519.目覚めを感じて
「お待たせしました」
「うむ。助かるのじゃ」
食堂にて編み物をしていたテラさんへ、茶を出す。
先程、猫の日向の茶葉で淹れた茶を冷やしたものだ。
魔法で出してばかりでは、折角の美味しい茶葉が勿体ない。
俺はテラさんの正面に座り、茶を頂く。
口に含むと少しの渋みを残し、果実の如き甘い香りが、鼻を通り抜けた。
冷たい茶は、喉を通った後の清涼感が、堪らない。
それに、やはり魔法で出した茶とは香りが違うな……これで喫茶『猫の日向』で二番目に安い茶葉というのだから、恐ろしい。
「ふぅ。淹れたお茶も美味いのぅ」
「ええ。おいしい」
テラさんと二人、息を吐き、まったりとする。
もう季節的に暖かな日を通り越し、少し暑い日が続いている。
冷たい茶が、より美味しく感じる季節はもうすぐだ。
ガル兄が作ってくれると言っていた冷風機も、あれば心地良いだろう。自分の魔法で涼むのと、労なく涼めるのとでは、天と地ほどの差がある。
茶を飲み干し、カップを置いた。
その時、不快な魔力の波が、体を貫いた。
ダークマターか!? モンスターか!?
いや、違う。この気持ち悪い魔力は、知っている。
母と父の顔が浮かぶ。決意に満ちた顔が。
「な!? 何じゃ、今のは!?」
子供の頃、いや、十年前に感じた魔力……これは――
「邪竜の魔力だ……」
「何じゃと! これが……まて、ならば!」
「前と同じならば、邪竜は、もう」
今すぐ屋敷を飛び出したい気持ちを、深呼吸し、落ち着かせる。
大きく吸って……長く吐く…………。
大丈夫だ。正面のテラさんが意識の中に入ってくる。
驚きと不安が入り混じった表情をしている。銀の髪から伸びる長い耳も、警戒の表れか、ピンッと張っていた。
「マルクや、逸るでないぞ」
「大丈夫です、テラさん」
「うむ。どう動くにせよ、まずは情報収集じゃ」
テラさんが大きく頷きながら、そう言ってくれた。
テラさんの言葉一つで、自分の中の焦りが消え、落ち着きを取り戻していく。
昔の俺だったら、どうしていただろう?
冒険者であった頃の、テラさんと出会う前の俺だったら。
我、関せずとモンスターを狩っていただろうか?
復活したであろう邪竜を探しに飛び出していただろうか?
もしもの自分は、ここにはいない。
居るのは、今の自分だけだ。
そう、まずは情報を収集しよう。
十年前と同じであれば、まだ時間はある筈だ。
目覚めを報せる魔力の波。淀んだ風、焼かれる村々、そして……。
俺は、どうする?
それを決断する為にも、情報が必要なんだろう?
自分に再び言い聞かせ、俺は椅子から立ち上がった。
「テラさん。少しミュール様の所へ行って来ます」
「わしも共にじゃ」
「はい。一緒に」
「うむ」
カップもティーポットの中に残った茶も、編み棒も毛玉も残したまま、俺とテラさんは、屋敷を出た。
そのまま開け放たれた門へ向かう俺の頭に、馴染む重みが、スッと乗った。
「おぉ。お主か」
「やぁ、お疲れ、フクロウ」
頭から真っ直ぐ掛かる重みと、ほぅほぅと聞こえる癒しの声から白いフクロウが頭に乗った事が分かった。
おっと、今はミュール様が優先だ。
頭の中で、ミュール様へ話し掛ける。
『ミュール様、邪竜が』
「復活、したのでしょう」
『もしかして、淀みの剣がモルスの手に?』
「いえ。モーリアンさんの手によって、先程、封印は成功しました。我々の思惑とは関係なく、モルスの者の手によって、復活の準備が進んでいたのでしょう……」
頭の中に響くミュール様の声から、少しの歯がゆさを感じた。
ミュール様であれ、思うように事は進まないのだろう。
『ミュール様、今は何をすべきかです。情報を集めに行きたいと思います』
「マルク。残念ですが、フクロウと鉄骨龍は、今、自らを落ちつかせる事で手一杯です。何処へ行っても、情報などありませんよ」
『うっ。そう、ですよね』
事の成り行きを知っている人間など、いる訳が無かったな……少し落ち着こう。
「そう、今は落ち着いて、事の動きを見守っていて。恐らく五日ほどは時間がある筈です」
『昔と同じならば、ですね』
「はい。町も、想像よりは落ち着きを保っていますし、フクロウの情報と動向は、マルクにも伝えますので、今は、屋敷から動かないように」
『分かりました。テラさんと二人で待機しておきます』
それが、今できる最善の手か。
情報一つ無く動き回っても、徒労で終わるだけだ。
そして、動くべき時、動きたい時に動けなくなる。それだけは、御免だ。
『ミュール様、お忙しいのに態々すみません』
「いいえ。私にとってはマルクが無茶をしないかの方が、心配でしたから」
『俺ってそんなに猪突猛進な男に見えますか?』
「フフッ。自分の胸に聞いてみては? では」
楽しそうなミュール様の声を頭の中に残し、白いフクロウは俺の頭の上から飛び立っていった。
翼を広げ、町の空へと、皆を見守る為に上昇していく。
丸くて小さく、愛らしいフクロウも、使命と共に飛ぶ姿は、勇ましさを感じた。
テラさんと話し、フクロウに癒され、ミュール様と話す。
驚くほど落ち着いている自分がいる。
ミュール様の言葉で、邪竜の復活がほぼ確定したにも関わらず。
「ミネルヴァは、何と言っておったのじゃ?」
「今は、どこも混乱しているので、屋敷で大人しくしておけ、と」
「ふむ。時間が経たねば情報も入らぬか……仕方が無いのぅ」
「ミュール様曰く、五日ほどは時間がある筈、と言ってましたので」
「そうか……今はフクロウを信じて、待つとしようぞ」
テラさんは、少し不安気であったが、俺を見て、笑みを浮かべた。
それが俺を落ち着かせる為の作り笑顔だと云う事は、流石に分かる。
こんな時、俺も笑顔で人を落ち着かせることが出来れば良いのだが……ないものねだりをしてもな……。
ならば、せめて、言葉で。
「はい。ゆっくりしていましょう。大丈夫です。もしもの時は、俺が何とかしますから」
「フッ。それが一番心配なのじゃ……世の事などどうでも良い。わしも、恐らくミネルヴァも、お主の事が一番心配なのじゃよ」
「……ありがとう、テラさん」
そうか。やっぱり俺は猪野郎なんだな。
本当に、心配ばかり掛けている……その心配が嬉しいからこそ、俺はこの人達に手を貸したいと……守りたいって思うんだろうな。
笑顔を浮かべたテラさんが、俺の手を掴んで引っ張る。
屋敷へ連れ戻すテラさんに、俺は抵抗しなかった。
するつもりも無かった。
「当然の事じゃ。ほれ、茶が温くなる前に、飲もうぞ」
「そういえば、クッキー、出し忘れてました」
「カッカッカ。お昼が入らん様になるぞい」
出入り口に戻った時、気が付いた。
先程、屋敷を出る際に、鍵を掛け忘れていた事に。
習慣にしているにも関わらず。
思ったよりも焦っていたんだな、俺もテラさんも。
屋敷へ入り、今度は、しっかり鍵を掛ける。
「そこまでお子様じゃないですよ」
「そうじゃな。お主は、立派な男じゃ」
そう言いながらも子供扱いされているのは、知っている。
今も掴まれている、この手もそうだ。
でも、テラさんと、ミュール様相手ならば、それでいい気がしてしまうな……。
今は、ゆっくりと待とう。
テラさんと、茶を飲み、クッキーを摘まみながら。
更に事が動き出すまでは。
その時が来たら、俺はどうするのだろう。
戦うか、静観するか、逃げるか。
すべき事、したい事……決断までの時間は、もう、それ程ない。




