497.愛おしい朝と心配事
朝日が昇り始める前の空は、紫とも青とも取れぬ色に染まっていた。
早く起きた時の習慣として、いつもなら木剣を振っている所であるが、朝食後にミュール様と王都へ行かねばならない。
再び風呂に入るのは、少々面倒である。
なので俺は、庭に魔力の結界を張り、魔法訓練に勤しむことにした。
「≪炎帝竜の炎≫」
内なる炎に魔力を注ぎ、燃え上がる炎を、己が右手に生み出す。
赤々とした炎に包まれた右手を眺めながら、今は何も燃やさない事を意識する。
折角、日の出ていない朝は涼しいのだ。
熱も拡散させず、ただ己の右手に炎を留めるだけにしよう。
赤く、熱く、激しく、それでも尚、魔力操作は完璧に。
強く、強く、何者も焼き尽くせるような、炎を。
まだ、熱が、力が、理解が、想像が足りない事は分かっている。
今、右手を覆う炎は、炎帝竜さんの炎に全く届いていない。
目指す炎に近付けたのは、凍り付かせた炎帝竜さんに突き立てた炎帝竜の大剣。
あの時の炎を、もう一度。
いや、常に引き出せるようにする訓練だ。もう一度じゃ駄目だ。
内なる炎に魔力をくべろ。
伝う右手に、灼熱を超える炎を……。
一体、どれだけの時間、炎に集中していたのだろうか?
気が付けば、魔力の結界の外に、俺を見つめるシャーリーの姿があった。
俺と目が合うと、朝日を反射する眩しい笑顔を見せてくれる。
その時ようやく、もう朝日が昇っていた事に気が付いた……集中し過ぎだ。
俺は、魔力の結界と右手の炎を消し、シャーリーへ向け、歩き出した。
「おはよう、シャーリー」
「うん。おはよう、お兄ちゃん。右手、大丈夫?」
挨拶と共に、俺とシャーリーは、庭から屋敷へ、そして台所へと向かう。
「訓練だから大丈夫。真似しちゃ駄目だからな」
「もぅ。どうやって真似しろって言うの?」
「あはは、だな」
「ねぇ? 何の訓練だったの? お兄ちゃん」
「炎を強くする訓練だよ」
「お肉、すぐ焼けるかな?」
シャーリーが、持ってきた荷物を台所に置いた。
鶏肉や豚肉を焼くのに炎帝竜の炎を使ったら、か……結果は目に見えている。
「消えて無くなるよ……たぶん」
「ざんねん。ぱっと焼けたら、朝から便利なのにね」
「それだと、俺が手伝える事が無くなっちゃうな。今日は?」
シャーリーが、荷物から乾燥した葉に包まれた肉を取り出し、俺に渡す。
中身は何だろう? 開けながら、シャーリーの声を零さずに聞く。
「薄切り燻製肉。焼いてて貰っていい? 氷室からお野菜取ってくるから」
「行ってらっしゃーい」
中には、シャーリーの言葉通り、既に薄く切られた豚の燻製肉が入っていた。
これならば、塩だけで味付けは十分だろう。
台所から元気に出ていくシャーリーの背を見送り、俺は平たい鍋に油を薄く引いた。後は豚の油で十分だ。
肉を乗せ、魔工石に魔力を流すと、炎が鍋の下に当たり、平たく広がる。
少しずつ熱された鍋から、熱が油へ伝わり、肉へと伝わる。
一点、一面が焦げないように、木べらで肉を動かす。
料理に使う火は、強すぎず、弱すぎず。
適した魔法を、適した力で。
強大な魔法なんて、日常には必要ない。
シャーリーやテラさんと過ごす、いつもの朝には。
「ん~、良い匂い。卵もお願いね」
「了解、シャーリー料理長」
笑うシャーリーが、野菜を切り始めた。
焼けた燻製肉の香りよりも、シャーリーの笑顔の方が、朝って感じがするな。
「「「いただきます」」」
正面に座るシャーリー、その隣にはテラさん。
二人を一度に見れる、この場所は、朝の特等席である。
卓の上には、塩で味を足した薄切り燻製肉と目玉焼きが乗った皿が一つ。
さらに、蒸し焼きにしたケールとレタスを刻みニンニクで味付けした、野菜を盛った皿が一つ。
その緑々している野菜の隣に、何も塗ってない白いパンが一つ。
そして、口を潤すための冷たい茶。
良い朝食だ。
まずは燻製肉を一口。スッと切れた薄切り肉は、口に歯応えは与えてくれない。
だが、広がる味と香りは、豚を強く主張している。
個人的には厚切りが好きだが、これもまた良し。
飲み込んだ後も、口の中に腹を刺激する香りと、塩味が残る。
そのまま、緑々した野菜を頂く。
ニンニクの力強さと強烈な匂いが、口と鼻を刺激する。
ケールの少し濃い味も、ニンニクに負けていない。
少々の苦みも、味わいの一つだ。
だが、レタスが弱いな……強い味同士の中和役と言った所だろうか。
強い燻製肉と、強い野菜。こうなると、パンが恋しくなる。
シャーリーの買ってくるパンは、美味しい。
千切り、口へ運ぶと、香り豊かで、鼻も喜ぶ。
「……シャーリーの朝食は、美味しいな」
「えへへ、ありがと。でも半分は、お兄ちゃんの朝食だけどね」
「二人の朝食は美味い。それだけじゃ」
しみじみと言いながら、テラさんが頷く。
先程まで、眠そうにふにゃっと下がっていた長い耳も、元気になっているので、言葉の通り喜んでいるのは、間違いない。
「なら、今度は三人で作ろう! テラさん」
「うーむ。眠い時に、火と刃物は危険じゃからのぅ」
面倒臭い、などではなく、素直にそう思っているのだろう。
テラさんなら、そうだ。
残念がるシャーリーは、食事へと戻っていった。
燻製肉を頬張るシャーリーの顔は、ほっこりしているので、気分を害した訳では無い様だ。二人が食事をする様子は、見ていて楽しくなるな……。
いつもより、当たり前の朝が愛おしく思ってしまうのは、邪竜の事を聞いたからだろうか? 淀みの剣と邪竜の事を。
いや。邪竜を復活させない為にも、研究前に封印を施すのだ。
心配する気持ちは、ただの杞憂でしかない。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「ああ、ちょっと考え事をな」
「大方、今日の王都の事じゃろう」
「当たらずとも遠からず、って感じです」
「えー。また王都に行っちゃうのー?」
シャーリーがお道化た様に口を尖らせ、抗議の声を上げた。
その表情が少し可笑しく、悩みの天秤が、明るい方向へと傾いてしまう。
「日帰りだし、用事はミュール様の付き添いだけだから」
「えっとお兄ちゃん……大丈夫? 王都って遠いよ」
首を傾げるシャーリーは、可愛らしいが、言葉は少し刺々しい。
シャーリーの隣で、テラさんが肩を上下に揺らしていた。
「大丈夫だ。ミュール様の魔法なら、一瞬で王都へ行けるんだよ」
「んー? あー! あの時って王都から魔法で戻って来た時だったんだ」
つい先日ミュール様、アムと共に、王都から帰還した際、この食堂へ転移した事を言っているのだろう。
まぁ、魔法の知識も少ないシャーリーからすれば、突然俺達が現れただけなのだから、王都から直接転移して来たとは思わないだろう。
シャーリーが目を輝かせながら、俺に問いかける。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、その魔法使えないの?」
「無理。あの魔法は、訳が分からないんだ」
「わしも無理じゃのぅ。恐らく、マリアの弟子であるアムでも使えんじゃろう」
「そっか、残念。お兄ちゃん達と王都で観光したかったなー」
「実力不足で、すまん」
謝りながら、自分の犯した失態を知った。
なぜミュール様の魔法の情報を、迂闊にも喋っているのだ、俺は……。
自分の魔法ならともかく、人が使う魔法については、口にすべきでは無かった。
「シャーリー。すまんが、誰がどんな魔法を使うのかは、秘密で頼む」
「うん。私、そんなに口は軽くないよ。商売人は口が堅くないとね」
「ありがとう、助かる」
「マルクや、お主も気を付けい」
「はい。気を付けます」
シャーリー相手とは言え、少々気が抜けていたな。
完全に俺の不用心である。
俺自身の魔法は気にしないが、魔法とは、基本的に秘匿すべきものだ。
誰が何を使えるかなど、他者に知られぬ方が良いのは当然の事。
特に悪意ある人物の耳には、入らないよう、用心が必要だな。
ミュール様に迷惑が掛かる事は、極力避けるようにしないと。




