529.ありふれた光景が続く事を
道具屋『鴨の葱』の店内に入ると、カウンターの奥で話をするテラさんとリンダさんの姿が見えた。
リンダさんは、今日も恰幅が良く、肌艶も良い……元気で嬉しい限りだ。
視線が、俺へと向き、二人の口角がニヤッと上がった。
「やぁ、マルク。いらっしゃい。テラさんから話は聞いてるよ。テラさんやアムちゃんの分まで奢ってあげてるだなんて、太っ腹な男に育ったねぇ。おばちゃんも、今度何処か食事にでも誘って欲しいくらいさ。駄目かい? ならシャーリーを誘ってやんな。それならいいだろう、マルク」
「こんにちは、リンダおばさん。ちなみに、一緒に食事に行くのは大歓迎ですよ」
「うむ。マルクが、お主との食事を断る訳がなかろう」
リンダさんの隣で、テラさんが、二度三度と頷いている。
「アハハ、そうかい。おばちゃん嬉しいよ。でも、流石のマルクでも、おばちゃんと食事に行くより、可愛い女の子と一緒の方が嬉しいだろう?」
「そんなこと無いですよ」
『流石のマルク』ってリンダさんの中の俺は、どんな男なのだろうか……そもそも、可愛い女の子かどうかよりも、見知った仲かどうかの方が、大切な点だ。
会った事のない人を、あれこれ言うのは好きでは無いが――
「ネメア姫とリンダおばさん。二人に同時に誘われたら、俺は、リンダおばさんと食事に行きますよ」
「アハハハハ。それは、流石に姫様を選んであげな」
「マルクなら、本当にリンダを選びかねんからのぅ」
リンダさんは、大きな体を揺らしながら嬉しそうに笑う。
テラさんも呆れたような声を出しているが、その口元は柔らかであった。
「でも困ったねぇ。おばちゃんが、そうやってマルクを独占しちまうと、シャーリーが嫉妬しちまうからねぇ……マルクが一人なのが悩ましいよ」
「リンダや。このような男が何人も居ったら、心労で身と心が持たんのじゃ」
「ハッハッハ。違いない」
俺が二人、三人いたらか……便利だな。
俺がモンスターに突撃して、他の俺が後ろから魔法を……いや、全員俺なら全員突撃するだけか……それはそれで、役に立つな。
まぁ、残念ながら俺は一人しかいない。
戦うのも、食事に行けるのも、この体一つだ。
だからこそ、戦う俺を心配してくれているのだろうな……。
「なんというか、ご心配お掛けして、すみません」
「良い良い。お主はそのまま前に進むのじゃ」
「そうだよマルク。何やってたって、おばちゃん達のマルクを心配する気持ちは変わらないからね。真っ直ぐ生きてりゃ、それで良いのさ」
二人の柔らかな眼差しが、命を危険に晒してばかりの俺の心に突き刺さる。
とは言え困った事に、俺は多種多彩な戦い方なんて知らないからなぁ。
きっと、これからも二人には心配かけてしまうだろう。
だからと卑屈になって、及び腰になるのは、二人も望まないか。
なら伝えるべき言葉は一つだ。
「ありがとう、リンダおばさん、テラさん」
「ハッハッハ。お礼の言える良い子は、上でシャーリー達とお茶でもしてきな」
「うむ。わしら二人は、女子同士のお喋りがあるからのぅ」
「はい。では、お邪魔します」
リンダさんの『お茶』で思い出した。
シャーリーに、魔法で出す茶を飲ませたかったのだった。
今の内に、魔法の準備を……たっぷりのお湯と、その中で躍り、踊る茶葉達を。
俺は、シャーリーとアムの待つ二階へ上がりながら、想像していた。
茶を飲んだシャーリーの姿を……その笑顔を。
そして俺が二階の居間へと辿り着くと、そこにはお茶を囲み、談笑するシャーリー、アム、ビィの三人が居た……アムが来たのにお茶も出さないシャーリーじゃないよな。当然か。
それでも魔法の茶の準備はそのままに、俺は三人の元へと向かった。
「邪魔するよ」
「いらっしゃい、お兄ちゃん。少し温くなったお茶で良い?」
「飲む」
「ふーん」
笑顔で出迎えてくれたシャーリーと違い、アムは何か言いたげな目で俺を見ていた。まぁ、十中八九、今、準備中の魔法と魔力の事だろう。
お茶を注ぐシャーリーの隣で、ビィも、不思議そうな目で俺を見ているからな。
ビィは、シャーリーの妹で、魔法を学ぶ『学び舎』に通う十歳の少女である。
顔立ちはリンダさんやシャーリーに似て、愛くるしい。
父親似の少し暗い茶の髪をしており、その毛先が、今日も外側へと跳ねている。
この時間に、ここに居ると言う事は、急遽学び舎から家に帰って来たのだろう。
フクロウの瞳も邪竜云々と騒いでいる時に、子供達の世話はしていられないか。
俺は、ソファに近付き、アムの隣に腰を下ろした。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、シャーリー」
雑多に物に囲まれた生活空間。
うちの屋敷とは違い、リンダさんが、シャーリーが、ハイスが、ビィが、そして偶にヒューイさんが暮らしていると分かる、この、人の息吹を感じる居間……さらにシャーリーの淹れてくれたお茶……落ち着く。
温めのお茶が香りを残しながら、喉へと吸い込まれていく。
俺の口から、長い息が零れた。
「ねぇ、ねぇマルク兄ちゃん」
「ん? どうした? ビィ」
「何の魔法を使おうとしてるの? あっ、分かった。私達の服を透視する魔法だ」
「唐突に何を言いだすんだ? 違うって」
「なーんだ」
ビィはガッカリした表情を隠しもせずに、背もたれへ体を預けた。
いや、そんな魔法、俺に使われたら、自分の裸も見られると分かっているのか?
シャーリーは、ビィの戯言を聞きもせずに、平然とお茶を飲んでいる。
そしてアム、なぜ引きつった顔で俺を見ている……そんな魔法知らないからな。
「アム、茶の魔法だ」
「ふぅ、だよね……マルクなら、そんな変な魔法も知ってるかと思ったよ」
「知らんよ。それに、もし知ってても使わないっての」
「お兄ちゃん、そう言う所は真面目だもんね」
なぜかシャーリーが、冷ややかな視線を俺に向けて来た……何故?
視線の意味を理解できない俺の耳に、アムの小さく笑う声が届いた。
「フフッ。もし女性の服の下を覗く魔法なんて覚えていたら、フクロウの名において、マルクを処分する必要があるだろうね」
「その死に様は……嫌だな」
女性の裸を覗き見る魔法を作った罪で、フクロウの学派員達に囲まれる姿は、情けなく、辛い光景だ。
実際、殺されるなんて事はないだろうが、その魔法を使えなくする為に、何をされるのかを考えると……恐ろしいな、フクロウの瞳。
「お兄ちゃん? 茶の魔法って?」
「ほら、前に話しただろ? 母さんが茶葉の無い家で、どうやってお茶を用意していたのかって。あの魔法、使えるようになったから、シャーリーにお披露目をな」
俺がそう言うと、シャーリーはグイッとカップを呷った。
そして、空になったカップを俺へと差し出す。
「すまん。今、準備中だ」
「うん。待ってる」
カップを持った手は引っ込めてくれたが、シャーリーの期待に満ちた視線は、俺に向けられたままである。
「期待しても普通の茶だぞ、シャーリー」
「でもお兄ちゃんのお茶でしょ? マリアおばさんのでも、フクロウさんのでもなくて」
「まぁ、な」
「えへへ。なら期待たっぷりだよ」
うーん。
飲む前から笑顔たっぷりなのは嬉しいのだが、茶を飲んだ時にガッカリされないか不安になってくるな。
「ねぇアムさん。私もお茶、出したい!」
「ビィ。残念ながら、僕にも無理なんだ」
「えー。アムさんに出来ないなら、私には一生無理だよ」
「僕も、そんな不可思議な魔法を使う人は、今、シャーリーの言った三人しか知らないからね」
「そっかー。なら私は飲む専門でいいや」
ビィは、既に空であったカップを指でトントンと叩く。
その手首にシャーリーの手刀が打ち込まれた。
手首をさするビィに、シャーリーが苦言を呈する。
「お行儀悪いよ、ビィ」
「さっきのお姉ちゃんに、そのまま言ったら?」
「私は、良いの」
ビィから視線を逸らすシャーリーと、それを見てニヤリと笑うビィ。
そして、それを見て微笑むアム。
穏やかで、ゆったりとした時間だ。
いつまでも、いつまでも、こんな光景を見続けられたら良いのにな……。




