551.実験場での秘密の訓練
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ミュール様との夕刻の訓練は、特に変わった事はしなかった。
ただ、力を増した炎帝竜の大剣を維持したまま絶氷の棺を放ち、発動を堪える訓練をしていただけだ……この短時間で何本ポーションを飲んだっけ?
あぁ。四本だ、四本。
女王の塔を後にした俺は、未だに口に残る毒草感に耐えながら、研究棟へと足を進めていた。
もう日は沈み、フクロウの敷地内も魔工石の灯りが広がっていた。
流石に人通りもなく、静かである。
この様子だと、パック先生も既に帰った後かもしれないな。
パック先生は、精霊研究をしている好奇心旺盛な女性だ。
二十代後半で高い鼻を持つ彼女は、室内であろうと三角帽を被り続けている。
アムが学び舎に通っていた頃のアムの恩師であり、その頃の名残で、教職を辞め研究者の道に専念している今も、俺は先生と呼び続けている。
ふと、パック先生の笑顔と困惑気味な小さなアムの顔が脳裏に浮かんだ。
昔も今も、そう変わりはしないな……。
少々過去に思いを馳せながら研究棟へと辿り着いたのだが……静かなものだ。
まぁ、ここまで来たんだ。
念のために行こう。
研究棟に入り、廊下を進む。人気のない研究棟の中、部外者の俺が我が物顔で歩く姿は、不審者に他ならない……それも昔からで、そして今更だな。
目的の扉を三度叩き、自分の名を口にする……反応なし。
やはり帰った後だったか。
テラさんも屋敷で待ってくれているだろうし、帰るとするか。
気を取り直し外へと向かう途中、廊下の先に一人の少女の姿が見えた。
細い体に青い髪。その前髪を一直線に切り揃えたこの少女は、俺の知り合いだ。
彼女は、アムの後輩のパトリシアさんである。
「こんばんは、パトリシアさん。遅くまでお疲れさま」
「あら、マルクさん。そちらから来たと言う事は、パック先生をお訪ねに?」
「ええ。でも不在で」
パトリシアさんは、俺を見ながら小さく肩を揺らした……何故?
「当然ですわ。パック先生でしたら、現在お姉さまと共に、実験場にて作業の真っ最中ですもの。さぁマルクさん。ご一緒に実験場へ」
「え? あっはい」
俺の返事を聞く前に歩き出したパトリシアさんを、追い、特に言葉もなく並んで歩く……流石に無言は、良くないか。
「パトリシアさん。アムとパック先生って、共同研究か何かしているのかな?」
「いいえ。パック先生は、お姉さまの手伝いをして下さっているだけですわ」
「て、ことはアムの用事なのか。一体、何を?」
「それは私の口からは……」
あれ? 会話がそこで途切れてしまった。
危険な実験でもしているのだろうか?
いや、アムは魔法の危険性をよく分かっている。そんな事はしないだろう。
だが、態々パック先生に協力してもらう程の何かを、実験場で……分からん。
まぁ、この事に関して聞いても、パトリシアさんは口を割らないだろう。
「まぁ良いか。アムやソニアさんの様子はどう?」
「お姉さまは、始めから落ち着いていましたわ。心優しいお姉さまは、あの怯える蝿どもにも手を差し伸べてましたわ」
「まぁアムらしいね」
パトリシアさんが『蝿ども』と呼ぶのは、アムの取り巻きの女性達の事だ。
俺は、いつも親の仇の如く睨まれているので、彼女達との交流は一切ない。
アム曰く、お遊びでアムを王子様役にして楽しんでいるらしいが……彼女達の、あの恐ろしい視線からは、そうとは思えない力強さを感じる。
アムの不利益にならなければ、俺が口を挿む事では無いな……うん。
「あんな輩共、お姉さま自ら相手になどしなくてよいのに……おっとソニアの事でしたね。少々驚き疲れて、今は自室で休んでいますわ」
「そっか。でも、無理せず休むのが一番だよ」
「ええ。ゆっくり休むのが一番ですわ。何も出来ぬ時に、じたばたと暴れても仕方がありませんもの」
「パトリシアさんは落ち着いてるね」
「ええ。私には、お姉さまが居ますので」
パトリシアさんの目尻が、僅かに下がった。
その小さな変化からでも、彼女がアムの事を大切にしていると分かる。
「むしろアムの事、宜しく」
「ええ。ですが、マルクさんは側に居て差し上げませんの?」
「そんなに側には居れないから」
「フフッ。お姉さまも大変ですわね」
「まぁ、よく迷惑は掛けてるよ……」
クスッと笑うパトリシアさんと共に、アムの話をしながら実験場へと向かう。
実験場は、研究棟から少し離れた場所にある。
近すぎると何かあった時に困るので、多少の不便は仕方が無いのだろう。
実験場は、昔あった円形闘技場をそのまま再利用した施設であり、学び舎の子供達の卒業試験の会場でもある。
実験場に演習場。
どちらも広く、町の中なのに贅沢な敷地の使い方であるが、魔法の危険性を考えれば、むしろ狭いぐらいだ。
実験場へと足を踏み入れ、保護と秘匿の為に仕掛けてある魔法の膜を抜ける。
膜を通り抜けた瞬間、中からアムの魔力を感じた。
実験場に居るのだから当然だが、何かの魔法を使っていたらしい。
石造りの通路を抜け、広い空間へ出ると、上空に作った魔法の光に照らされたアムとパック先生の姿が見えた。
広い敷地の中央で、アムが膝に手を置きながら肩で息をしている。
荒い呼吸に合わせ、赤い髪が揺ら揺らと揺れていた。
アムの隣に立つパック先生は、今日も三角帽を被り、高い鼻をアムへ向けながら何かを差し出していた……あれは魔力回復用の赤色ポーションだ。
大きな鞄を二つ身につけた姿は、ピュテルの町の防衛戦を思い出す。
「アム、パック先生。こんばんは」
遠くから声を掛けてみると、二人は即座にこちらを見た。
特にアムの反応速度が速い。
少し前屈みであった体を真っ直ぐに伸ばし、途中までポーションに伸びていた手で、赤い髪をサラリとかきあげた。
さも、先程からそうしていたと言わんばかりに……。
「やぁ、マルク。こんな所までどうしたんだい?」
「こんばんは、マルク君。アム君をちょっと借りてるよ」
パック先生がアムを『借りてる』と言ったが、嘘だ。
先生がアムの用事に付き合っているのは、先程聞いたばかりである。
俺は、格好つけるアムと、軽く手を挙げ笑うパック先生の元へと歩み寄った。
アムの視線が、俺からパトリシアさんへと動く。
「なるほど。パットはマルクを捕まえる才能があるのかな?」
「いえ。見掛ける度に、その都度確保しているだけですわ」
「確保って……まぁいいけど。所で二人して何を? パトリシアさんは教えてくれなくてさ」
アムとパック先生が目を合わせた。
何かが通じ合ったのだろう。
二人同時に頷き、二人同時に声を上げた。
「内緒さ」「ヒ・ミ・ツ」
芝居がかったアムと、口に人差し指を立てお道化るパック先生。
話してくれる気は、無いらしい。
口が堅いのは、よーく分かった……よし。自分で調べよう。
実験場に満ちた魔力はアムの物だ。
魔法を行使していない今も残り続けている事を考えるに、大きな魔法を大量に放った残り香のようなものだろう。
そしてこの魔力の感覚は……氷……凍結……そして、俺が先程まで訓練していたそれと酷似している。
「あぁ、絶氷の棺か」
「全く。マルクは、そういう勘だけは鋭いね」
「アムの魔力は分かり易いからな」
俺の言葉に対し、首を傾げるパック先生とパトリシアさん。
別段、アムの魔力が特別な訳では無い。馴染み深い魔力なだけだ。
魔法の見極めも、自分の知る魔法だからであって、何でも分かる訳じゃ無い。
だが、それで秘密にする理由も分かった。
魔法の訓練なんて、普通は人に知られぬ様にするものだ。
強大で、世間に広まっていない魔法ならば尚の事。
「すまん。訓練の邪魔したみたいだな」
「ん、あぁ……気にしないでも良いさ」
美少年の如き整った顔に笑みを浮かべながら言葉を返すアム。
だが、どこか歯切れが悪い……秘密特訓を見られて、ばつが悪いのだろうか?
アムの様子を見るパック先生とパトリシアさんは、どこか楽し気である。
「アハハ。マルク君も来てしまった事だし、今日の『訓練』は終わりにしようか」
「ええ。そう『訓練』ばかりしていては体が持ちませんわ、お姉さま」
ん?
やけに『訓練』という言葉に力が入っているような……まぁ気のせいだろう。
「フッ、そうだね。マルクには来て早々悪いけど、帰るとしようか」
「顔見せに来ただけなのに悪いな。途中まで送るよ」
「テラさんは良いのかい?」
アムの問いを受け、俺の頭に、口を膨らませたテラさんの姿がよぎった。
あとで謝らないとな……だが今は、アム達を優先すべきだ。
「駄目だな。きっと俺が帰る頃には、お腹を空かせてる。けど、アムとパック先生も放っておけないだろ?」
「君は、そう言う所は律儀なんだよね」
「マルク君は、いい男さ」
「フフッ。私は何も言いませんわよ」
女性三人がクスクスと笑いながら、歩き出した。
先程まで通ってきた道を、そのまま引き返す様に。
「マルク。研究棟までエスコートを御願いしようかな」
「仰せのままに、レディ」
「マルクは、その冗談好きだね」
噴き出しそうなパック先生のことは、放っておこう。
女性三人の会話に飲まれながら、俺は夜の道を護衛しながら進む。
別に不必要ではあるが、承った以上、真面目にやらねばな。
無事到着した研究棟の入口にて三人と別れる……時間なんて、あっという間だ。
正直顔を出した意味は、無いな。
それでも、元気な様子が見れただけ良しとしよう。
アムが訓練を頑張っている事を知れただけで、満足だ。
あれ? パック先生に会いに来た筈なのに……まぁ良いか。
いつも通りのパック先生だったからな。
また今度顔を見に来て、その時にでも話をすればいい。
今度は、テラさんと一緒に。
臀部に軽い衝撃が走る。
テラさんの手の平が、俺の尻を直撃したからである。
「遅いのじゃ。腹と背中がくっつきそうじゃぞ」
屋敷に戻った俺を待っていたのは、頬を膨らませ、長い耳をピンッと張ったテラさんであった。
出入り口を開けた先で、テラさんはドッシリと立っていた。
そして、高速で接近したテラさんから貰った一撃が、先程の尻への平手である。
口では空腹の事を言っているが、別の事で怒っている事ぐらい俺にも分かる。
「心配をおかけして、すみません」
「むぅ。分かっておるなら、よい。何をしておったかは道すがら聞こうぞ」
「はい。狼のまんぷく亭へ」
屋敷の魔工石へ、この場から魔力を通し、灯りを消す。
そのまま扉に鍵を掛け、先に歩き出したテラさんの隣へと移動する。
俺をチラッと見上げたテラさんの表情は、夜の道でも明るい。
「腹が減っておるのは、本当じゃからな」
「はい。俺もです」
「お主の所為じゃろうが」
もう一発飛んできたが、今度は、背中にペチッと優しい一撃であった。
「あはは。ごめんテラさん。実は訓練の後、パック先生の所へ……」
俺の短い話を、頷きながら聞いてくれるテラさん。
アムが絶氷の棺の訓練をしていた事は話せないので、本当に短い話だ。
それでも、この時間は楽しい。
互いの知らぬ間の事を語り合う。
そう、こんないつもの光景が、やっぱり好きだ。




