404.後ろ髪を引かれても
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朝、屋敷を歩き回る。
灯り、良し。風呂、良し。台所、良し。
魔工石は全て万全だ。茶葉の残量も十分。台所のクッキーも問題なし。
俺は、地下の氷室へと向かう。
扉を開けても冷気一つ漏れないが、中に入ると体が反応する程に寒い。外と中の温度差の所為だろう。
機能は問題ない様だ。問題は――
「折角、復活させても、空っぽなんだよな」
作った魔工石の灯りが一つ、冷気を放つ魔工石が一つ、浮いているだけだ。
王都から帰ってきたら、少しは食材を入れよう。
確認だけ行い、氷室を出る――瞬間、体に熱が纏わりつく感覚があった。
この少し不快な感覚は、仕方が無い事だろう。困ったものだ。
さて、屋敷の点検は終わったので、旅の準備の最終確認をせねば。
『本に、心配性じゃのぅ』
頭の中のテラさんが笑う。分かっていても、止められないものだ。
そして廊下で、俺の部屋から出て来たシャーリーを目撃した。
閉まる扉を見ていたクリっとした目が、俺を捉え、明るく笑った。
目だけで、眩しい。
「おはよう、シャーリー」
「うん。おはよう、お兄ちゃん。部屋にも外にも居ないから心配しちゃった」
「屋敷の点検をしててな。それに木剣は全部折れて、剣、振れないから」
鉄の剣で稽古しても良いのだが、刃の付いた武器を振るのは、命を取る時か、誰かを守る時だけにしたいものだ。
シャーリーと合流し、台所へ向かう。
「何かあったの?」
「ああ。昨日、冒険者バルザックさんと剣士ガル兄の死闘が、我が家の庭で行われたんだよ」
「へー」
あっ、興味無さそうだ。話題を変えよう。
「ちなみに、屋敷の点検は問題なかったよ」
「二、三日、家を空けるくらい大丈夫だよ」
「分かってても、な」
シャーリーは、クスッと笑い、台所へと入る。
その背について、俺も台所へ。
家主は俺であっても、朝食づくりの主役はシャーリーだ。
俺は、手伝いから抜け出せない。
「シャーリー。今日は何を?」
「んー? お兄ちゃんは、ソーセージ焼いて」
「了解」
生の腸詰めか、燻製してある腸詰めか分からないので、しっかりと火を通そう。
さぁ、朝食づくりの開始だ。
やる事が終わったので、次の役目は、料理の配膳だ。
完成した太めのソーセージ二本と目玉焼きを盛り付けた皿を、食卓へと運ぶ。
今日も眠そうに、目をトロンとさせているテラさんの前にも、皿を置く。
肉の香りを嗅ぎ取ったのだろう。テラさんの耳が緩やかに跳ねた。
「おはよう、テラさん」
「うむ。おはようなのじゃ。ええ香りじゃのぅ」
「もうすぐ出来上がるので、少々お待ちを」
「フフッ。食いしん坊では無いのじゃ」
微笑むテラさんを残し、俺は台所へ。
焼いた人参とカブを、パンと共に盛り付けるシャーリーを横目に、ティーポットとカップを移動させる。トコトコと二往復。
茶の用意は、既に出来ている。
六人分淹れた茶は、まずは温かく、三杯入れる。
鮮やかな液体が流れ、カップを満たしていくと同時に、食卓に香りが広がる。
焼けたソーセージ、台所から甘く香る野菜の匂い、茶の香り。
混ざっても、不思議と不快さはない。むしろ朝を感じ、心が躍る。
おっと。呆けてないで次だ、次。
「≪氷≫よ」
ティーポットの中に氷を投入し、食後の一杯に備えよう。
「おまたせ、お兄ちゃん。おはよう、テラさん」
「うむ。おはようなのじゃ。今日もシャーリーは元気じゃのぅ」
「えへへ。食べよ」
往復するシャーリーを眺めながら、俺は席に着く。
そしてシャーリーが座るのを待ち、二人と目を合わせる。
毎朝この光景を見ることが出来る俺は……幸せ者だな。
「「「いただきます」」」
重なる声が心地よく、朝の食卓に響いた。
予備の服、良し。宿賃等出費が分からないので金貨は多めに。銀貨袋も良し。
青色ポーション二本、赤色ポーション最後の一本。毒消し、気付け薬、予備の道具袋……これぐらいだろう。
鉄の剣は、どうせ町中では帯剣しないから、良いか。
今回は、護衛でも無いしな。
準備を済ませ、食堂へと向かう。
冷たい茶を飲む二人が、楽しそうにお喋りしている……このまま屋敷でゴロゴロしていたい気分になってくるな。
「シャーリー、テラさん。そろそろ行って来るよ」
「うん。アムによろしくね」
「無駄遣いするでないぞ」
笑顔のシャーリーと、冗談めかして小言を口にするテラさん。
二人は……大丈夫だ。
立ち上がり、見送りに出ようとする二人に、手で制止の合図を出す。
ここで、十分だ。引き続き茶を楽しんでもらおう。
「分かってます。じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」「いってらっしゃいなのじゃ」
手を振る二人に、俺も手を振り返し……背を向けた。
嗚呼、名残惜しい、名残惜しい。
後ろ髪を引かれながら、屋敷の出入り口を開ける。
そして、外へ出て、振り返った。
いつもの、変わらぬ屋敷だ。
「いってきます」
なぜだろう。そう言いたくなった。
当然、声が返る事は無く、呟きは消えるだけだ。
ゆっくりと扉を閉め、鍵を掛ける……さぁ行こう。
アムとミュール様が待っている。二人を待たせる訳にはいかない。
自然と俺の足は、通い慣れたフクロウへの道を進み始めた。
転移陣の光が薄れ、目が慣れると、お茶を飲むミュール様の姿が見えた。
細い指で摘まんだカップを丸卓へ戻す姿一つ、優雅である。
青く長い髪に、整った感情の乗らぬ顔――目が合い、ミュール様が小さく微笑んだ。その変化は、胸に突き刺さる。
「フフッ。おはよう、マルク」
「おはようございます、ミュール様」
「ふぅ。やっと来たか。シャーリー達と離れたくないのは分かるけど、遅いよ。マルク」
歩み寄りながら、さわやか声の主であるアムを見る。
ミュール様の真正面に座ったアムは、上体をずらし、俺に視線を向けていた。
活き活きとした赤い髪も、張りのある肌も、元気そうで安心する。
目の前に置かれたカップは。空であった。
ミュール様のお茶を飲めるようになったのか……偉いと褒めたい所だが、言葉を飲み込んでおく。ミュール様の前だしな。
「まずは挨拶、だろ?」
「だね、おはよう」
「あぁ、おはよう、アム。遅くなってすまん」
実際の所、遅刻なんてしていない。が、アムに合わせておこう。
渡りに船と言った顔をしたアムに、いちいち訂正するのも酷な話である。
取りあえず二人に近付いてみたのだが……残念ながら俺の席は無い。
すぐに出発するから、と言う理由は分かれど、ミュール様のお茶が飲めないのは、非常に残念だ。
「では、早速出発しましょう。アムも退屈していたみたいですし」
「いえ。楽しい茶会でした」
「ならば、また今度」
「はい。マルクも共に」
二人は、その美しい顔に微笑を湛えながら、席を立つ。
茶会の約束とは、思ったよりも仲良しである。
何故か俺の意見無しで、参加が決定しているが……大歓迎だ。
俺とアムは、ミュール様の隣へと移動する。
アムの手荷物は、鞄一つの様だ。
ミュール様が両手を差し出し、俺達は、それぞれに手を重ねる。
「≪転移≫」
言葉と共に、視界に映る物が一変した。
窓一つ無い部屋。朝なのに灯る魔工石。並べられた用途不明の魔道具。
そして、カウンターで横になっている黒猫。
少し落ち着く。ここは――
「相変わらずだね、ミネルヴァ」
「跳ぶには、ここが安全ですから」
ゆったりした声が、耳に心地良い。
声の主は、カウンターの奥で少し高い椅子に座る、モーリアンさんだ。
モーリアンさんは、年齢四十程の女性で、今日も、ぼさっと金の髪を跳ねさせたまま、眠たそうな目をしていた。
その目が、俺を見て、柔らかに目尻を下げた。
「おはよう、マルク少年。また会えて嬉しいよ」
「おはようございます、モーちゃん。俺も、嬉しいです」
言葉を交わすと、その口元にも、笑みが浮かぶ。
それはきっと、俺も同じだ。




