471.焼け跡の上で
離れていたパック先生が、赤々とした炎帝竜に近付く。
「調べるから、ちょっと我慢してね」
「任せる」
頭の中に響く声で小さく返事をした炎帝竜は、上体を起こしたまま、俺達を見下ろしていた。
取りあえずは、パック先生に任せよう。
俺は、少し離れ、黒い剣を拾い上げた。
このダークマターの如き禍々しさを感じる剣を、放置する訳にもいかない。
握る手から、微量の魔力を吸い取ってくる所まで似ている……モンスターが寄って来るなんて事……あるかもしれない。
その場合は、愛馬をテラさんに預け、走って町まで戻った方が良いな。
また、ムウの世話になってしまうのが、申し訳ない。
「良し。問題なし……流石マルク君」
「まさか、我も九死に一生を得るとは、想像すらせんかった……パック、マルク、テッラリッカ。お主らは、我が命の恩人だ。ありがとう」
「私達の事は、気にしないでいいよ」
「炎帝竜さんが生きているなら、それで十分です」
「うむ。困った時は、お互い様じゃ」
俺の近くへ移動したパック先生は、三角帽を押さえながら、口角を上げた。
合流したテラさんも、大きく頷き、事の無事を喜んでいる。
炎帝竜さんは、その縦に伸びた黒目で、俺達を一人一人見る。
「それだけでは気がすまん。ここは褒美を――」
「いらないよ」「いりません」「いらんのじゃ」
「ッツ。むぅ……そうか」
あっ。口元が少し曲がり、目が閉じられ、細くなった……拗ねているのか?
よく顔に出る御方である。
「へそを曲げている場合じゃないよ。まだ、問題は終わって無いからね」
パック先生の言葉に、俺は周囲を再び見回した。
何もない。何も。
全ての建物は、人工物は、消し炭となって地を黒く染めていた。
ここにトゥル村があった痕跡は、焼け跡だけである。
山にも目を向ける。
炎を直接吐き付けた場所には、木どころか草一本残っていない。
そこから燃え広がる様に、周囲から緑は消えていた。
一部残るのは、焼けた木々のみで、そこに生物の躍動は感じない。
山を見て、一つ気が付いた事があった。
炎の赤が、見えない。
「炎帝竜さん。炎は、消したんですね」
「ああ。意思が戻った時、皆に協力を仰いでな」
「ん? あぁ、サラマンダー達だね。あの子たちは、偉いねぇ」
赤く小さな蜥蜴、炎の精霊サラマンダー。
彼らと炎帝竜さんは、協力関係、いや友好的な関係にある。
炎を司る精霊にとってみれば、炎を消す事もまた、容易なのだろう。
炎の精霊……あっ!
「すみません。炎帝竜さん。避難したトゥル村の人達を護衛しないと――」
「マルクや。お主は少し休むのじゃ。パック。マルクを頼んだぞい」
「了解、テラさん。そちらは、任せますね」
「すみません」
「カッカッカ。良い良い。いってくるのじゃ」
「「いってらっしゃい」」
俺達に軽く手を振り、テラさんは、素早い動きで走り去った。
トゥル村の皆さんが逃げた方角へと。
遠くを見れば、避難していた人達が、こちらへ向け歩いて来ているのが見えた。
遠目には、問題ないように見えるが……心配だ。
皆も、我が愛馬も、無事だろうか……。
「大丈夫だよ、マルク君。避難している人達の中に、冒険者が居たからね」
「気が付きませんでした」
「フフ、仕方ないよ。マルク君は、黒い竜の動向を見続けていたんだから」
小さく笑うパック先生。
全く気が付かなかった。鉄骨龍の冒険者だろうか? 金獅子かもしれない。
まぁ、村民を守る戦力が多いのは、良い事だ。
そちらは、テラさんを信じ、任せよう。
俺は、立ったままだが、少し休憩しておこう……少し……いや、結構疲れた。
赤色ポーションを飲んだとはいえ、強大な魔法を二連続で使うのは、疲れる。
魔力もそうだが、精神が摩耗した気分だ。
「炎帝竜。事情を聞いてもいいかな? フクロウの学派員として、上に報告しないといけないからね」
「モルスの使徒が我が根城に訪れ、一戦交える事になった」
「それで、この黒い剣を?」
炎帝竜さんの目が、黒い剣へと向く……大きな口から目にかけ、皺が寄った。
不快に思うのは、当然だろう。
一方、パック先生は、炎帝竜さんに話を促しておきながら、今はもう黒い剣を観察している。興味津々の御様子であるが、この剣の危険性が分からないので、今はパック先生に渡す訳にはいかない。
「ああ。首魁たるザルバザードに、その剣を突き立てられた後は……黒き淀みの力に抗う事で精一杯でな。すまぬが、あまり記憶に無い」
「賊は全員?」
「高度な魔法にて、隠れ続けていた者が居なければな」
パック先生の問いに、答える炎帝竜。
そのザルバザードなる人物も、死んだのだろう。俺には、どうでも良い事だ。
しかし『抗う事で精一杯』と話しているが、炎帝竜さんが他人の為にしてくれた事が一つある。その感謝を、伝えねば。
「トゥル村への避難の報せ、ありがとうございました」
「破壊したのも我だがな……どう償えばよいのやら……」
目を伏せる炎帝竜さん。
残念ながら、その答えを俺は持っていない。
ならば、考えるしかない……。
だが、俺が考え始めるよりも早く、パック先生が黒い剣を観察したまま言った。
「直接、本人達と話してみたらどうだい? 領主は兎も角、トゥル村の人達とは、話をするべきだと思うよ」
直接の対話か……正しくも、恐ろしい事だな。
村の人達にとっても、炎帝竜さんにとっても。
「そうだな。石も刃も、罵倒も怨嗟も、我が身で受けよう」
「問題無いと、思うけどね」
パック先生が、非常に軽い口調で、そう言った。
なぜ、そう言えるのか、俺には分からない。
死なずに済んだからか?
トゥル村の人々が、それほど楽観的とは思えない。
いや、俺の勝手な人物評など、無意味だな。
俺がやるべき事は、少しとはいえ両者を知る俺が間に立ち、緩衝役になる事だろう……胃が痛むが、やらねばな。
「話し合いの時には、俺も御供します。両者の友として」
「助かる」
炎帝竜さんは、頷く様に首を縦に動かした。
ん? パック先生から視線を感じ、横を見ると、パック先生と目が合った。
黒い剣の観察を中断してまで、何かを言いたいのだろうか?
「どうしました?」
「フフッ。何でも無いよ。おねぇさんとしては、少しだけ嬉しかっただけだよ」
「ん?」
良く分からないが、パック先生が嬉しそうに微笑んでいる。
なぜだろう? まぁ、良いか。
今、目の前で、トゥル村の村長と炎帝竜さんが、対峙していた。
俺とパック先生とテラさんは、その二人の中間点から少しずれた場所で、二人の動向を見守っている。
そして遠くには、避難していた村の人々の姿が。
皆、村長と炎帝竜さんを見ていた。
当然か。
我が愛馬も、無事の様で、今は村民と共に居る。
そして、村の人と共に避難していた冒険者は、知っている顔であった。
昔、助っ人依頼で、共に山のトロルを狩り尽くした仲である……要するに名前を憶えていない……失礼だよな、俺。
彼らは今、周辺の警戒に当たってくれている。
そちらは、任せよう。
俺は視線を、村の人達から、村長と炎帝竜さんへと戻した。
俺の予想に反して、村長が、深々と頭を下げた。
「この度は、炎の精霊を御派遣頂き、誠に有難うございます。村民達に代わりまして、お礼をさせて頂きます」
「礼を受ける事は出来ぬ。お主達の住む場を、生きる糧を焼いたのは我だ。どの様な責め苦でも受けよう」
上体を起こし、威厳ある佇まいを見せる炎帝竜さんが、大きく首を下げた。
対する村長は、炎帝竜さんの言葉を聞いて、慌てて頭を上げ、そして再び大きく頭を下げた。
「責め苦など、滅相も御座いません。炎帝竜様と、その遣いたる炎の精霊には、我ら代々、守られて生きて来たのです」
嗚呼、一つ疑問が解消された。
村長は、避難時『炎の精霊が、我々に逃げろと』と言っていたが、炎の精霊は、他の精霊よりも恐れられる事が多い存在だ。
触れれば、その身は焼け、溶けるのだから、誰だって恐ろしい。
だが、元よりトゥル村の人々にとって、炎の精霊は身近な存在であったのだな。
すぐに避難の指示を受け入れ、行動したのも頷ける。
俺が勝手に納得していると、村長は頭を上げ、更に言葉を続けた。
「この度の一件も、根は人の仕業であるとマルクさんから聞いております。我らトゥル村の者が恨みを持つとすれば、そ奴らに対してでしょう」
村長の目が、俺を……いや、俺の持つ黒い剣を睨みつけていた。
村長達には、話し合いの前に、事情は説明してある。
ならば、この剣を睨むのも、当然の事だ。
怒りを顔に出した村長へ、炎帝竜が告げる。
「それでは、お主らの明日はどうする? 我を恨み、我を憎み、財を望み、奪えば、お主らも明日を生きれるのだぞ」
「焼けた山が元に戻るには、長い月日が掛かるでしょう。村も、再び賑わうには、時間が必要でしょう。それでも、炎帝竜様とマルクさんの助けにより、私達は今、生きています」
村長の目は、真っ直ぐ炎帝竜さんを見ている。
その姿に、俺の中で、村長の印象が変わった。
俺は、トゥル村の村長を、気が急いている人だと思っていた。
落ち着き、ただ真っ直ぐに自分達の意思を告げる村長さんを見て、少し、敵わないな、と感じる。
やはり、俺は、他者の一面しか知らないんだな……。
村長は、ハッキリとした声で言葉を続けた。
「そして、生きる糧は、私達自身で見つけるものです。ただ一つ叶うのならば、これからも私達を見守り頂ければ、幸いです」
「約束しよう。炎帝竜の名に懸けて。村長よ、お主の名を教えてくれぬか?」
「はい。オーウェンと申します」
「オーウェンか……憶えておこう。オーウェン、そして村の者達よ。此度は迷惑を掛けた。僅かではあるが、我が財を後で届けようぞ。受け取らぬなど、マルクの様な事は、言わぬだろう?」
炎帝竜さんの言葉によって、村長と村の人達の視線が、俺に突き刺さった……いや、褒美を断ったのって俺だけじゃ無いんですが……。
その視線は、珍妙な物を見る様であった……何故、俺が矢面に?
一応、俺達三人は『パック調査隊』なんだけどなぁ。




