550.戦う意思
愛馬の食事を三人で眺めた後、俺は独り、ミュール様の元へと向かった。
シャーリーとテラさん、二人一緒ならば、大丈夫だろう。
二人は猫の日向でお茶を楽しんでから、道具屋へ戻るそうだ……一緒に居たい気持ちを、抑えねば、訓練をすっぽかしかねない誘惑である。
猫の日向のお茶と菓子は、絶品だ。
誘惑を跳ねのけ、女王の塔へ辿り着いた自分を褒めたいぐらいだな……。
「ふぅ。行くか」
気持ちを切り替え、女王の塔の中へと入る。
暗い室内を歩くと、そこに転移陣がある。
そして魔力が通り、光始めた転移陣は、俺の視界を眩い光で包み込んだ。
光が徐々に治まると、そこは既に転移後のお茶会の部屋であった。
今日は、訓練をする部屋へ直行では無いのだな。
「お待たせしました、ミュール様」
「いえ。丁度良い時間ですよ。さぁマルク、座って」
中央に置かれた丸い卓。
皺一つ無い白い布を掛けた卓の上には、細い花瓶と凍った一輪の赤い花。そして、既にお茶の入ったカップが二つ。
一つは、座るミュール様の前に置かれ、もう一つは、ミュール様の真正面に設置された椅子の前に置かれていた。
なぜだろう……今日は真横で無いことが、少し寂しく思えてしまった。
この椅子の配置が、普通なのにな。
「失礼します」
椅子に腰掛け、真正面にミュール様を捉える。
柔らかな微笑みも、美味しいお茶も、冷たい魔力も、心地良い。
暖かいお茶なのに、暑い日差しに熱された体を冷やしてくれる。
「ふぅ。このままのんびりしたいですね」
「ええ。そうですね」
訓練をしなければならないのは、分かっている。
それでも、僅かな時間、ただ、無言で、ミュール様のお茶を楽しむ。
ささやかだが、ミュール様との時間を浪費している今は、贅沢な時間だな。
「よし、落ち着きました。本題に入りましょう」
「フフッ。私は、このままでも構いませんよ」
「いえ、聞きたい事もありますので」
「あら、残念」
そう言って、ミュール様はカップを持ち上げた。
俺は、ミュール様がカップを下ろすのを待ち、そして口を開いた。
「邪竜の動向と、討伐隊との合流の為、いつ町を出ればいいかのご相談を」
「はい、まず邪竜ですが、今は動きを見せていないようですね」
それは、分かる。
この町にも時折吹き付ける、淀んだ魔力を含んだ風が、まだ大人しい。
邪竜が動き始めれば、当然、その魔力も大きくなる。
「ミュール様。どれ程、今の状態が続くのでしょう?」
「不安ですか?」
「まぁ、少し。ですがそれと同じくらい、予定の立たぬ状況が気持ち悪いです」
決戦の日取りが決まらねば、この小さなモヤモヤも消えぬだろう。
ミュール様のお茶で、この気持ちを流そうにも、流れるようなものでは無い。
残念ながら。
ミュール様は、俺の感情を見透かすように、銀の瞳で俺を見つめていた。
「目の前のモンスターを倒す。その方が、マルクに似合っている気はしますね」
「たしかに。行って、倒す。現れたら、倒す。その方が楽です」
「フフッ。思ったより気負いしていませんね」
「まぁ、考え過ぎても意味が無いので」
邪竜の事。悩みも考えもするが、考え過ぎても無意味である。
ならば訓練に力を入れる方が得策だ。
そして、訓練前に予定を聞いておけば、集中もし易いというもの。
「さて、討伐隊の話でしたね。マルクは何処まで知っていますか?」
「金獅子と騎士団を中心に結成されたと聞いています」
「はい。現在王都にて、戦いの準備中です。白蛇、フクロウ、宮廷魔術師も力添えを。魔術師隊はタキオンさんが指揮を取るそうですよ」
「タキオンさんが……それは、頼もしい」
だが、筆頭宮廷魔術師のタキオンさんが前線に出るというのは、王国として、それで良いのだろうか? まぁ、俺が考えても仕方の無い事だな。
信頼できる力が増えたのだ。純粋に喜ぶべきだ。
「ミュール様。バルザックパーティーも参加する予定ですが、現状の戦力で勝てると思いますか?」
「マルク抜き、と言う事ですね……撤退させる事すら出来ず、全滅するでしょう」
「厳しい評価だ……」
「残念ながら邪竜は、そう甘く見積もれる相手ではないの」
俺は言葉を返す前に、大きく頷いた。
実際に戦わねば分からないが、甘い相手では無いのは間違いない。
だが、邪竜がどれだけ恐ろしい存在であろうと、関係ない。
バルザックさん達も、タキオンさんも、戦いに赴く皆も、無駄に散らして良い命などない。
ミュール様の予測は、俺と云う一手で覆さねば。
そして、皆で、勝利を。
「全滅が免れないなら、余計に引けないですよね」
「マルクは、怖くは無いのですか?」
「当然、怖いです。でもそれは、いつもと同じ……モンスターとの戦いでは、死の恐怖は、いつだって隣にありますから」
足捌き一つ失敗すれば、この身を両断する力を持つモンスターは多い。
一つの魔法を失敗すれば、共に戦う人々を焼き尽くさんとするモンスターも。
一瞬の油断で、骨も肉も粉砕してくるモンスターも珍しくはない。
いつだって、モンスターとの戦いは、死と隣り合わせだ。
気が楽なのは、安全圏から魔法を放てる時だけだろう。
だが、邪竜との戦いは、最前線で炎帝竜の大剣を振るう事となる。
安全圏など、無い。
目の前には巨大な竜。
振るう爪も牙も尾も、身に受ければ致死の一撃だろう。
そして吐く黒い炎は、身を焼き、侵し、塵へと変える。
恐ろしいに決まっている。
だが、死と紙一重で戦う事になっても、死を覚悟した行動を取る事になっても、死ぬつもりは毛頭無い。
いつだって、そうだ。
「怖くても、モンスターは俺が討伐します。あと、生きて帰らないと、シャーリーやアム。それとテラさんに怒られますから」
「フフッ。私も怒りますよ」
「絶対に生きて帰ります!」
ミュール様に怒られるのは、特に御免だ。
背を伸ばし、そう答えた俺に返って来たのは、真剣なミュール様の姿であった。
「ねぇ、マルク。前からあなたに聞きたい事があったの」
「はい。何でも聞いてください」
他者の醜聞や秘密以外なら、何でも答えるつもりだ。
ミュール様の切れ長な目元の奥から、銀の瞳が俺の目を捉えている。
俺は、目に捕らえられ、ミュール様から視線を外せないでいた。
「なぜマルクは、私に共に戦ってくれと言わないのですか?」
「え?」
不思議な質問に、戸惑いの声が口から洩れた。
なぜって――考える前に、ミュール様が言葉を続ける。
「テーベ平原の時もそうです。ダークトレントやファイアーワイバーン程度ならまだしも、助けを求める事が出来た地竜との戦いですら、私に『戦え』といいませんでしたね。浸食の悪魔の時など特に」
「ええっと……今も助言や鍛錬に付き合って貰っていますし。実際に俺は、かなり助かっているんですが」
「そうではなく、直接的な話です」
「直接的……」
ミュール様が直接戦うって事か?
モンスター相手に……恐らくだが、ミュール様はモンスターと戦うの嫌いなんだよな……なら答えは一つだろう。
「そもそも、ミュール様が戦う理由が無いじゃないですか」
ミュール様が挙げた例は、全てミュール様が戦う理由のない例だ。
そして今回の邪竜討伐も……ミュール様は、一体何を聞きたいのだろう?
『なぜ?』を問うのは、考えを伝えてからでも良いか。
俺は、銀の瞳を見返しながら、言葉を続ける事にした。
「戦いたくない人に、戦えなんて言えませんよ。生きる為だったり、叶えたい望みがあるって言うなら、自分で戦うしかないですけど」
「私は、今のマルクよりも強いという自負があります」
「実際、俺だと手も足も出ないと思います」
魔力一つで殺されかねない。
ミュール様の魔力が体に浸透している今だと、勝ち目は無きに等しい。
まぁ、ミュール様はそんな事はしないと知っているから、恐怖は無いけど。
「ならば、頼りたくはなりませんか? いえ、事実多くの者が口にしてきました。お前が倒せ。お前が殺せ、と」
「それまた無責任な奴らですね」
つい二日前に、アムから聞いた話を思い出してしまった。
『マルクが何とかしてくれる』だったか……。
「力があるから戦え、だなんて、俺は御免です。自分の命も、力も、知らぬ誰かの為に使っている訳じゃないですから」
「そう言いながら、マルクは、知らぬ誰かの為に戦い続けているではないですか。私には、それを求めないの?」
「俺はただ、モンスターの脅威を放っておけない……ちょっと面倒臭い奴なだけですよ。俺の生き方を誰かに強要だなんて、間違っても御免です」
「私が邪竜と戦えば、マルクにとって大事な人が、黒き炎の危険に晒される事はありませんよ。それでも、私に戦えと言わないのですか?」
きっと返答一つで、ミュール様は俺を見限るだろう。
だとしても、俺の答えは決まっている。
「言いません。ミュール様が戦いたくないのなら、戦わなくて良いです。もしも、ミュール様が戦わないといけない相手が出て来たのなら……その時は、俺に任せて下さい。代わりに俺が、倒してみせます」
「フッ、ウフフ……そうね。その時は、お願いします」
そう言った後、ミュール様は口元を手で隠しながら笑い続けた。
涼やかで、心地の良い笑い声が、耳から溶け込んでくる。
暫く、黙って聞いていよう。
俺は、カップを口に運び、少し温度の下がったお茶を飲んだ。
ミュール様のお茶は、変わらず美味しい。
別に戦う事に魔法を使わなくても、ミュール様は良き御方である。
それは、このお茶が証明してくれている。




