396.駆け足で進む穏やかな一日
目覚め、木剣を振り、シャーリーの朝食を食べる。そして、また木剣を振る。
その後、女王の塔へ向かい、ミュール様の指導の下、絶氷の棺の訓練に勤しむ。
そして、テラさんとミュール様、二人と共に、お茶を楽しんだ。
その後は、自由であった。
なので今日は、テラさんの用事に付き合うことにした。
まず、進む先は厩舎。
声を掛けながら近づくと、愛馬は鼻で俺を押してきた。
我が愛馬は、元気で、実に嬉しい。
鳴き声を耳にし、丸い可愛らしい瞳の動きを観察しながら、ブラシを掛ける。
テラさんと交代交代で。
愛馬の頑強な体に沿って、ブラシを動かすと、毛の艶が変わった気がして、嬉しくなる。それはテラさんも同じなのだろう。
その緩む顔と耳は、我が愛馬ヴェントへの愛に満ちていた。
一頻り愛馬を愛でたら、厩舎の作業員でシャーリーの友人のナンシーの手伝いを行う。桶を洗い、水を補充してまわり、干し草を運ぶ。
寝床の清掃や準備は、ナンシー任せだ。その分、力仕事は引き受けよう。
作業を終えた後は、愛馬を軽く走らせる。
ピュテルの町の一角に、馬を運動させるための運動場がある。
そこで、ぐるりぐるりと一周一周回り、軽く運動させる。
動く愛馬は、躍動の勇ましさも相まって、格好がいい。
厩舎に戻れば、後はナンシー任せだ……本当は親父さんに預けているんだけど。
小麦の様に実る、背の三つ編みを揺らしながら、ナンシーが別れの挨拶をくれる。明るい笑顔は、ひまわりのように日を照り返す。
「ありがと、テラさん、マルクさん」
「またのぅ、ナンシー」「ヴェントを頼む」
次に向かったのは、狼のまんぷく亭だ。
馴染みの給仕であるサンディは、忙しそうに働いていた。毎日である。
目が合うとサンディは、褐色の肩を見せつけながら、俺たちに向き直り、明るい顔を見せた。そして俺達に歩み寄り、出迎えてくれる。
「いらっしゃい。二人とも。マルク、テラさんごあんなーい」
賑わう店内、入口近くに案内され、ゆっくりと待つ。
喧騒を聞きながら、テラさんと語らいながら。
狼のまんぷく亭は冒険者が多い……そしてその視線は、俺に突き刺さっている。
それは昨日一昨日もそうだったので、まぁ今更かもしれない。
「ハイ、おまち。豚とキャベツの重ね焼きと梨だよ。ゆっくり食べてね」
サンディが持ってきた料理に目を向ける。
主の皿には、薄切りの豚肉とキャベツが折り重なった不思議な食べ物が、ドンッと乗っていた。重ねる意味があるのだろうか?
他には、パン、切り分けられた梨、ひよこ豆もスープが置かれていた。
「「いただきます」」
早速、豚肉をキャベツと共に一口大に切りる。
柔らかなキャベツと豚肉は、簡単にナイフを通した。
そしてフォークで掬い……いや、全て刺し、フォークに層を作り上げる。
そのまま口へ入れ、噛む。
嗚呼、重ねる意味は、あった。
キャベツが肉の美味しさを纏っている。それにキャベツの甘さと豚肉の濃厚さ。足された塩と粗挽きの胡椒が、味を引き立たせてくれる。
これは良い。ただ二つを合わせただけなのに――
「美味いなぁ」
「うむ。舌が肥えるのぅ」
テラさんと合間合間に会話をしながら、食事を進める。
パンもスープも、甘い梨も、美味しくて満足だ。
全てを食べ尽くし、サンディの持って来てくれた空の樽型ジョッキに注いだ水を、ゴクリ、ゴクリと飲み干す。
「「ぷはぁー」」
テラさんと共に、氷の涼を堪能する。今日は、昨日程は暑くないので、そこまで氷を望んではいないのだが、心地よいものは心地よいのだ。
「「ごちそうさま」」
「アハハ。それだけ美味しそうに食べたら、お父さんも大満足だよ。またね、マルク、テラさん」
「ああ、また来るよ」
「恐らく夕食にのぅ」
サンディの笑い声を背に受け、そのまま店を後にした。
次にテラさんが向かったのは、孤児院であった。
様子を見に行きたいのは、俺も同じである。
孤児院は町の石壁の近くだ。
町中への戦闘の被害は耳にしていないが、当然、気になってしまう。
それ以外にも、盗みの心配もある。
心配する心を抑えながら孤児院へ向かうと、そこには元気に走り回る子供たちの姿があった。エルとギュスト、そして姿は見えぬがネフツさんも共に居る。
エルは、十歳の少女であり、教会の重要人物である。
今日も長い金の髪を二つに分け、淡褐色の瞳で俺を見ていた。
ギュストは、少年の様なあどけない顔をした褐色の青年だ。俺と同い年には、見えないな。帯剣しているのは、護衛としての任が最優先だからだろう。
ネフツさんは、相変わらず魔力の揺らぎしか見えない。俺が見ると、ゆらっと魔力が動いた。手を振り返しておく。
「あら? マルクも来たのね。さぁ、共に子供達と遊びましょう」
エルのこの言葉に、拒否権は無い。
まぁ避難していた皆が戻ってきているのならば、元よりそのつもりであったが。
そして俺は、馬になった。
幾人が俺の背に乗ったのやら……仔細は、語るまい。
遊びが終われば、勉強の時間だ。
孤児院の中でも年齢の高いチャック達、エル、テラさん、そして俺が子供たちの文字の勉強を見守る。
ギュストが先程から変な物を見る目で俺を見ているが、気にしたら負けだ。
あんなのに構うよりも、目の前の少年、ヨームの事だ。
紙に描かれた文字をなぞり、小さい指がゆっくりと動く。
そして、ヨームがニカッと笑った。
「良く出来た、ヨーム」
俺は大きく頷き、良しを手で示した。
ヨームは満足したのか、次の字へと興味を移し、文字をなぞり始めた。
勉強熱心で、実に良い。
頭を撫でたい気持ちを押さえながら、ヨームの勉強を見守る。
後ろから服を引っ張られたので、振り向くと、年の頃五つほどの少女が……ステフだったな。
ステフは、ヨームと同じように文字をなぞり、俺に見せた……なる程。
「ステフ。ナイス」
再び大きく頷き、良しを手で示し、ステフに見せる。
瞬間、パっと花が咲いた。良い笑顔だ。本当に、良い子達だな。
引き続き二人の頑張りを、見守る。文字を勉強する時に、挟む口は無い。
勉強を見た後は、エル達と共にお暇する事にした。
「またいらしてください、エル様、ギュスト様、テッラリッカさん、マルクさん」
「はい、叶うならば。失礼します」
「まったねー」
ヒルデ院長に各々礼と再開を望む言葉を返し、子供たちの声に手を振りながら、俺達五人は、孤児院を後にした。
今度の行先は、教会である。
夕陽を浴びながら、エル達の前を歩く。
「マルクとテッラリッカは、わたくしに付き合わず、皆と夕食を共にしても宜しくてよ」
「それが苦手じゃから、マルクは逃げたのじゃ」
「マルクは、仕方が無いですわね」
「大人数は苦手ですけど、それよりも、俺が食べる分があるなら、あの子達に食べて欲しいですから。食事は大事ですよ」
俺みたいに、狼のまんぷく亭に行く以外は干し肉を齧って過ごしていたような食生活は、絶対に駄目だ。
「そう言う事にしてやろうかのぅ」
「ですわね」
テラさんとエルは、クスっと笑いながら、そう言う。
振り返ると、ギュストが首を縦に振っていた……それは誰への同意だ? エルに決まっているか。
赤い大聖堂の前を通るが、避難した人達は独りも見掛けなかった。
皆、自分の居場所に戻って行ったのだろう。
そのまま、エルの屋敷へ向かい、屋敷の前で三人と別れる。
「傷が癒えましたら、皆と戦って頂きますわよ」
「出来ればご勘弁を」
「駄目ですの。テッラリッカもまた会いましょう」
「うむ。またのぅ」
笑いながら去るエルを小さく手を振りながら、見送る。
去り際にギュストが鼻で笑いやがった。何なんだあいつは……。
そして二人の後ろを、魔力がすぅーと移動する。ネフツさんも大変だな。
「一度、帰りましょうか」
「じゃな。喉が渇いたのじゃ」
「はい。茶にしましょう」
嬉しそうに耳を跳ねさせるテラさんと共に、自分の屋敷へ向け、歩き出す。
まだ、夕食には早い。
今日は一日、町を歩いたな。
戦う事もなく、ぶらぶらと出来るのは、嬉しい限りだ。
それに、想像よりも、テラさんへの視線が強く無くて良かった。
隣を歩くテラさんと目が合う。俺を見上げる顔は、明るく元気だ。
「ん? 何じゃ?」
「冷たいのと暖かいの、どっちにしましょう?」
「暖かいのじゃな。冷たいのばかり飲むと、体に悪いのじゃ」
「では、暖かいので」
さぁ、屋敷へ帰ろう。
とは言え、茶を飲んだらまた狼のまんぷく亭へ行くのだけれど。
その後は、風呂に入って、テラさんの寝具に魔力を込めて、魔法球の訓練をして、魔導書を読んで、寝るだけだな。
夕陽が落ちるにつれ、一日の終わりを感じ始める。
だが、明日の平穏を願うのは、寝る前にしよう。
今日は、まだ終わっていない。




