だから、お前が欲しがる情報かは分からないって言ってるだろう」
全部が、変質の楔によるものだったら……うん。面倒この上ない話だ。
どれか一つぐらいにしておいて欲しい所だ。
とりあえず、頭に入れておこう。
「そうだね……でも、憶えておくよ」
「また何で情報集めてるのか知らないが、首突っ込むのは程々にしろよ。そんなもんは、鉄骨龍の奴らに任せとけばいいんだからな」
そうではあるのだが……今回は学派が、いや知人が関わっている。
とはいえ、心配してくれている心は、受け取っておこう。
俺は、残りの牛乳を飲み干した。美味しい。
「うん。ありがとう。今日も助かったよ。マスターも、ごちそうさま」
別れの合図を切り出し、お代を置く。
情報屋に金貨二枚、マスターに銀貨五十枚。
すると、情報屋からは金貨一枚、マスターからは銀貨十二枚を突き返された。
「今日の情報なら、これで十分だ」
マスターも、小さく頷いている。
返されたお金は、素直に受け取っておこう。
「じゃあ、また」
「最後に土産を一つやるよ」
ん? 何だろう。
情報屋は、中折れ帽で顔を隠しながら言った。
「バルザックがお前を探してたぜ。何やったか知らないが……気を付けろよ」
最後に情報屋は、金貨十枚相当の情報を俺に投げつけてきた。
バルザックさん、もう町に戻ってたんだね。
絶対に、まともな用件じゃ無い……そう、確信が持てた。




