542.続く訓練とドレイク先生
俺は今、独り、女王の塔の何もない部屋で、浮かぶ水と相対しながら、魔法の訓練をしていた。
大量の水の中には、ふわふわ動く氷があり、障害物として機能している。
俺はその水の中で、絶氷の棺そのものである青い結晶を泳がせ続けている。
今にも力を解放したがっている結晶を、魔力制御で抑え付けながら、動かす。
長く、長く、ひたすら長く。
これを耐えれぬのならば、絶氷の棺を遠くへ飛ばす事は出来ない。
母は、魔術師らしく遠くから魔法を放ち、如何なる相手も氷像へ作り替えていたらしい。
たとえ、千のモンスターが押し寄せて来ても、群れの中で力を解放させ、一面を氷の世界に作り替えていたそうな……今の俺には、出来ない技だな。
今は、ひたすらに訓練を。
母とて、一足飛びでアレコレと出来ていたとは思えない。
反復的な練習を欠かさずに、一歩一歩だ。
動かす度に魔力制御が綻び始め。力の解放を抑える事が困難になる。
気を引き締めて、集中しよう。
内緒の話へ向かうミュール様とテラさんへ宣言したのだ。
帰って来るまで、耐えてみせる、と。
集中……集中…………。
いったい、どれ程の時間が経ったのだろうか?
ふと、ミュール様の魔力を感じた……が、出迎えに視線を向ける余裕すらない。
俺は青い結晶を睨みつけながら、顔から変な汗を流していた。
冷や汗とも違う、滲み出て来る汗を。
「ウフフ。宣言通り、耐えきりましたね」
「マ、マルクや。大丈夫かえ?」
「だい、じょうぶ、です……」
二人の声が聞こえても、まだ耐久を続ける。
こうなったなら、いつまで保てるか……己との勝負だ。
耐える……耐える……耐える……。
視線の先で、青い結晶と氷が衝突した――瞬間、力の解放がなされた。
弾ける様に広がった凍結の魔力は、水と凍らせ、氷を再び凍らせた。
凍結の魔力は、選び、狙った全てを氷漬けにする。物質だけでなく、水と氷に含まれたミュール様の魔力も含め、全てを。
俺の膝が、いつの間にか石畳に接していた。そのまま腰も落ちる。
石畳に座ったまま、俺は大きく息を吸い……長く息を吐いた…………。
体を落ち着かせる、単純な深呼吸。
「お疲れ様なのじゃ。ほれ、汗、拭かんか」
「ありがとう、テラさん」
俺のバックパックから布を取り出したテラさんが、俺の顔を拭いてくれる。
正直手も動かしたくない気分だったので、ありがたい。
少し押し付ける様に当たる布が、不快な汗を吸っていく。
人に顔を拭かれるというのは、奇妙な感覚だ。
俺は押される感覚のままに、背を石畳へつけ、ゆっくりと後頭部を寝かせた。
「これ、動くでない」
「すみません」
ゆっくりと呼吸する。
深く吸い、長く吐く。これを繰り返す。
屈んだテラさんに、顔をフニフニと拭かれながら、心を落ち着かせる。
魔力的な消耗でも、体力的な消耗でもない。
ポーションは飲まず、ただ、精神を、休ませる。
テラさんの手が俺の顔から離れた。
俺を覗き込むテラさんが、大きく頷いた。
「これで良いじゃろう。体も拭くとするかのぅ」
「そっちは良いので。もう少しこのままで」
「何じゃつまらんのぅ。ならば目を閉じ、休むのじゃ」
そう言ってテラさんは、俺のおでこに手を当てた。
俺がテラさんの言葉に従い、目を閉じると、柔らかな魔力が俺を包み込んだ。
テラさんの魔力だ。
生命の力を感じる、温かな魔力……自然と体から力が抜けるのが、分かる。
心地良さに身と心を任せ、俺は、ただ、ただ魔力を感じていた。
「寝るでないぞ」
「……はい」
このまま意識を手放し、眠ろうとしたのは、黙っていよう。
クスクスと小さく笑うミュール様の声が聞こえるが、気にしてはいけない。
まだ張り詰めている意識が、ミュール様の行いを感じ取らせた。
指で弾かれた巨大な氷は、そのまま女王の塔へと喰われるように消えていった。
たとえ目を瞑っていても、それくらいは魔力の流れで分かる。
喰われた魔力が、女王の塔を駆け巡り、そして上へと移動し始める。
俺がこの場で放った魔力は、上へ行った後、どうなるのだろうか……魔力の行方を追えるのは、ここまでだ。
ここから先は、靄が掛かっていて、感知出来ない。
まぁ、ミュール様が何かの役に立てているのだろう。
気にせず、張り詰めた意識を解しておかないとな。
柔らかなテラさんの魔力に包まれ休憩すると、人心地が付く。
まだ訓練は続く。
同じ訓練を、何度も、何度も。
訓練を終え、テラさんと二人、町を歩く。
もう夕陽は落ち、魔工石の灯りが町中を照らしている。
そのまま夕食へ、と行きたい所ではあるが、先に顔を出しておきたい場所があった。重要な用事で。
今なら、店も空いているだろう。
「なるほどのぅ、ここであったか」
「はい。顔を出しておこうかと」
見上げた看板には『ドレイク・パブロフの店』とだけ書かれている。
相変わらず、何の店か分からない看板だ。
俺は扉を開け、テラさんと共に中へと進んだ。
「あっ、マルク君とテラちゃんだ。いらっしゃーい」
出迎えてくれたのは、いつも受付に居る女性、ディアーヌさんだ。
愛らしい丸い顔を桃色の髪で包んだ、見た目二十歳程の女性である。
俺が子供の頃から、見た目が全く変わっていないので、実年齢は……不明だ。
「こんにちは、ディアさん」「ディアーヌよ、お邪魔するのじゃ」
中に入るとお客さん、もとい患者さんは一人も居なかった。
ディアーヌさんも暇だったのだろうな。
ディアーヌさんが、俺のつま先から頭の頂点まで目を走らせ、言った。
「今日は、診察? 魔力空っぽだけど、だいじょーぶ?」
「これはいつもの事ですから。今日はドレイク先生にご相談が」
「せんせーなら、奥でのんびりしてるから、好きに入っていいよー」
「ありがとうございます、ディアさん」
あっ。一応秘密の相談事なので、テラさんはご遠慮いただこう。
「テラさん。ここで待ってて貰っても良いですか?」
「ふーむ。内緒の話なのじゃな。悪だくみは程々にするのじゃぞ」
「あはは。はい、いってきます」
「うむ、いってらっしゃいなのじゃ」「いってらっしゃーい」
手を振り見送る二人に手を振り返し、俺は店の奥へと進んだ。
重厚な扉の前で呼吸を整える……良し。
そして三度、扉を叩いた。
「マルクか。入れ」
「はい、失礼します」
入室の許可を貰い、扉を開けると、ふわっと広がる淡い花の香りがした。
強すぎず、心が落ち着く香りだ。
俺は扉を閉め、ドレイク先生へと近付いた。
ドレイク先生は、机に向かって書き物をしている最中である。邪魔せぬ様に、もう一脚の椅子に座って待っていよう。
ドレイク先生は、顔は面長で肌が青白く、目立つ白髪をした男性だ。
教会から離れた先生は、この町で回復術士として治癒の店を開いている。
俺も昔から世話になっている人である。
紙に走る羽根筆の軽快な音を聞きながら、暫し待機だ。
そして音が止まり、ドレイク先生が羽根をそっと置き、こちらを向いた。
生気を失った目は、ドレイク先生の疲れを表しているのだろう。
「怪我は無いな。何と戦ってきた?」
「魔力が無いのは、ただの訓練だよ。先生こそ大丈夫?」
「今日は、いらん患者が多くてな……」
いらん患者……体に不調のない人が、大量に押し寄せて来たのだろう。
ドレイク先生も大変だな。
「町は落ち着いている様に見えても、不安は消えないんだろうね」
「だからといって、ここに来ても、何も出来んのだがな。あの風を浴びても、体は悪くならん」
「頼られてるって事で」
目頭を揉むドレイク先生が、フッと一笑した。
そこに侮蔑は感じず、ただ、笑っただけの様である。
「そう言う事にしておくか。で、今日は何の用だ? 冷やかしでもなければ、この前の傷の経過報告に来た訳でもあるまい」
「来た方が、良かったですか?」
「当たり前だ。万全に治してあるが、万が一がある」
「次からは、気を付けます……」
「ああ。次からは、な」
再び笑みを零したドレイク先生へ、俺は本題に入る事にした。
邪竜と戦う上で、重要な話を。




