417.マルクの事情
ダニエルさんの後ろについて、一階へ向かう。
他の宿泊客は、既に自室に戻ったのか、食堂に座っていたのは、ジギさん一人であった。魔工石の光の中、ポツンと座る姿は、少し寂しさを感じる。
「ダン、本当に連れて来たのか」
「同じ宿なんだから、いいだろ」
そう言いながら、ダニエルさんは、ジギさんの隣に座った。
俺は。二人の正面の席に座らせてもらうとしよう。
「失礼します」
正面にダニエルさん。その隣にジギさんが座っている。
口ひげが印象的な野性味の溢れる大男ダニエルさんと、痩せぎすな細身の男ジギさんが並ぶと、不釣り合いで、少し不思議な気分になる。
それにしても、ジギさんは、近くで見ると、体調が心配になる顔であった。
いや、心配ではあるが、俺が気にしても仕方の無い話だな。
卓の上に目を向けると、杯が二つ。不透明な瓶が一本。そして、皿が一枚。
皿の上には、ソーセージの上に焼いたチーズが乗せてある酒の肴が手付かずで置いてあった。まだ、酒を飲み始めたばかりの様だ。
「ダンが、すまない。そして久しぶりだな、マルク君。いや、数度顔を合わせただけだから久しぶりと言うのも可笑しな話か」
「いえ。お久しぶりです、ジギさん……で宜しかったですか?」
恐らく『ジギ』は愛称だ。愛称で呼ぶほど、彼とは親しくはない。
それでもジギさんは、頷いてくれた。
「構わない。本名は長くて呼び難いからな」
「ありがとうございます」
「ガッハッハ。堅苦しいのは無しで頼む」
「性分なものでして」
瓶から、赤い酒を杯に流し込みながら、ダニエルさんが笑った。
ジギさんの杯は、俺が来た時から既に、赤い酒で満たされている。
「ダン。こう言った事は、無理強いするものではない」
「悪い悪い。それもそうだな」
そう言って、二人は杯を口元で傾けた。
その様子よりも、近付く足音が気になり、目を向けてみる。
すると、給仕の女性が、近付いて来ていた。
まだ、仕事中だったらしい。
「マルク様、ご注文は御座いますか?」
「すみません。茶を一杯お願いします」
「畏まりました」
ん? 言葉遣いと表情が前よりも硬かった気がする……気の所為か?
まぁ、世の中、気にしても仕方が無い事ばかりである。
去る給仕の女性を見ていた俺へ、ダニエルさんが問いを投げた。
「なぁ、マルク。王都での仕事は、もう終わったのか?」
「いえ。仕事は明日なので」
「護衛や警護の依頼か?」
「ジギさん。今、俺は冒険者では無いので。あっ、この前まで冒険者でした」
ピュテルの町でなら、自己紹介をしなくても、俺が以前、冒険者であった事、そして今、冒険者でない事は知れ渡っている。
だが、ここは王都で、彼らも久しい人物なのだ。
言葉少なくては、伝わらない事も多いだろう。
「冒険者だったのは、俺もダンも知っている。その名は、ピュテルから王都まで届いていたからな。そうか……冒険者を辞めたのか」
「理由、聞いてもいいか?」
理由。理由か……。
自分の事ながら、大雑把にしか分からない。
それでも、目の前から向けられた真剣な目には、答えるべきだろう。
「直接的な原因は、貴族の使いとギルドマスターの言葉に、怒りを覚えた事ですけど……その前から、鬱憤が溜まってたんだと思います。そのまま彼らの前で、ギルドカードを、ボッと」
冗談めかして『ボッと』何て言ってみたが、二人ともクスッと笑ってくれた。
思い返しても……あの時は、精神がささくれていた。
今は、シャーリーやアムやガル兄、ミュール様にテラさん……多くの人達が構ってくれるお陰で、平穏で居られる。
「ま、マルクの選んだ道なら、仕方ないな。今は?」
「お恥ずかしながら、無職です。それと仕事と言うのは、神託の祭りに参加するという面倒事でして」
「あの貴族の友人か?」
ダニエルさんの目が細まり、茶の瞳が僅かに隠れる。
浮かぶ嫌悪の色は、誤解からくるものだ。訂正しておこう。
「いえ、アムは、どちらかと言えば巻き込まれた側でして」
「アム……アム……」
ジギさんが、杯を揺らしながら、記憶を辿る様に呟く。
一方、ダニエルさんは、杯を卓へ置き、ソーセージを口へ運んでいた。
白にも黄色にも見えるチーズが、肉と共に口ひげの中へ消えていく。
一口、二口と。
そしてダニエルさんの目尻が、垂れた。
ダニエルさんは、俺と目が合うと、左手で良し、の合図を送った。
美味い、と言う表現なのだろう……事実、火の入ったチーズは美味そうである。
「……当然、マルクも食べて良いからな」
「あはは、少しお腹が空いてまして。いただきます」
口を空にしたダニエルさんの勧めを、素直に受ける。
歯は磨いたが、また磨けばいい。申し出を受けない方が失礼だ……いや、小腹が空いているだけだな。
チーズに直接触れぬ様に、右手でソーセージをそっと掴み、口へ。
それ程、長くないソーセージを、半分の所で噛み千切る。
瞬間、溢れる肉の油が、口の中へと広がり出した。
噛むと、肉と油とチーズが絡み合う。チーズの強い香りに肉が負けていない。
噛んで、噛んで、噛んで、味わい尽くし……飲み込む。
「ふぅ。美味しいです」
「ガッハッハ。だろう」
嬉しそうなダニエルさんに、頷き返し、残り半分も口へ入れる。
これは、パンが食べたくなる強い味わいだ。
だが、そうすると、本格的夜食が始まってしまう。注文は、我慢しよう。
「アム……アム……あぁ、マリアさんの弟子がそんな名前だったな」
記憶の海から戻って来たのであろう。
ジギさんが、俺の目を見て、そう言った。
正解を示す為に、俺は、首を縦に振ってみせた。
「ん? ジギ。マリアさんの弟子は、たしか、ちっちゃな女の子だったぞ」
「ダン。子供も、十年経てば成長するものだぞ。マルク君を見れば一目瞭然だろ」
「って事は、あの美形の貴族が……」
「母の弟子のアムですよ」
ダニエルさんの言葉が途切れたので、重ねるように、俺は言葉を口にした。
ダニエルさんが嬉しそうに笑った……とは言えこれは、ニヤリとしていて、少々下卑た笑みだ。
「……なる程。マルクも女連れで王都とは、やるじゃないか」
「そういう関係じゃないですって」
「でも、同室だっただろ?」
「ええ。一部屋しか空いてなかったので」
「アム君は、同室を受け入れたのだろう?」
「はい」
率直に答えると、目の前の二人は、互いに顔を見合わせ合った。
十八の男性と十六の女性が、同室に泊まるのだ。そう思うのも無理はないか。
「ん……まぁ、俺達が口出しする事では無いな」
「だな、ジギ。だが、貴族が関係ないなら、やっぱり――」
「浸食の悪魔討伐の話は、本当だったと言う事だ」
やはり浸食の悪魔討伐、いや太陽伯の宣言は、既に王都で広まっているのか。
隠しても意味のない事なので、素直に答える事にした。
「恐らく、その所為で呼ばれたのかと」
二人の表情には、僅かに真剣みを帯びていた。
浸食の悪魔の話が、何か二人に関係があるのだろうか?
ダニエルさんの口から、問いの言葉が出る。
「マルクは今、教会と協力関係にあるのか?」
「あの町は、遺跡があるからな」
「モンスター討伐で手は貸してますけど、別に協力関係ではないですよ」
太陽教は嫌いですから、と言う言葉を飲み込む。
ジギさんは、回復術士だった筈だ。気分を害する言葉を、言う必要は無い。
「ん? 呼び出しは教会からじゃないのか?」
「教会からなら断ってます……呼び出しは、その……王からなので」
「あぁ……それは断れん」
「流石にな……」
二人は俺を、同情するような目で見る。
一度、断ろうと考えていた事は……この胸に仕舞っておこう。
静寂が俺達を包む中、ふと、足音が聞こえた。
それが、給仕の女性のものだと分かる。
が、なぜか不安定だ。
気になったので視線を送ると、俺と目が合った瞬間、彼女はビクッと跳ねた。
それでも、お茶を零していないのは流石である。
「お、お待たせしました」
「ありがとうございます」
震える手で俺の前に置かれたお茶は、小さく波打っていた。
お茶を置いた給仕の女性は、頭を下げると、逃げるように去って行ってしまう。
その姿は、メリィディーア様やミュール様に怯える彼女の姿を、思い出させた。
だが……意味が分からないな。
公爵令嬢であるメリィディーア様に怯えるのは、理解出来る。
氷の女王と呼ばれているミュール様に怯えるのも、まぁ理解は出来る。
何故、俺を? 目が怖い……ならアムと一緒の時から怖がっている筈だ。
また変な噂が流れていない事を、祈るしかないな……。
早速、口に含んだお茶が、俺の心を癒してくれる。
僅かな渋みと共に広がるのは、鮮やかな香り。若い自然の溢れる豊かさが、鼻と喉を通り抜けて行く。
やはり、この宿は良い宿だ。




