585.それぞれの戦い方
黒い霧に突入する前に、魔法の準備を行う。
先程は、黒い霧に身を侵されぬ様に、全身を魔力で覆ってから突入した。
急場しのぎの策だ。
黒い霧から身を守る事には成功したが、その分魔力を込め続ける羽目になった。
それに、この黒い霧が浸食の悪魔と同じものであれば、霧を生み出す元凶に近づけば近づく程、身を蝕む力は、強くなる。
魔力で覆うだけでは、防ぐ事が出来ない可能性が高い。
だが、今ならば取れる選択がある。
少しでも魔力制御を失敗すれば、森が燃えてしまうだろうが……決意はある。
命も捨てず、森も焼かず、彼らも死なせない。
俺は、自分の内に燃える炎へ意識を向ける。
炎帝竜さんから継ぎ、己の中で燃え続ける炎を。
この炎の感覚は、他の魔法に流用できるはずだ。
いや、してみせる。
想像するのは、己を包み込む一つの魔力。
そして、魔力は一つの炎と化し、身を守る力へと変わる。
その赤い揺らめきで、蝕まれる前に、触れる黒い霧を焼き消せばいい。
本来なら、炎への耐性を付加する魔法を使うのだが、今は、そんな余裕は無い。
身を守る鎧一つ。そして、振るう剣一つ。
その二つに、全ての意識と魔力を。
「≪炎獄王の鎧≫」
呪文を唱えると、魔力が変じ、魔法という結果を生む。
赤い炎が俺の全身から溢れ出し、俺の体を包み込んでいく。
足の先から頭の先まで、全てを炎に包まれた為、少し熱いし、視界が悪い。
さぁ、ここからは時間との勝負だ。
背に聞こえる懇願と声援を、聞いている暇は無い。
俺は地を蹴り、前へと駆けた。
黒い霧の中へと入った俺は、炎獄王の鎧の力を確認した。
蝕む前に焼く。今の所は、問題ない様だ。
黒い霧と炎獄王の鎧が相まって、視界不良な点は最悪だ……だが、致し方ない。
次は剣だ。
足は止めず、北へ、北へと進みながら、俺は言葉を紡いだ。
「其は原初の光。猛る汝に触れるは誰ぞ――」
今日は、もう何度も口にした言葉。
その言葉は、自然と自分の中に、炎の剣を形作る。
今、俺が最も信頼する魔法。熱く滾る、炎の力を、この手に。
「――今ここに塵と化す者の名を、我に、示せ、≪炎帝竜の大剣≫」
赤い炎が空の手から伸び、黒い霧を裂く。
生み出した炎帝竜の大剣に反応したかの様に、視界の先で一本の木が揺れた。
枝が揺れ、葉が騒めき、落ちる。
俺は、その木の横を抜けながら、炎帝竜の大剣で、その幹を切断した。
横一直線に引いた炎が、擬態していた木の巨人を塵へと変える。
黒の霧に包まれた森を、赤い炎が照らす。
視界の中で、次々と木々が立ち上がり始めた。
俺という敵を、明確に認識したのだろう……だが、全てを倒す暇なんてない。
ただ真っ直ぐに突っ切る。
倒すのは、前を邪魔する巨人だけでいい。
緩慢に動き出した木の巨人の足を切り裂きながら、俺は前へ、前へと駆けた。
狙うのは、黒い霧を吐き出すパラサイトだけだ。
黒い霧の拡散を防ぐ障壁は、北の精霊樹から里を繋ぐ南側に張られていた。
障壁は、南全てを覆う事は出来ず、今も、その端から南へ流れ続けている。
森全てを守る事は、叶わない。
ケルンクラウは、障壁の前で、拳を握りしめていた。
そこに苛立ちを隠さぬ一人の青年が駆け寄り、強く、大きな声を上げた。
「ケルン様。我々も中へ。マルク様の助けを――」
「待機だ。お前たちは、魔力を温存しておけ」
「それではマルク様は! 精霊樹はどうなります! ここは我らが守りし森。今動かずに、いつ動くのですか」
青年の声に答えたのは、ケルンクラウではなく、その隣にて両手を天に伸ばし、背筋を伸ばしていたテッラリッカであった。
「森を守らねばならぬ故じゃよ。マルクと共に飛び込み、失敗すれば全て終わりじゃ。万が一、マルクが失敗した時、森を守る為の手を打たねばならぬのじゃ」
「森を守るならば、共に戦うべきです! たとえ我らの命を投げ捨ててでも――」
「マルクの邪魔じゃ。わしやケルンとて、共に行けば足手まといにしかならん。お主らでは、本当に命を投げ捨てるだけじゃぞ」
テッラリッカの言葉を聞き、青年は歯を食いしばり、感情を抑える。
そして、ケルンクラウ達の目は、癒しの水による治癒を受け続けているソーンネルとエコーへと向いた。
ソーンネルの腕の出血は止まっているものの、裂かれた肉の治癒は進んではいなかった。横たわるエコーの治癒も、進んでいるようには見えない。
ケルンクラウとテッラリッカの目は、二人の体から魔力が失われていく様を捉えていた。それが、身体の治癒を阻害している事も、同時に理解する。
ケルンクラウの拳が、ギチギチと音を立てた。
握る拳から、今にも血を噴き出さんばかりに。
ケルンクラウは、努めて感情の出ないよう表情を消し、テッラリッカを見た。
彼の視界の中で、テッラリッカが黒い霧へ向き直る。
霧の奥で聳える北の精霊樹を、決意に満ちた目で見通すテッラリッカへ、ケルンクラウは言った。
「テッラリッカ。お前は、障壁の補助を頼む」
「お断りじゃ。わしには、やる事があるからのぅ」
「やる事だと……お前まさか――」
目を見開いたケルンクラウに対し、テッラリッカは首を横に振る。
その想像を否定する様に。
「霧の中へは行かぬ。わしは、あ奴の隣で戦えるほど、強くはないからのぅ」
ケルンクラウは、己を見上げるテッラリッカが小さく笑うのを見た。
そして、テッラリッカの口が、先の言葉に続けて、自信に満ちた声を発した。
「じゃが、わしにはわしの戦い方があるのじゃ」
そしてテッラリッカは、前を向き、地面に手を付けた。
テッラリッカの魔力が大地に流れる様子を、ケルンクラウは黙って見守る。
それが、独り黒い霧の中を進む男の助けになる事を、精霊樹に祈りながら。
背を追いかけてくる木の巨人の動きは、そう早くない。
一つ、二つ、三つと次第に増えている事が、響く足音から伝わってくる。
直立した幹たる胴が、進路の枝を砕く音も耳に障る。
森に響くそれらの音の中に紛れる敵の音。
逃せば不意を突かれかねない。
ガサッと枝が音を立てた。右奥。
俺は足を止めない。
進路正面に立つ木を右に避け――視界に子供ほどの木製人形が飛び込んできた。
そのパラサイトの種を、炎の剣で払い除ける。
前に進む俺と、既に炎の線を引いたパラサイトの種が重なる。
だが、衝撃は無い。
纏う炎の鎧に当たるのは、既に消えた塵だけだ。
俺は速度を変えず、全速力で先を急ぐ。
進めば進むだけ、黒い霧が深くなっている気がする。
進めば進むだけ、放置した木の巨人が増える。
進めば進むだけ、隠れたパラサイトの種が襲ってくる。
特に、動きの速いパラサイトの種は、後回しにも出来ない。
黒い霧が不安を煽る。
精霊樹には、いつ辿り着く?
進む方向は、合っているのか?
敵はどれだけいる?
俺の炎は、本当に黒い霧に対抗出来るのか?
そもそも精霊樹の事を、もっと聞いてから突入すべきだった。
不安が積み重なろうと、足は止めない。
だが、既に身を起こし、二本足にて直立する木の巨人が、前方にて待ち構えていた。その動く肩と右腕が、直進する俺への迎撃行動を示している。
舌打ちしたい気持ちを抑え、走る速度を急速に落とす。
炎の鎧を纏おうとも、強烈な一撃は、受ける訳にはいかない。
木の巨人は、俺の緩急に対応出来なかっただろう。
振るわれた腕が、周囲の木の枝を薙ぎ、地面を削り取った。
目の前を通過する腕の鞭を見送り、俺は大地を強く蹴り、速度を上げる。
急な速度変化は、足に負担が掛かる。
だが、四の五の言っていられない。
巨大な相手に対する対処法なんて、そう多くない。
遠距離からの魔法を放つ。魔法で跳び込む。懐に飛び込み足を狙う。
こいつは最後の選択で、事足りる。
これで六体目。
奴の股の下を抜けながら、左から右後ろまで炎の剣を横へ払う。
炎に喰われる木の巨人を放置し、真正面から飛び込んできたパラサイトの種へ、炎の剣を振り下ろした。
全く、切りが無い……。
それでも駆ける、駆ける。
その時、大地に魔力が走った。
俺の進んできた方向から、俺の進むべき方向へと。
この魔力は……この温かな魔力を間違える訳がない。
テラさんの魔力だ。
そうか……黒い霧に魔力を蝕まれるのなら、地中に魔力を通せばいいのか。
一つの単純な発見に、自分の口元が緩むのを感じる。
魔力が進むべき道を示し――進む先の木に、テラさんの魔力が集まり始めた。
あれか。あれが精霊樹。
黒い霧の中、テラさんの魔力で一本の木が輝きを放っていた。
他の木よりも背が高い。
感じ取れるテラさんの魔力から、その木が太く、大きなものだと認識できた。
そして、その中に巣食うパラサイトの姿も、ハッキリと。
地を蹴る足が、軽くなるのを感じる。
ただの気分の話だが、それは大きな事だ。
黒い霧の中、闇雲に進んでいたのとは違う。
明確な位置、明確な存在、そして背を押してくれる優しい力。
行こう。
精霊樹の元へ。
強く足を踏み込み、もっと、もっと速く。




