498.王都へ跳ぶ時は
朝食後、俺は、女王の塔へと向かった。
特に持って行く物も無いので、持つのは多少の金貨と銀貨だけだ。
戦闘の予定もないので、剣もポーションも必要ない。
女王の塔に入り、転移陣を起動する。
俺を光が包み込み、転移した先にて徐々に光が消え、視界が明瞭になっていく。
転移したのは、丸い卓の置かれた、いつものお茶会の部屋。
ミュール様は丸卓の横に立ち、現れた俺を真っ直ぐに見据えていた。
今日のミュール様は、普段よりも瀟洒な雰囲気を漂わせていた。
その原因が、服装による違いであると気付く。
見ただけで上質さが分かる薄青の服は、公爵家の開催したパーティーでの姿を思い出させる。胴と腰の露出は少ないが、ミュール様の女性らしい輪郭を露わにしていた。
二の腕の途中まで伸びた白い長手袋は、細い線を、より繊細に表現している。
透き通るような青い髪と高い背丈に良く似合った服装だ。
ミュール様の服装を見て、自分自身に少し気になる点が浮かんでしまったが、挨拶をするのが先だ。
「おはようございます、ミュール様。今日は一段とお美しいです」
「フフッ。おはよう、マルク。世辞は不要ですよ」
「いえいえ。お世辞ではなくて、本心ですから」
「ありがとう」
俺は、微笑むミュール様に近付きながら、浮かんだ疑問を訪ねた。
「あの、俺……普段着なんですが、大丈夫でしょうか?」
ちょっと狼のまんぷく亭にでも行くか、って感じに普段着だ。
思えば、レオニード王に会うのだから、それなりの装いは必要だよな……。
「構いませんよ。正式な会合ではありませんので、服装は自由です」
「その自由は……自由ではないですよね? ミュール様」
口に手を当て笑うミュール様の姿が、俺の問いの答えを表していた。
一度帰って、着替えて来ようか?
いや、ミュール様と今から会う他の人達を、待たせてしまうな。
失礼かもしれないが、このまま普段着で行こう。
「このまま行きましょう……自由ですから」
「フフッ。本当に大丈夫ですよ。気にするマルクが可愛らしくって、ウフフ」
揶揄うように笑うミュール様が、俺の肩に手を置いた。
長手袋で覆われていても、その感触は柔らかい。
「覚悟は決まりましたので、行きましょう、ミュール様」
「はい。≪転移≫」
短く呟かれた呪文により、見える物全てが一瞬にして変わる。
感じる魔力も、鼻で感じる空気も。
馴染みにある女王の塔から、外光一つ差さない代わりに魔工石が灯る室内へと。
ふわりと明るい店内には、用途不明の魔道具が並んでいた。
ここは、知っている。
王都にある、モーリアンさんの秘密の店だ。
俺は、無人の店内にいる店番へ、目を向ける。
カウンターの上には、今日も黒猫がごろんと寝転び、四肢を伸ばしていた。
黒猫は、俺達をチラリと見ると、興味を失ったかのように、寝に戻る。
その姿に、自分の頬が緩むのを感じた。
「おはよう」
黒猫は、俺に視線すら向けずに、尻尾を軽く振った。
あれが、猫なりの挨拶なのだろう。
俺が黒猫の尻尾を眺めていると、ふと魔力の流れを感じた。
カウンターの先、店の奥へと続く扉が、魔力に従い独りでに開く。
そして現れたのは、店の主人であり、母と父の友人、封印魔法の第一人者であるモーリアンさんであった。
その姿は、記憶の中の……子供の頃に出会ったモーリアンさんの姿に似ていた。
ぼさぼさの金の髪は、真っ直ぐに梳かされ、動く度に靡いている。
眠たそうな目も、今日はくっきりとしており、意思の強さを感じる目であった。
四十程の年に刻まれた皺はあるものの、それがモーリアンさんの美しさを損なわせる事は無い。
少し懐かしいような……それでいて、ぼさっと跳ねた髪と眠そうな目が恋しいような、変な気分になってしまった。
「おはよう、マルク少年、ミネルヴァ」
聞こえたのは、子供の頃の記憶と違い、ふわりとした優しい声であった。
ほっとする自分が居る……おっと! 挨拶を。
「おはようございます、モーちゃん」
「おはよう、モーリアンさん。今日は宜しくお願いします」
俺達の挨拶を受け、モーリアンさんは柔らかに目尻を下げた。
キリッとした表情も良いが、柔らかな表情の方が俺は好きだ。
眠そうな顔の方が、なお落ち着くが、どの顔もモーリアンさんなのだろう。
「ああ。だが今日は、確認と準備で終わってしまうだろう」
「そうですね。厄介な物ゆえ、安全を第一に考えましょう」
そう言ってミュール様は、店内を見回した。
特に変わった様子もなく、当然ながら俺達以外、誰も居ない。
「彼女は?」
「遅刻だ……マルク少年。少し店番を頼めるかな?」
「はい。何処かへお出かけですか?」
「いや。奥の部屋で、ひと足先に、淀みの剣を見ておこうと思ってね」
「では、奥へ」
モーリアンさんは、ミュール様と共に、扉の奥へと消えていった。
モーリアンさんから魔力が流れ、独りでに閉まる扉。
店内に残ったのは、俺と黒猫だけだ。
「一緒に店番、頼むよ」
我、関せずと、寝転び続ける黒猫に一声かけ、俺はカウンター内の椅子に腰を下ろした。さぁ、二人が戻るまで店番せねばな。
まぁ店番をしているのは、この黒猫であって、俺は座っているだけなのだが。
誰も居ない店内を見回す。
数多くの魔道具が置いてあるこの店は、ガル兄が来たら喜びそうな店だ。
視覚的にも魔力的にも問題ない店内を眺めるのを止め、俺はぼぉーと、正面の壁を見つめていた。
その時、俺の太腿の上に、温かい塊が乗ってきてくれた。
俺は暫くの間、視線を動かさず待つ事にする。
黒猫が姿勢を整えるのを終えたのを見計らって、ゆっくりと手を動かした。
丸まる黒猫の滑らかな毛並みを、手に平にて堪能する。
温かさと柔らかさが混じり合った感覚は、俺に癒しを与えてくれる。
ふぅ…………この状態は、落ち着くなぁ……。
撫でるのを止めると、尻尾で叩かれるので、撫で続ける。
己の手をブラシ代わりにしながら。
モーリアンさんと黒猫に会えて、もう王都での用事は終わったも同然だな……いや、カミュ少年には、時間があれば会いたいものだ。




