584.誰の為に戦うのか
黒い霧の中、次の標的を見定め、再び走る。
視界の先には、木を模した巨人。
根を模したであろう足は、人間を踏みつぶせる程度には長い。
が、胴を形作る幹が長く、姿形としては、短足に見える。
葉が落ちた枝が捻じれ、頭と腕を作っている。
あの腕が、先ほどの人を打ち据えた武器か……今は、安全の確保が先だ。
間に合わなかった事を嘆く前に、目の前の敵を――巨人の上体が軋む音を立て、動き始めた。
先に見た、鞭の如き腕の動きは、速かった。
だが、巨体の動作自体は遅い為、予測は容易だ。
振り上げる腕、その鈍い予備動作の後、巨人の腕が振り下ろされた。
捻じれた枝を束ねた様な巨人の腕が、鞭の如くしなり、波打つ。
だが、もうそこに俺はいない。
奴の腕が、地面を穿つ。
既に、その先へ踏み込んでいる俺に、その一撃が当たる筈がなかった。
速度を落とさず、真っ直ぐに巨人の足へと向かう。
炎帝竜の大剣で両足を切断すれば、こいつに耐える術は無い。
それは、先の一体で証明済みだ。
肉薄した俺を踏みつぶさんと、右足を上げる木の巨人。
俺は、その緩慢に動く足へ、炎帝竜の剣を這わせた。
向かって左側を払った炎の剣の持ち手を返し、駆ける足をそのままに、奴の左足を続けて切断する。
二つの切断面から、浸食の炎が木の巨人を喰らい始める。
炎が、木の巨人を瞬時に飲み込み、黒い霧の中に、赤い光を生み出した。
周囲を見回し……何もいない事を確認する。
休む暇は無い。
全身を覆う薄紫色の魔力が、黒い霧に浸食され続けている為、魔力を垂れ流しにしている事もそうだが、まずは怪我人が先だ。
俺は、腕を怪我した人よりも先に、木の巨人の腕に吹き飛ばされた人の方へ向かった。
何処へ吹き飛ばされたのかは、遠くから見えていた。
もっと足が速ければ助けられた、などと考えても、そんな『もしも』は無い。
今は、出来ることを。
腕を怪我した人も、出血が酷かった。
この黒い霧に浸食された体も、心配だ。一刻の猶予もない。
幹の一部が砕けた木の下に、青年が倒れていた。
駆け寄り、生死を――微かに呼吸音が聞こえる。
首筋に手を当てると、脈動を感じる。
だが、息も脈も、弱弱しい。
血は流れていないが、衝撃で骨や内臓がどうなっているかは不明だ。
動かせば、それが致命となる可能性もある……だが、この黒い霧の中で治療など出来る訳がない。
決断と共に、俺は炎帝竜の大剣を消し、両手を青年に当てた。
「≪癒しの水≫」
両手から生み出した癒しの水が、青年の全身に広がり、顔以外全てを包み込む。
負担を掛けぬように、温い癒しの水で。
多少の保護はこれで良いが……手を放すことはできないな。
辺り一面を覆う黒い霧が、癒しの水を消し去らんと、蝕み続けている。
魔力を込め続けないと、癒しの水が消えてしまう。
急ごう。
俺は、両腕で青年を抱え上げ、走り、もう一人の怪我人の元へ向かう事にした。
上体を安定させて駆けるのはお手の物だが、青年の状態に気を配りながら走らないと……全力では走れないな。
俺が戻ると、もう一人の青年は、腕から赤い血を流しながら立っていた。
この青年が、今も気力一つで立っているのが、見ただけで分かる。
「エコー、は……」
「まだ生きてます。走れますか?」
「走る、さ。まだ、死ねない」
「では」
長い問答をしている時間も余裕もない。
俺は、彼の言葉を信じ、来た道である南へ向け、走った。
木々を避けながら、黒い霧の中を進む。
抱える青年の頭を、肩に寄せ、出来る限り安定を図りながら。
テラさんの制止を聞かずに黒い霧へ飛び込んだ時、黒い霧は、広がりを見せていた。森を覆い尽くす様に。
もしかしたら、どこまで走っても黒い霧の中から抜け出せないかもしれない。
その時は、俺も、この人も、気力を振り絞っている彼も、終わりだ。
全力で駆けた行きと違い、速度を落として走ると、道なりが長く、長く感じる。
垂れ流している魔力が、黒い霧に食われている所為でもあるだろう。
後ろを走る人は、大丈夫だろうか?
パラサイトの種は? 先ほどの木の巨人は?
脳裏に浮かぶ不安を消し飛ばす声が、進む先から聞こえてきた。
「こっちじゃ。早うせい」
声だけじゃない。
手を上げながら、進むべき道を示してくれるテラさんの姿も、見えた。
黒い霧の先にいるテラさんの元まで駆け、俺は身に纏う魔力を消した。
状況の確認よりも先に、抱えた青年をそっと地面に下ろす。
黒に体を蝕まれた青年の姿は、黒風を、そしてジギさんを思い出した。
俺には、まだやる事がある。
「誰か。治癒の魔法を使える人は?」
「マルク様。私が」
今日、共に戦ってくれていた魔術師の少女が名乗り出てくれた。
彼女は杖を放り投げ、俺が地面に横たえた青年の横へ屈み、両手を当てた。
「流る水よ、彼の者に留まりて、安らぎの一助を。≪癒しの水≫」
彼女の癒しの水が広がるのに合わせ、俺の癒しの水を消していく。
「木の巨人に打ち据えられ、全身を打っているから気を付けて」
「はい」
後は、彼女に任せるしかない。
俺の後ろを走ってついて来てくれていた人は?
振り返ると、ケルンさんに抱えられた青年の姿が見えた。
「こっちも頼む」
「はい」
ケルンさんの声に応え、魔術師の男性が動き出した。
黒い霧から出た故、青年達の黒に染まり行く姿を、まざまざと見せつけられる。
気力が尽きたのだろう。男性の魔術師による癒しの水を受けている青年は、既にぐったりとしていた。
いや、良くここまで走り切ってくれた……後は、俺が何とかすればいい。
戦う意思を固める俺に、ケルンさんが簡潔に質問を投げ掛けた。
「マルク。この霧は?」
「肉体と魔力を蝕む、淀んだ黒い魔力の霧……恐らく、浸食の悪魔のものと同じです。そして、邪竜の炎にも酷似してます」
ケルンさんに伝わるか分からないが、浸食の悪魔の名を出しておく。
浸食の悪魔。マヴロ・ディアボロス。
ピュテルの町のダンジョン、その第五十一階層にて復活したモンスター。
その身体から放つ黒い霧は、身を蝕み、魔力を喰らう。
黒い霧に直接触れなくとも、周囲に広がった影響は強く、ダンジョン内から町中にまで『黒風』という病の名で、その浸食の力は広がっていた。
そして黒風同様、邪竜の魔力に侵された者もまた、その体が黒く染まっていく。
十年前の戦いで生き残ったジギさんも、邪竜と戦っている最中のバルザックさんもそうであった。
そして、黒い魔力に耐えられなくなれば、その体は、塵と化し、消えてしまう。
肉片一つ残さずに。
ミュール様は、肉体を保つ魔力と侵食する黒い霧の拮抗が崩れ、肉体を保てなくなり、塵と化す、と言っていたか。
蝕まれた彼らをこのまま放っておけば、訪れるのは塵すら残らぬ……死だ。
それは、彼らだけではない。
軽く見回せば、状況が飲み込める。
年齢の高い魔術師が中心となって、黒い霧の拡大を防いでいた。
広く生み出された障壁を、今も黒い霧が蝕み続けている。
魔力は、有限だ。
このままでは、いずれ限界となる。
怪我人二人を見たケルンさんが、首を横に振った。
「マルク。助け出してくれて済まないが、二人はもう――」
「黒い魔力は、元凶を断てば消えます」
ケルンさんの言いたい事は、分かる。
だからこそ、続きは言わせない。
二人を切り捨て、森の守りに魔力を使うべきだと提案したいのだろう。
ピュテルの町へ、黒風の緩和薬を取りに戻る時間などない。
だが、その時間制限は、青年二人の命によるものだ。
二人を見捨て、耐える事に専念し、応援を呼ぶ事が、最も賢い選択だろう。
だが俺は、目撃してしまったんだ。
命を懸けて、隣人を救った青年の姿を。
勝ち目などなくとも、戦い抜こうと立ち上がる姿を。
「なので、今から俺が、元凶を倒してきます」
「正気かマルク! 魔力を蝕む力など、魔術師の天敵だぞ。あの障壁を見ろ」
「分かっています」
ケルンさんの言葉は、御尤もだ。
だが、魔術師でなくとも、黒い霧の中では満足に動けないだろう。
これは、魔術師だけの天敵ではない……生物の天敵だ。
ドレイク先生の守りの薬があれば……いや、町に戻っても、守りの薬は無い。
俺とバルザックさんが邪竜討伐の為に譲り受けた物が、今ある全てだった筈だ。
先程も考えた通り、町に戻る時間も余裕もない。
皆で考え、策を選び、用意する時間もない。
ふと、右手に温かさを感じた。
ケルンさんから、そちらへ視線を移すと、テラさんが俺の手を握っていた。
「マルクや。勝算はあるのかえ?」
「五分五分、です」
「わしは、共に行けぬのじゃな?」
「はい。テラさんまで、黒い霧に蝕まれたら……俺は、冷静に戦えませんから」
「全く、喜んで良いのやら……行く前に、一つ約束するのじゃ」
テラさんが真剣な目で、俺を見つめる。
ピンと張った長い耳が、テラさんの緊張を表していた。
テラさんが、俺の手を強く握りながら、口を開いた。
「危なくなったら逃げると……そう約束せい……こ奴らと、わしらと、この森の為に、お主が命を捨てる必要など無いのじゃ」
「……約束するよ、テラさん」
手が塞がっていておまじないが出来ないが、繋ぐ手が、その代わりだ。
それに俺だって、無理に無理を重ねるつもりは、無い。
自分の命も……大事だ。
「無理そうなら、ここに逃げ帰って来ますから、そのつもりで準備を」
「うむ。ならば、お主に任せるとするかのぅ」
テラさんが、笑みを浮かべた。
相手を安心させる為の、優しい嘘の笑顔を。
心配も、不安も、消える訳がないんだ。
だからこそ、ちゃんと戻ってこないとな。
そして、虚勢が混じろうとも、胸を張って答えないと。
「はい、テラさん。いってきます」
「いってらっしゃいなのじゃ」
テラさんは、努めて元気にそう言いながら、そっと手を放し、俺から離れる。
俺が向くのは、進む先。黒い霧の中だ。
さて、魔法の準備を――
「マルク、様。は、はぁ……」
苦しそうに息を吐く青年の声が、耳に届いた。
肩の治療を受ける青年に、向き直り、耳を傾ける。
「化け物は、木に、擬態、ふぅ……パラ、サイトは……向かって、裏側」
「助かります。後は任せて」
小さく頷いた青年は、荒い息を落ち着かせながら、目を閉じる。
やっぱり、この人達は、優秀な戦士なんだな。
彼らは、ほぼ知らぬ人だ。
地竜討伐の時に、弓兵の列に居た気がする……その程度しか憶えていない人物。
それでも、死なせない。
俺は再び、黒い霧へ向き直った。
遠く、その先にある精霊樹を。そこに巣食うパラサイトを見据える為に。




