441.いつも通りが嬉しく
誤字修正 火の精霊→炎の精霊
ピュテルの町の北には、山が連なっている。
その山の中の洞窟には、赤い竜が、炎の精霊サラマンダー達と共に住んでいた。
竜の名は、炎帝竜。
全身に纏う赤く硬質な鱗。蝙蝠型の一対の翼。鋭く、長い尾。
先が細く、流れる様な口は、開けば大人であれば一飲みにされてしまうだろう。
頭から伸びた二本の黒い角も、縦に長い黒目をした瞳も、その炎帝竜の威厳を示していた。
現在、炎帝竜は、サラマンダーの発する光に照らされながら、俺を見ていた。
その巨大な体躯を、横たえながら。
独り、炎帝竜と対峙する俺は、当然、彼を討伐しに来た訳ではない。
俺は、自らの右手を包み、燃え続ける真っ赤な炎へ視線を移す。
そして、ここに来た理由を。
王都から戻り、今までの事を、思い返していた。
王都から戻った後の、小さなお茶会。
それは、すぐにお開きとなってしまった。
ミュール様もアムも、帰って仕事をする為だ。こればかりは仕方が無い。
茶を美味しそうに飲んでくれただけで、満足である。
その後は、シャーリーとテラさん相手に、小粋にお喋りをした。
シャーリーとテラさんは、俺が不在の間、共に買い物へ行き、共にお風呂に入り、お泊りをしていたらしい……羨ましい。
まぁ平穏無事で、なによりである。
二人が悪意に飲まれず、笑っていられるのが、一番だ。
「わしは、お主の話が聞きたいのじゃ」
「うん。お兄ちゃん、王都で何してたの?」
「別に変な事はしてないですよ。話せるのは……劇を見に行った事と、貴族の集いで踊ってた事ぐらいかな?」
「へぇ、お兄ちゃんって踊れたんだ」
「あぁ、アムに急場で仕込まれたんだ。綺麗な音楽が響く中、こう赤い正装を着て、頭にフクロウを乗せてな」
「マルクや。それは疑う必要もなく、変わった事じゃ。もっと聞かせい」
「えっと、初めは……」
二人に、特にシャーリーに、ダニエルさん達の事とエキドナ討伐の事を、話す訳にはいかない。
だから話をしたのは、踊り、劇、そして喫茶『フローラ』の事。
面倒事や、血生臭い話をする必要は無い。
俺の話を聞いて、笑ってくれる二人を見ていると、心が落ち着く。
だが、話を続ける事は出来なかった。
話題が無い? 違う。
シャーリーは、女冒険者の友人と出かける用事が。
そして、テラさんには、孤児院に行く予定があったからである。
急に帰って来て、我が儘を言って困らせたくも無いので、話は今度と言う事で。
二人に、王都土産の燻製肉を、渡すのを忘れずに。
「いってくるのじゃ」
「いってきまーす」
屋敷に独り取り残された俺は、テラさんに渡した燻製肉を氷室へ入れ、自分の旅の片づけを手早く終わらせた。
そして、無事の帰還を知らせに、挨拶回りへと向かった。
土産も無しに、顔を出すのは気が引けたが、気にし過ぎも体に悪い。
まずはエルの屋敷へ。
「いらっしゃい、マルク。もう帰ってたのね。さぁ、こっちに座りなさい」
エルは、余暇に本を読んでいた。恋愛の物語は、俺には分からない。
エルには、お爺様であるミトラース大司教様と、会って話をした事を伝えた。
穏やかに話が終わった事も。
その反応が『良く無事で!』だったのが、少し可愛らしかったな。
ロレッタ嬢と会った事も話すと、そのお転婆っぷりを話してくれた。
二人の仲は、良いらしい。
「もう行ってしまうの? マルクは忙しいですわね」
少し口を尖らせたエルを宥め、俺はエルの屋敷を後にした。
次に向かったのは、ダンジョンこと、ピュテルの遺跡。その入口。
「よっ! マル坊。貴族の相手、お疲れさん」
遺跡の番兵であるゴンさんは、俺を見てニカッと笑った。
貴族の相手は、殆どせずに済んだ事を伝えると、我が事の様に喜んでくれた。
貴族の話をしていても仕方が無いので、遺跡の話に移った。
浸食の悪魔討伐後、遺跡内部の異変も、ピタッと止んだそうな。
良かった、良かった。
だが、ダンジョンの深層への挑戦が、難航しているらしい。
死傷者は出ていないらしいので、慎重に歩を進めているのだろう。
そっちは、遺跡専門のAランク冒険者ワンダーパーティーに、任せるしかない。
「マル坊。じゃあな」
ゴンさんともう一人の番兵さんに礼をし、次へ向かう。
次は、バルザックさん達の泊まる宿へ。
「無事みてぇだな、マルク」
普段よりも簡素な格好をしたバルザックさんが、談話室で寛いでいた。
休息日の姿なのだろうが、筋骨隆々な体躯は、それでも威圧感を覚える。
神託の祭りの話を聞かれたので、素直に答えた。
「睨まなくても、寄って来ませんでしたよ」
バルザックさんは、ケタケタと笑いながら「だろうな」と呟いていた。
笑いが治まるのを待ち、バルザックさんに町の状況を聞いた。
ダークマターの影響は既に無く、冒険者は日常に戻っているそうな。
心配事が、また一つ消えた。嬉しい事だ。
バルザックさんが、今注目しているのは、ダンジョン深層のモンスターらしい。
そして帰り際に、問われた。
「で? 何と戦ったら、そうなるんだ?」
そう? とは何か分からないが、俺が”何か”と戦ったのは、バルザックさんには、お見通しの様子であった。
だが、ダニエルさん達の事も、エキドナの事も、言って良い話か分からない。
「国の公表待ちです」
「チィッ。仕方ねぇな。また、今度な」
「はい」
バルザックさんと別れ、彼らの定宿を出る。
そこからは、適当に回ってみた。
「あっ、マルク、おかえり。それといらっしゃい。後で、話聞かせてね。マルクごあんなーい」
サンディは、変わらず笑顔で眩しかった。
鶏もも肉の一枚焼きは、単純ながら、胡椒が効いていて美味しかった。
やはり、狼のまんぷく亭の料理を食べないと、落ち着かないな。
「いらっしゃい。やぁマルクじゃないかい。また面倒抱えて王都へ行って来たんだって? シャーリーから聞いたよ。モンスターだけじゃなく貴族の相手までさせられるなんて大変だね。休む時は休むんだよ。なんならおばちゃん家で、ずっとゴロゴロしてたって良いんだからね。ん? 土産が無い? そんなの良いんだよ」
恰幅の良いリンダさんは、相変わらずで、嬉しかった。
こちらが一言も告げぬ間に、話が進んで行く様は、困惑してしまうが……元気なら、それで良い。
シャーリーの弟ハイスと、妹ビィは不在であった。
少し会いたかったが、仕方が無い。
「おっ、帰ったのか。お疲れ、マルク」
「マルク様、おかえりなさいませ。して、今回の土産は……無い……ならば、水で十分ですね。少々お待ちを」
ガル兄は、多忙から解放されて、顔に活力が戻っていた。
カエデさんは、いつも通り冗談めかした事を言い、お茶を持って来てくれた。
王都での話ついでに、髪を乾かす魔道具について、話を聞いた。
なんだ。簡単な原理じゃないか……魔道具として安定して使えるようにするのは、少し難しそうだが、自分で魔法として使う分には出来そうである。
熱い風を、肌と髪を痛めぬように調整して……。
何故か、王都帰りの報告の筈が、ガル兄とは魔道具談議をしてしまった。
土産話なんて、お構いなしに。
ガル兄達と別れた後は、フクロウの瞳へ歩みを進めた。
向かう先は、一か所。パック先生の研究室。
「おかえり、マルク君。王都は、どうだったかな? さぁさぁ、話は、一緒にクッキーでも食べながらにしようか」
三角帽を被ったパック先生は、いつも通りだ。
あからさまにクッキーに仕掛けが施されている……悪戯が。
気にせずクッキーを食べ、味わった。
普通のクッキーであった。
首を傾げる俺を、楽しそうに見るパック先生。
何故か隣に置かれた水。何の変哲もない水。
二枚目を食べた後、水で口を癒そうとした、その時、不思議なことが起こった。
水が、ブドウ水に変わっていた……味と香りだけだが。
その時の俺の顔を見て、笑うパック先生も、いつも通りで……嬉しかった。
悪戯も、実害の無いこういう物なら、大歓迎なんだけどな……。
パック先生に話せる土産話は、あまりない。それでも、王都での話をした。
取り留めのない、拙い話を楽しそうに聞いてくれる……良い人だ。
手を振るパック先生と別れ、俺は家路に就く。
今日はゆっくり、ゴロゴロしていよう。何て思っていたのだ、あの時は。
頭に、白いフクロウが降り立つまでは。




