395.幕間~モルス、王と教会~
人名追加 ミトラース大司教
広く、暗い、とある一室。
部屋を照らすのは、ロウソクに灯る炎が二つ。
光は壁にすら届かず、石の寝台の如き祭壇と、その前に立つ男、そして祭壇の上にて光を吸い込む様に蠢く石、ダークマターを照らしているだけであった。
黒いローブを羽織る四十程の男は、波打つ白髪交じりの黒髪を左右に広げていた。四角く、力強さを感じる顔つきの男の目は、手に持つ魔石に注がれていた。
注がれているのは視線だけではない。
男の魔力もまた、魔石へと注がれている。
男は、魔力を注いだ魔石を、頭蓋ほどの大きさのダークマターへと押し付けた。
ダークマターが、黒い光を放ち、魔石を包み込んだ。
黒い光が消えた時、既に男の手から魔石は消え失せていた。
ダークマターの内側で、黒が揺らめきを見せた。
男は、次の魔石を取り出し、同様の事を続ける。
何度も、何度も。
自らの魔力と共に、魔石を喰わせる様に。
男が最後の魔石をダークマターへ吸い込ませたとき、暗闇から黒いローブを目深に被る男が現れた。
そして祭壇の前に立つ男から僅かに離れた場所で、黒いローブを目深に被る男は膝を突いた。そして、口を開く。
「ザルバザード大司教様。失礼致します。ご報告が御座います」
「構わん。申せ」
「浸食の悪魔が討たれたと、報せが届きました」
「そうか。皆にピュテルより引く様に伝えよ。その命は、黒竜と共に」
「ハッ。承知いたしました。我ら皆、モルスの元へと」
黒のローブを目深に被った男は、立ち上がり、深々と頭を下げた後、暗闇の中に消えていった。
ザルバザードと呼ばれた男は、祭壇に安置されたダークマターへ手を伸ばす。
曖昧な黒の境界線を通り過ぎ、ザルバザードの右手は、ダークマターの中へと吸い込まれていった。
「感じる。黒竜の鼓動を……トレニアは良き働きをした。君の遺志の一片は、私が引き継ごう。太陽を落とす、その遺志を」
ザルバザードは、ダークマターから手を抜き、祭壇に背を向けた。
瞬間、ロウソクの炎が消える。
闇に包まれた中ですら、祭壇の上のダークマターは、黒く、蠢いていた。
闇すらも飲み込むかの様に。
謁見の間は、静まり返っていた。
玉座に座るは、レオニード王。
灰色と金の交ざり合った髪は、豊富であり、それを金の冠が包んでいた。
六十の時を思わせぬ、活力あふれる顔をしており、そこに衰えを感じさせない。
王の力強い目が、跪く、白い服の女性へと向けられていた。
「表を上げよ」
「はい。レオニード王よ」
白い服の女性は、ゆっくりと顔を上げた。
その瞼は、閉じられていた。王の前でさえも。
彼女の名はユトナ。
王と教会を繋ぐ折衝役であり、自身も一人の回復術士である。
目を瞑るユトナの顔は、皺一つなく、少女の様でもあり、歳を重ねた女性の様にも見えた。
目を瞑っていても、その顔は、真っ直ぐに王へと向いている。
王もまた、ユトナの顔を、その力強い瞳で見つめていた。
「ユトナ殿、呼び立てた理由は他でもない、浸食の悪魔の事だ」
「はい。浸食の悪魔討伐の報せは、既にレオニード王も御存じかと思われますが」
「耳にしたのは、太陽伯の討伐宣言のみでな。ユトナ殿であれば、他の者が知らぬ仔細も知っておるだろう?」
「それは買い被りで御座います」
ユトナは小さく首を横に振った。
王の目は、変わらずユトナを見ている。その威厳に満ちた顔は、ユトナの言葉を微塵も信じてはいない事を表していた。
「王よ。何を御知りになりたいのでしょうか?」
「語れぬ事もあるのだな……まずは、戦いの事を」
「畏まりました。昨日の討伐宣言より遡る事、三時間前。太陽伯は、Aランク冒険者巨人殺しバルザックパーティー五名、Aランク冒険者ワンダー、マルク青年、仮面の男ファントム、教会の回復術士十名を引き連れ、ピュテルの遺跡第五十一階層に居る、浸食の悪魔の元へと向かいました」
「まて、その仮面の男ファントムとは何者だ」
王が、当然の疑問を武器に、話の腰を折った。
ユトナは、表情一つ変えずに、王へ答えを返す。
「仮面の男は、仮面の男で御座います」
「教会として表に出せぬ、という事か。済まぬ、続きを」
「はい。事細かな事は省きます。戦いの中、マルク青年が浸食の悪魔を氷漬けにし、バルザック氏と太陽伯によって討伐されたとの事です」
「して、ユトナ殿。何人の犠牲者が出た」
「死者は、おりません。負傷者は、マルク青年一人です」
王は目を閉じ、一つ、二つと頷く。
ユトナは、静かに王の言葉を待つ。
「十年前を思えば、死者なしは、快挙であり喜ばしい事だな。ユトナ殿。マルクの怪我は重いのか?」
「ご安心を。仮面の男と回復術士の手によって、治癒は終わっておりますので。本日、既に目覚めた事でしょう」
「そうか。それは良かった」
既に昨日の夕刻、目覚め、町を歩き回っている事を、二人は知らない。
「戦いについては、もう宜しいでしょうか?」
「よい」
王は強く頷き、重く確かな声で、短く返す。
そのまま、王は次の要求へと動いた。
「では次に、教会のマルクに対する動きを聞かせて貰いたい」
「動きは……特には。静観するつもりの様です」
「取り込みも排除もせぬか。過去を思えば当然の帰結か」
「王の言葉は、偉大ですので」
「儂の勝手が、マルクの助けに成れば良いのだがな」
「その心は、伝わる事でしょう」
ユトナが閉じた瞳に弧を描いた。目尻の下がる顔は、少しだけ柔らかである。
王は表情を崩さず、頷くにとどまった。
「ユトナ殿、もう一つ聞かせて欲しい。あの宣言は太陽伯の独断か?」
「ミトラース大司教様は、御存じなかった様ですね」
「十年前の様な……膿を出すのならば良いが、ただの内輪揉めは困るのだがな」
「そればかりは王であれ、手を出せば火傷してしまいます。その傷は、回復術士では治せませんので」
「ユトナ殿。忠告、痛み入る」
「王の助けとなれば、幸いです」
跪いたまま、頭を下げるユトナの真意を、王は掴むことは出来なかった。




