6.飛んで火にいる
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第五階層に降りてから、モンスター一匹出てこない。
嫌な予感がする。進んでも進んでも、ゴブリン一匹出てこない。
この小道を進んで真っ直ぐ行けば、後は大部屋が一つ。
その先はもう、第六階層への階段だ。
ダンジョン慣れしている冒険者なら、誰であろうと危機感を覚えるだろう。
絶対に大部屋に何かいる。
あの部屋は、過去に大型モンスターでもいたのではないかと噂されるほど、大きな部屋だ。複数種、複数体のモンスターと同時に戦闘しなければならない事が多いため、知らずに、または無策で突入した新人冒険者が、よく痛い目を見る。
隣を歩く美男子の頭の中には、ブラックスライムで作った極上墨のことしかないようだ。
だが、異常事態なら引き返す選択はない。アムのところの新人は、生きて戻ったからまだいいが、知らぬ者が迷い込んだら――もうすぐ大部屋だ。
「気を引き締めていくぞ」
「わかっているさ。でもブラックスライム程度に怖がっているのかい。やっぱりマルクは可愛いね」
バカなことを言ってるアホの首根っこを掴み、歩みを止める。
「なぁ! 何をするんだい」
「嫌な予感はしてたんだ……前を見ろ」
俺と同じものを見たアムが「ナニコレ」と片言になっている。無理もない。
大部屋に入らなくてもわかる。
一面の黒。床も天井も真っ黒で、でろりとした粘液で埋め尽くされていた。
この様子だと、部屋一面が黒一色で覆われているだろう。
試しに小道から、ゴブリンの魔石を部屋の中に投げ込んでみる。
魔石が大部屋に入った瞬間、無数の赤い光が黒の中で蠢いた。
床から天井から、次々と黒い塊が魔石へ目掛け、飛ぶ。ぐちゃり、ぐちゃり。
粘性物体同士の衝突音が耳を犯す。ぐちゃり、ぐちゃり。
俺に首根っこを掴まれたままのアムが「ヒィ」と小さな悲鳴を上げた。
うん、無理もない。こんな光景、俺も初めて見た。
何事もなかったかのように黒一色に戻った部屋を見て、俺はアムに向けて、努めて笑顔で励ました。
「がんばれ」
アムは返事の代わりに、引きつった笑顔で顔を小さく横に振った。
これでは、せっかくの美男子顔が台無しだ。
まあ拒否されるのはわかっていたが、さてどうするべきか。
燃やす? 部屋中に火球をばら撒く? 上位魔法を使ったところで数で来られると厳しいか? 小道に誘い込んでチマチマと?
「うーん。どうするかねー」
ブラックスライム程度なら、多少組み付かれても大丈夫だ。
溶け殺されるほど俺は柔ではない。
先にアムを逃がしておくか? いや、中に入った獲物に飛び込んでくるなら――ちょっと試したい事を思いついた。
アムの首から手を離し、念のためにバックパックと剣を彼女へ渡す。
「ちょっと試してくるから、これ持って下がっててくれ。あとスライムが小道に来たら自分で対処な」
「え? 何をする気なんだい?」
「ちょっとあの中、行ってくる≪火精霊の加護≫」
まずは自分自身に、火に対する耐性を付ける魔法をかける。後はもう一つ。
イメージを強く持つことは重要だ。炎を司る精霊の姿を。自身を覆う炎の形を。体にあふれる魔力の存在を。熱一つ。揺らめき一つ。
「よし。≪炎獄王の鎧≫」
呪文に答えるように、俺の体が――全身から灼熱の炎が噴き出る。燃え上がる体が一つの炎を形作り、定着した。赤い炎に包まれてやや視界が悪い。
「マルク! え? あ? 大丈夫なのかい」
「大丈夫。息苦しくもないよ。じゃ、行ってくる」
俺はアムに片手で合図を送り、全身を炎に包まれながら、小道から黒一面の部屋へ足を踏み入れた。
アムからは、どう見えているのだろう?
火だるま人間が、黒スライム溜まりに飛び込む姿を。
我ながら正気の沙汰ではない。見ている方はもっとだろう。
歩いたそばから、足元のブラックスライムが溶け消えていく。
部屋を見渡すと、予想通り一面のブラックスライム。
数えきれないほどの赤い光が、一斉にこちらを睨みつけた。
次の瞬間、俺という魔力の塊を喰らい尽くさんと、全周囲から黒の粘性物が次々と飛び掛かってくる――が、炎に触れた瞬間、溶け、消えていく。ブラックスライムが次々と……。
楽なのは良いが――
「やることないな、これ」
全自動スライム魔石変換機に成り果てた俺がやれることなんて、精々、魔石がひと塊にならないよう、部屋を歩いて回る程度だった。
何分ほど経っただろうか。
炎で視界が悪い中、周囲を見渡してもブラックスライムの姿は見当たらなかった。
魔法を解除し、大きく息を吸う。
「ふぅー。ちょっと熱かったー」
「マルク……もう大丈夫かい?」
小道からそろり、そろりと、アムが慎重に顔を出した。
あっ、なんか顔が引きつっている。
まぁ、壁、天井、床すべてを覆うブラックスライム達が、大部屋一面に散らばる魔石に変わっていたのだから、それは驚きもするか。
「アム……この魔石の山……どうしようか……」
一つ一つは小さいものだが、全部持って帰るとなると、何往復する羽目になるのやら。だからといって、大量の魔石をダンジョンに置いたままにすると、碌なことにならない。別のモンスターが増殖するか、階層に見合わぬモンスターが生まれてしまうだろう。
「あー、うん。持てるだけ持って……よし、マルク。五往復は覚悟しよう。今日は徹夜だ。僕と一晩一緒に過ごせるなんて、ははっ、マルクは幸せ者だな、あはははは」
部屋中央にいる俺の所までやってきて、アムは右手を俺の肩に回し、そのまま力強くはたきだした。珍しい。こいつ混乱するとこうなるんだな。
しかし、今はこいつのしたいようにさせてやろう……。
「うおっ。何っすかこの魔石の山は!」
「どうしたの? キオ……ナニコレ……ってマルク先輩!」
小道から五人組の冒険者達が顔を出す。全員新人のパーティで、二週間ほど前に彼らの依頼の助っ人に入ったっけ? いい所に労働力が――
「ハハハ。もう先輩じゃな――いや。先輩の頼みを、一つ聞いてくれるか?」