58.過去の記憶といつもの朝
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靄の掛かった世界が見える。
低い視点から見渡す世界は、今や新鮮なものだ。
背の高い木が立ち並び、そこには、たわわな果実が実っている。
ここは果樹園を見学できる、とある村だ。名前はもう憶えていない。
父と母に連れられて町の外に出た、数少ない記憶だ。
近くの誰かに許可を取り、果実を二つ、父がもぐ。黒い髪が揺れている。
それを受け取った俺は、それが宝物のように見えた。
受け取った母も、嬉しそうにしていた。
夢の場面は、すぐに飛ぶ。
父が膝を地につけ俺に言った。普段の父より、目が真剣だ。
『母さんと一緒に戦ってくる。マルクはいい子に出来るな』
『うん』
父と母が負けるはずがないと確信している。これは、村が襲われた時の場面だ。
憶えている。確かこの先はあっけない終わり方で……。
村の外から、母が戻ってきた。子供の俺は走って駆け寄る。
『怪我は無いか?』
『大丈夫よ、お父さん。少なかったから片付けちゃった』
そして母は、村の外を指した。
そこには巨大な――今にしてみれば、ジャイアント程度の大きさだが――鳥のようなモンスターが氷像と化していた。そして俺たち三人の見ている中、それは砕け散り、空気に溶けるように消えていった。
父の言葉を今も憶えている。
『ゼツヒョウノヒツギ……綺麗な魔法だ』
『僕も、あれ、使えるようになる?』
『私の子なんだから当然でしょ』
優しい指で、俺の頭をがしがし撫でる母の手も……憶えている。
優しい笑顔も……叶わなかった言葉も。
穏やかな光が、頭を目覚めさせていく。
サッと音がし、誰かが俺から離れていく。
まだ、眠たい目を向けると、当然のようにシャーリーだった。
彼女の肩口で、茶の髪が揺れている。今日も瞳が愛らしい。
シャーリーは、何故だか少し慌てた様子だ。
「おはよう、シャーリー」
「う、うん。おはよう、お兄ちゃん。起こそうと思ったら起きちゃってビックリしちゃった」
「タイミングだな。ふぁぁ」
ベットから出て、目を覚ますために鏡の前でいつもの――「≪癒しの水≫」――を行う。冷たい感覚が肌に吸い込まれていく。同時に頭が動き出す。
食卓へ向かうと、シャーリーが朝食の準備中であった。
鼻をくすぐる匂いを頼りに、台所へ向かう。
火の魔工石で鍋を、いやシチューを温めているようだ。
焦げぬように、かき混ぜる。
「昨日の残りだけどね」
「残ってくれて良かったよ」
温まったシチューが鼻を刺激する。うん。既に美味しそうだ。
シャーリーが出してくれた食器にシチューを移し、食卓へ運ぶ。
「「いただきます」」
パンとシチューで十分な朝食だ。
パンをまず齧り、そのままの味を感じる。
少し塩味を感じるパンは、これだけでも美味だ。が、パンをちぎり、シチューに潜らせる。一度、二度。少し柔らかになったパンを口に運ぶ。
白い鎧を纏ったパンは、食む感覚に変化をもたらし、味わいを深く変える。
いや、シチューそのものも旨いのだろう。匙を使い、迎え入れる。
溶け込んだ野菜が、とろっと舌に絡みつく。
それが甘味を俺にもたらしてくれる。
「甘く、とろっと、いいな」
「えへへ」
シャーリーの頬も緩んでいる。
ゆっくり食べたい気もするが、これは、手が止まりそうにない。
「ごちそうさま。シャーリーはゆっくりな」
パンを口に咥えて、頷くシャーリー。
さて、俺には台所でやることがある。茶を淹れねば。
シャーリーの教えを思い出しながら作業する。
多めの水を――「≪水≫よ」――鍋に入れ、火にかける。
さて今のうちに茶葉を……普段用で淹れよう。一杯一匙だから二匙。
湯の中で、気泡が上がるが、少しだけ火をそのままに。
魔工石に魔力を通し、火を止める。
ティーポットへお湯を注ぎ入れ、ただ待つ。
踊る茶葉に鼻が誘われるが、我慢だ。我慢だ。今のうちにカップを用意だ。
頃合いを見て、ティーポットを傾け、茶をカップに注ぎ入れる。
色濃い茶がカップを満たす。濃ければ魔法でお湯を足そう。
二つのカップを、食卓へ運ぶと、シャーリーは既に食べ終わていた。
「ほい。お待たせ」
「ありがとう」
席に着き、シャーリーと共に茶を楽しむ。自分で淹れた割には中々の味だ。
喉を通った後も、口から鼻に向け、果物のような香りが突き抜ける。
あの店では安めの茶葉を買ったが、やはり良い物のようだ。
いい買い物をした。
シャーリーも、ゆったりとしている。
「お兄ちゃん。このお茶っ葉どこで買ったの?」
「猫の日向」
しばらく固まったシャーリーが、大声で笑い出した。
「アハハハハハハ。お兄ちゃんが、あのお店に。ハハハ」
「場違いはわかってるから。笑わんでくれ。その反応、シャーリーは行ったことあるんだな。アムとか?」
「ううん。他の子と。アムは誘っても、猫の日向には一緒に行ってくれないから。でもあのお店、お茶っ葉も売ってるんだね」
「アムの後輩に教えて貰ってな。お土産の茶葉も棚にあるぞ」
「お兄ちゃん。そういうのは直接渡す!」
「うっ。すまん」
お茶を飲み干し、台所へ戻り、黒猫の描かれた紙筒を、食器棚から取り出す。
ふと、茶葉を渡したときの、アムの見せた柔らかな顔を思い出した。
嗚呼、確かに直接渡した方がいいな。
嬉しいもがっかりも、隣で感じた方がいい。
シャーリーは喜んでくれるだろうか? それは、渡してみないと分からないな。




