499.不憫な代理
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店番中の俺は今、椅子に座り、黒猫を撫でながら警戒していた。
モーリアンさんの店の中は、異常一つ無く、魔工石が灯っている。
変わらず店内には、俺と黒猫しかいない。
問題は、俺が見ている板張りの壁。
正確には、出入り口である壁の様な空間の中に、魔力が存在している事だ。
魔力は、恐らく人だ……立って、小さく動いている。
あの位置は、壁の中に足を踏み入れた為に、視界が可笑しくなる位置である。
そんな場所に、居座り続ける不審人物が一人。
立ち去る様子も、中へ入ろうとする気配も無い……怪しい。
集中し、魔力の形を認識すれば、その動きも感じ取れる。
小刻みに動く不審者は、女性だ……子供ではない……背は、そう高くないな。
おっ! 歩き出した。
だが、壁から出る事無く、一歩進んだだけで足が止まる。
店内へ姿を現すギリギリの所だ……壁と店の境を見切るとは、出来る不審者だ。
太腿にぺちっと柔らかな感触があったので、撫でる手を再開する。
不審者に注視してしまい、膝の上の黒猫を撫でる手を止めてしまっていた。
そこでふと思う。
不審者は、怪しくはあるものの、不審人物ではないのだろう。
店に入られて面倒な相手ならば、黒猫がモーリアンさんを呼びに行く筈である。
店番中の黒猫が、俺の膝の上で丸くなっているのだ。
問題は、無いのだろう。
とは言え、万が一がある。壁の注視と店内の警戒は厳に。
注視する壁から、顔だけが出現した。
それは、琥珀色の眼鏡を付けた、三十程の女性であった。
茶の前髪に、眼鏡と同じ琥珀色の瞳、やや薄い顔は印象に残り難い。
板張りの壁から、にゅっと出て来た顔は、当然ながら俺と目が合った――瞬間、顔が壁の中に引っ込んでいった。
やはり、賊の類では無さそうである。
あれで賊なら、抜けているにも程度と言うものがある。
そう言えば、ミュール様達が『遅刻』だなんだと言っていたな……合点が行く。
モーリアンさんとミュール様に不義理を働いた所為で、店に入り難いのだな。
だが、放置しよう。
俺が手助け出来る事は、何一つない。
遅刻の謝罪は、自分で行うべき事だ。
俺は、黒猫を撫でたまま、沈黙を守った。
すると、黒猫が俺の膝の上から跳躍し、カウンターへと戻って行ってしまった。
そして、さもずっとそこで寝ていたと言わんばかりに、黒猫は寛ぐ。
その理由は、以前にも同じことが有ったので、分かっている。
俺の後方、店の奥から足音と共に、流れる魔力を感じた。
そして、独りでに開く扉から、ミュール様とモーリアンさんが戻って来た。
「おかえりなさい、モーちゃん、ミュール様」
「マルク少年、何もなかったかな? ふぅ、あったみたいだね」
「フフッ。本当に困った人」
二人共、当然の如く、壁の中に人が居る事を知り、そして恐らく人物の特定も出来ているのだろう。
モーリアンさんは何処か呆れ気味に、ミュール様は『困った人』と言いながら、両者ともに笑っていた。
正体不明遅刻者に対し、二人共、不信や嫌悪は抱いていない様子である。
「早く入ってきたまえ」
「ペンネール。いつまで、そんな所に居るつもりですか」
二人は、壁の中の女性に入店を促す。
壁の中から聞こえた声は、少々震えと怯えを含んだものであった。
「あ、あの、ミネルヴァ様……噛み付かれたり、しないですよね?」
「私のマルクは、誰彼と噛み付きませんよ」
「え? 俺?」
ミュール様とモーリアンさんに促され、店へと入って来たペンネールと呼ばれた女性は、こちらへゆっくり近づきながら、俺から視線を外そうとしなかった。
ペンネールさんは、ギルドの受付を想起させる服装をしており、背に茶の三つ編みを垂らしている。
警戒するようなペンネールさんの顔を見て、失念していた事を思い出した。
シャーリーの店で、何度も思っていた事を。
俺が居ると客が逃げる、という事実を。
俺は自己紹介の為に立ち上が――立ち上がる前に、俺の隣に来ていたモーリアンさんとミュール様の手が、俺の肩に乗せられた。
立つな、とういう、二人の意思表示であろう。
従い、立ち上がりかけていた体を、そのまま椅子へと下ろす。
座ったまま、俺は手を胸に当て、礼とし、自己紹介をする事にした。
「初めまして、マルク・バンディウスと申します。以後、お見知りおき下されば幸いです」
「あっ、ご丁寧にどうも。わ、私は、魔法学派『双頭の白蛇』所属、ペンネール・クラークです……あれ? 意外と普通の人だ」
「はい」
丁寧なお辞儀は、好感が持てるが、その『意外と』とか『普通』辺りは、口にしない方が良いと思いますよ、ペンネールさん。
口から出そうになる言葉を飲み込み、大人しく事の経過を見守る事にしよう。
「さて、遅刻した理由を聞かせて貰っても良いかしら?」
「ええと、その、昨日、ようやく時間が取れたので、研究をしていまして……」
「寝坊か、ミネルヴァとマルク少年を待たせる理由にしては、酷いものだ」
「あぁ、あの実直なペンネールが、地位を得た途端、堕落してしまうなんて。私は残念でありません」
ペンネールさんは、首をブンブンと横に振り回している。
同時に揺れる茶の三つ編み。
しかし、自分の研究に没頭して寝坊か……印象は良くないな。
「み。み、み、ミネルヴァ様、その様な事は一切。むしろ早く私の代わりを立てて頂けないでしょうか。私には、そ、そのぅ、荷が重すぎます」
「あら? それは白蛇内部の話ですよ。フクロウの私に、なんの関係が?」
ミュール様が、クスクスと笑っている。
あれは、ペンネールさんの抱える面倒事に何らかの関与があるという表情で、ミュール様は、それを隠そうともしていない。
まぁ、俺とは関係のない話だ。
「二大派閥が一度に潰れてしまったからな。どことも縁遠い君が適任なんだよ。ペンネール学派長」
へぇ、この人、双頭の白蛇の学派長なのか。若いのに偉い人だ。
だが、ペンネールさんは、再び頭をブンブンと横に振り回し始めた。
「モーリアンさん。代理、です。代理。な、な、何で私より、名声も実力もあるモーリアンさんじゃなくて、私なんですかー」
「私は、弟子を育てるので精一杯だからね」
「私や、モーリアンさん、そしてマルクからすれば、偉くなっても面倒なだけですから。ウフフ」
「私もです。わ、私の研究人生を返してください!」
ペンネールさんが、言ってやったぞという会心の笑みを浮かべた。
だが、二人には効果が無い様だ。
「あら? そんな愚痴を零す時間が、私達にあったかしら?」
「だな、ミネルヴァ。待ち人のお陰で、王様を待たせてしまっているからね」
なら話をしていないで急いで向かうべきでは? と言いたいが、ミュール様が楽しそうなので言えない。
ミュール様もモーリアンさんも、お喋りを楽しんでいる。
正直、一人を突っつくような話し合いは、感心しないけど……遅刻した人が悪いんだな、この場合に限っては。
「お、王様! そうです、王様に会いに行かないと。ミネルヴァ様、よろしくお願いします」
ペンネールさんがカウンターの前まで来て、ミュール様に頭を下げながら、手を伸ばした。転移の魔法を頼んでいるのだろう。
それを見たミュール様とモーリアンさんは、俺の肩から手を退かした。
出発する事の、合図の代わりに。
「仕方の無い人ですね。マルク、ペンネールがどんな人か理解出来ましたか?」
「はい、少しは」
俺は椅子から立ち上がり、黒猫に軽く手を上げ、別れの挨拶をした。
黒猫は、そっぽを向きながらも、再び尻尾で反応を示してくれる。
やはり良い猫だ。
「取り繕った自己紹介よりも、この方が彼女の人柄が分かり易いからね。さて、行こうか、ミネルヴァ」
「はい。≪転移≫」
ミュール様の言葉によって、再び見える世界が、感じる空気が一変する。
外光の差さぬ閉じた空間である店の中から、朝日の差し込む、煌びやかな一室へと。この部屋は、憶えている。
ミュール様とレオニード王、二人とお茶を楽しみ、メリィディーア様と共に現れたトーマス少年に、モンスターの話をした部屋だ。
部屋に設置されている丸卓には、既にレオニード王が座っていた。
レオニード王は、待ちくたびれたようにお茶を飲んでいる。
約一名、王へ尻を向けているが……それを怒る王でない事を祈っておこう。
少々不憫な、ペンネールさんの為に。




