583.偵察隊と精霊樹の異変
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パラサイト駆除作戦における本隊が里で休息をとっている頃、一部の森の民は、パラサイトの増殖の調査、偵察の為に動いていた。
彼らは二人一組で動き、パラサイトの発見やパラサイトの種との遭遇時は、逃走を優先するようケルンクラウから命令を受けている。
今、周囲を見回しながら森を歩く青年二人も、偵察に出た一組であった。
丁寧に撫でつけた銀の髪を頭頂部の真ん中で左右に分けた青年は、弓を背負い、ぼさぼさの髪をそのままに歩く青年は、腰に片刃の斧を携えていた。
「全然いないな」
「そうに越した事はない。集中しろエコー」
エコーと呼ばれた青年は、ぼさぼさの銀髪を掻きながら小さく欠伸をした。
その眠そうな目から、エコーの表情はやや幼げに見える。
「へーい。でも、もう全部倒したんじゃないか? マルク様が来てるんだろ?」
「それがパラサイトと何の関係があるんだ、全く……」
気の抜けた表情のエコーを見て、溜息を吐く青年は険しい目つきで周囲を見回していた。彼の目もまた、森の異常を捉える事ない。
二人の声と微かな足音だけが、静かな森に広がっていた。
「はぁ、マルク様だけじゃなくシルファちゃんとも一緒だなんて、あいつら羨まし過ぎだろ……俺もマルク様の戦いを、また見たかったなぁ……」
「あいつら死にそうな顔をしていたが、ああ成りたかったのか?」
「二人とも鍛え方が足りないからさ」
厳しい目をしたままの青年は、お道化るエコーに目も向けず、鼻で笑った。
「フンッ。ならお前も無理だな。お前は普段から――」
「ウッ。この話やめやめ。ほら、ソーン。もうすぐ北の精霊樹なんだから、気を引き締めていこうぜ」
周囲に何もいない事を再確認した青年ソーンは、歩みを止め、振り返った。
自身の後ろで申し訳程度に周囲を警戒しているエコーへと、その目を向ける。
ソーンの眉間には、縦の皺が走っていた。
「エコー。お前、ケルン様の話、ちゃんと聞いていたか?」
「聞いてたさ。パラサイトは精霊樹周辺には寄生した事がない、だろ? だからって種までいないとは限らないし、念の為、調べておこうぜ」
「……それもそうだな。行くか」
エコーの言葉に一理あると、ソーンは一つ頷き、再び歩み始めた。
その後ろをエコーが続く。
「良し。ここ最近、精霊樹に行ってなかったんだよ」
「それが目的か。まあいい」
ソーンもまた、精霊樹に礼拝する事が楽しみであった。
精霊樹とは、アルケーの森を見守る大樹である。
北と南にて高く伸びた二本の大樹は、森の民の信仰の象徴であり、彼らにとっての守り神の如き存在であった。
巨大なモンスターが衝突してもびくともしないであろう太い、太い幹。
世界そのものに根付くかのように伸びた根。
見上げるほど高くにて、青々と映え、豊かに生える枝葉。
ソーンは、その精霊樹の雄大な姿を思い浮かべながら、木々の合間を進む。
だがソーンは、足を進める度に言い知れぬ違和を感じていた。
周囲を見回しても、異常は見つけられない。
「エコー。何か可笑しくないか?」
「ん? ああ……こんなに木、多かったっけ?」
もう一度周囲を見回したソーンは、エコーの言葉に納得する。
茂った木々が邪魔で、歩む彼らから精霊樹が見えなくなっていた。
「確かに多い。精霊樹の周辺は、こんなに木々が生えてなど……誰か魔法で生やしたのか?」
「そんな馬鹿、里にはいないって――なら余計変だよな、ソーン」
「ああ。罰当たりだが、誰かの悪戯なら良いんだが」
ソーンは背の弓を握り、矢筒から矢を取り出した。
エコーもまた、斧を手に持ち、警戒を強めている。
増えた木々の合間を縫いながら、二人は臨戦態勢で進む。
特に何かに襲われることもなく、無事に精霊樹へ辿り着いた二人は、横並びで足を止め、雄大なる精霊樹を見上げ――悪寒に襲われた。
見上げた精霊樹の姿に、異常な所は見受けられない。
だが、その淀んだ魔力を感じ、ソーンの弓を握る手に力がこもる。
「これは……」
「ソーン。調べるか引くか、どっちにする」
「調べて、ケルン様に報告だ」
「了解」
調査の意思を伝えたソーンは、頷くエコーを見て、頷き返す。
エコーの眠そうな目は、既に狩人の目へと変わっていた。一欠けらの違和すら逃さぬように、鋭く。
ソーンは、背をエコーに任せ、歩き出す。
これ以上精霊樹に近づかぬように気を付けながら、円を描くように。
南の位置から、左回りに動いたソーンは、精霊樹の横からその裏側を見て、目を見開いた。ソーンの背に冷たい汗が流れる。
そこには、精霊樹の幹には、擬態すらしていない黒い大きな瘤があった。
人を超えて高く、不自然に膨れた黒い瘤が。
「引くぞ、エコー。俺達では――」
ソーンの言葉を遮るように、黒い瘤から黒い何かが噴出し始めた。
まき散らす様に広がる黒い何かは、あっという間に二人の周囲を包み込む。
黒に包まれた筈であるのに、視界を潰す程でもないそれは、二人にとって不可思議な空間であった。
周囲が見辛くはあるが、目つぶしにもならぬそれに、エコーは首を傾げる。
「黒い、霧?」
「行くぞ! エコー!」
ソーンの声と共に駆けだした二人は、咄嗟の判断で、その場から跳躍した。
左右に分かれるように跳んだ二人の居た大地へ、鋭い鞭が振り下ろされた。
それは精霊樹からの攻撃ではない。
ソーンは、自分たちに攻撃を仕掛けた存在を見上げた。
木だ。
いや、木が人の形へと変化していた。
茂った緑の葉が枯れ、枝と枝が捻じれ合い、腕に、頭にと形を変えていく。
その見上げる高さ、そのままに。
「チッ。木に擬態してたのか」
「まさか、周囲の木は――」
ソーンは言葉を止めた。
口にする必要すらなかった。
精霊樹の周囲に生えていた木々全てが、巨大な木人の化け物へと変じ始めていたからである。
合図無く、ソーンとエコーは同時に走り出した。
最大の速度で、真っ直ぐ南へ、里へ向けて。
二人は、まだ変化途中の木々の足元を抜けながら、振るわれる枝の腕を躱す。
しなる腕が地を削り、轟音を立てる。
逃げに専念した彼らを、巨大な木人の腕が捉える事はなかった。
変じた直後ゆえか、動きの鈍い木人を置き去りにし、彼らは駆ける。
矢を投げ捨てたソーンは、首から下げた小さな笛を取り出し、それを強く、大きく吹いた。ソーンの息が通り抜けた木の笛が、甲高い音を響かせる。
尚も駆ける二人は、黒い霧が段々と広がっている事に気が付いた。
駆けても、駆けても、黒い霧から逃れられない。
自分たちを追う、木人の足が地面を微かに揺らし、鳴らす。
長い耳と、駆ける足でそれを感じた二人は、ただひたすらに前へと走った。
そして二人は、己の体の異常に気が付く。
重い。
体が、重い。
ソーンとエコーは、徐々に徐々に、重い膜が纏わりつく様に体の動きが鈍くなっている事を知るが、対処法など持ち合わせてはいなかった。
腕が、足が、肩が……その俊敏さを失わせていく。
舌打ちと共に、エコーが足を止め、斧を振るう。
斧の刃と、不意に飛び込んできたパラサイトの種が交差し、突き出された種の鋭い腕が砕け散った。
パラサイトの種は、その一体だけではない。
進むべき先から、パラサイトの種が跳躍する姿が見える。
ソーンもエコー同様一度足を止め、矢筒から取り出した矢を弓に番えていた。
背の力で開いた体が弦を引き、その力を以て鋭い矢が放たれる。
飛翔する矢は、その矢尻をパラサイトの種の胴に突き刺す。
矢を受けた種は、跳躍していた体を、地に落とした。
奴が死んでいない事は、明白だ。
引いた弦の重さが、己を蝕む異常さを、ソーンに教える。
黒い霧の先で、跳躍する種の姿が、一つ、二つと増えた。
ソーンは矢を放ちながら、正確に、その人の子供程の大きさの木製人形を打ち落としていく。跳躍する度に、一射、一射、一射。
迫る背後の巨大な木人にも、意識を向けながら。
矢を放つソーンを守る様に、エコーは近くの一体へ斧を振るう。
斧は、パラサイトの種の頭を砕き、胸を裂いた。
ようやく動きを止め、消滅し始めた種を見て、エコーが呟く。
「ヤバいぞ。ソーン」
その焦りに満ちた声を聞きながら、ソーンは、我が物顔で接近するパラサイトの種を睨みつけていた。
効果の薄い弓を背に戻しながら、ソーンは答える。
「分かっている。≪慈悲の風刀≫」
ソーンは、瞬時に己の魔力を右手に集中させ、呪文を唱えた。
呪文が魔法へと結実し、その手に不可視の短刀を生み出した。
黒い霧の中では、見えぬ短刀も、その形が露わとなる。
柄の先に鍔は無く、曲線を描く刃があった。
切っ先まで反った刃と、ひし形の切っ先。刃に沿うように反った峰。
前へ駆けるソーンは、その逆手に持った短刀を振り、跳躍するパラサイトの種を迎撃する。
雲を裂くがの様に、刃がパラサイトの種の胴を切り裂く。
塵と化すパラサイトの種の脇を、駆け、前へ出るソーン。
ソーンの横面へ、パラサイトの種が飛び込んできた――振り下ろされた斧が、快音と共に、そのパラサイトの種を地面へと叩きつける。
肩で息をしながら、もう一度斧を振り下ろすエコーから離れ、ソーンは、エコーへ飛び込む種の前へ、庇う様に飛び出した。
ソーンは短刀にて、鋭い左手を切り飛ばし、続けざまに蹴りを放つ。
蹴りは、パラサイトの種の体を弾き飛ばしたものの、損傷には至らない。
力の入らぬ体を恨めしく思いながら、真正面から飛び込んでくるパラサイトの種へ短刀を振るう。
不可視の短刀が、跳躍したパラサイトの種のもう片方の腕を――切り飛ばす寸前、短刀が消滅した。
魔法の消失に驚く暇もなく、パラサイトの種の鋭い手が、ソーンの右腕に突き刺さった。
痛みで、視界が明滅する。
歯に音を立てながらソーンは、左手で矢を取り出し、パラサイトの種のその造形の無い顔に突き立てた。
が、効果がない事を証明するかのように、鋭い腕が横へ引かれ、ソーンの肉を裂いた。
「グウッ」「ソーン!」
痛みに耐えながら、前蹴りを放ち、パラサイトの種と距離を取るソーン。
よろけるパラサイトの種へ、すかさずエコーの斧が振り下ろされた。
力の入らぬ一撃であったが、斧はパラサイトの種の赤く染まった腕を砕いた。
連続して振り下ろされる斧により、パラサイトの種は存在を保てなくなり、黒い霧の中で塵となって消えていく。
「ソーン。手当を」
「逃げ、るのが、先だ」
ソーンは流れ出る赤い血を、己の裂けた肉を見て気付いた。
自分の体が黒く、黒く変色している事に。
その時、ソーンの体は突き飛ばされた。
ソーンの体が、呻き声と共に地を滑る。
突然の事であったが、ソーンには、何が起こったのかすぐに理解出来た。
自分がエコーに突き飛ばされたのだと。
黒い霧の中、ソーンの視界に、立つエコーの姿が映る。
その刹那、枝の絡み合った腕の通過と共に、エコーの姿が消えた。
木と肉の衝突音を聞いて、ようやくソーンの思考が動き出した。
巨大な木人の腕に払われ、エコーが吹き飛ばされたのだと、理解する。
即死か? まだ生きているか?
確認するすべなどない。
どちらであれ、守らねば。
森を。エコーを。
意思を固めたソーンは、力の入らぬ体で巨大な木人を見上げる。
体に残る魔力を、限界まで集め、束ね、ソーンは言葉を紡ぐ。
「精霊樹よ、我に力を、≪精霊樹の牢獄≫」
ソーンは、抜け落ちる魔力と共に、崩れそうになる膝を意思で堪える。
ソーンの魔力は地を走り、接近していた一体の巨大な木人の足元で、木々へと変化し、巨大な木人の足を絡め取り始めた。
木々が、巻きつくように伸び――そして魔法の木々は、塵となって消えた。
塵を蹴り飛ばす様に、巨大な木人が足を踏み出す。
「まだだ、まだ――」
魔力を用意しようとしたソーンの膝が、自然と落ちた。
その段になって、ソーンは己の愚かさに気付いた。
黒い霧に、魔力が削り取られている。
慈悲の風刀も、精霊樹の牢獄も、己の魔力も。
魔力すらなくなった自分に勝ち目などない。
そう理解しながらも、ソーンは力の入らぬ足で立ち上がった。
たとえ踏み込む木人の足に、踏みつぶされようとも。最後まで――一陣の炎が、黒い霧の中を駆け抜ける光景を、ソーンは目にした。
それが一本の炎の剣であると知ったのは、巨大な木人が切断された足から伝った炎に喰われ、瞬く間に消えた後であった。
半透明で紫の魔力に全身を包み、炎の剣を持つ青年がそこに立っていた。
紫の魔力の奥で、この森では見ることのない、金の髪を揺らしながら。




