353.知らぬマルク、知るマルク
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事が動いたのは、真夜中であった。
北の山より現れたのは、オーガの一団であった。
第三波と呼ぶには小規模であるが、草原に広がり、ばらばらと町に近付くオーガの中に、灰色の個体が交じっている事に、石壁の上に居た魔術師達は、気が付かなかった。
それでも、上方から戦場を見る彼らの中には、その灰色のオーガの取る行動を見て反応した者もいた。
この男も、弓を構えるオーガに気付いた一人であった。
「≪魔力の壁≫」
男は咄嗟に、自身の前に薄紫色の壁を作り上げた――その時、男の作り上げた魔法の壁に、三本の矢が突き刺さった。
同時に聞こえる、石壁を砕く音。その中に紛れる、苦痛の声。
矢は、魔力の壁を破壊すると共に、消えていく。
男は、咄嗟に姿勢を低くし、身を隠しながら移動を始めた。
男は動く。同じく石壁の上で戦っていた仲間を、同僚を助ける為に。
「矢だ! 治癒を! 上に来てくれ!」
石壁下で待機している回復術士達に届くように、男は声を張り上げる。
聞こえた呻き声で、男は状況を理解していた。
同僚達が、オーガの矢に貫かれたと。
戦場に声が響く。
それが何を言っているのか、男には聞き取る余裕は無かった。
同僚に駆け寄った男は、僅かながら安堵した。
まだ、死んでいない、と。
「すぐに回復術士が来る。しっかりしろ」
同僚の肩に穴が空いている。
矢は、既に消えていた。
流れる血は、ローブを染め、そして止まらない。
「流る水よ、彼の者に留まりて、安らぎの一助を。≪癒しの水≫」
男は、体から抜け出る魔力による虚脱感と抗いながら、同僚の肩に癒しの水を押し当てた。
歯を食いしばる様に、同僚が呻く。
男は、次第に柔らかに落ち着いていく顔を見て、魔法の効果を実感する。
同僚の呼吸音を聞きながら、男は回復術士の到着を待った。
石壁の内側で休息を取っていた自分の失策を思い知った。
オーガの群れ。
石壁の上より聞こえた報せに、問題無いと判断してしまった。
鋭い魔法。高い命中精度。豊富な魔力。
故に、石壁の上に居るのがフクロウの瞳の学派員であり、戦闘経験の少ない者であると、心から抜け落ちていた。
感じた魔力と、石壁を砕く音で気付く。
オーガの群れの中に、ハイオーガが交っている事に。
ハイオーガ。
灰色の肌をした、オーガ。
成人男性より頭一つ程度大きい、その姿は、ヘヴィオーガ程の圧は感じない。
筋骨隆々な体は、オーガと同じであるが、色以外にも大きな違いがある。
それは、弓と剣を扱う点だ。
魔力で生み出した実物の如き矢を、その発達した筋肉によって放つ。
人間の力と比べ、モンスターの力は大きい。放たれる矢の飛距離も、当然長い。
ダンジョンでは、第二十五階層から出現するモンスターだ。
ダンジョンでは、その弓矢の飛距離を活かせないが、この場は違う。
魔術師達が、石壁の上から一方的に攻撃できるのは、魔法の有効射程の方が、モンスターの攻撃よりも長い場合だけだ。
遠距離から攻撃を仕掛けて来るモンスターがいる場では、その優位は無くなる。
俺とテラさんは、前へと駆けていた。
回復術士を呼ぶ声が、石壁の上から響く。
「アム! 救助優先! 下は任せろ!」
「了解!」
上から響く声に、アムの無事を知る。大きな心の淀みが、一つ消えた。
先手を取られる程の遠距離ならば、弓の命中精度は高くない。
だが恐らく、何人かは……頭と胸に矢を受けていなれば、即死は無いはずだが……こればかりは、魔術師達の運次第だ。
前方で戦列を組む皆の姿が、徐々に近付く。
「テラさんは、皆と援護を」
「お主は?」
戦列を組む皆の脇を駆け抜けながら、全員に聞こえる様に大声を出す。
「前に出ます! ≪火精霊の球撃≫」
駆ける足をそのままに、十の火球を作りだし、オーガへ放つ。
遠く離れたオーガの頭部に吸い込まれる様に跳んだ火球は、着弾と同時に爆発し、その頭部を吹き飛ばした。
オーガの群れ。テーベの黒い影を思い出す。
あの時は、火球に無理矢理魔力を込めねば、オーガの致命に至らなかった。
だが、今は、軽く放っただけでも、吹き飛ばせる。
何の訓練が効果があったかなど、知らない。
今は、力を振るうだけだ。殲滅速度を上げよう。
ハイオーガに至るまで、オーガを潰して回る。
ハイオーガの射線が俺に通った時、ハイオーガの最後だ。
俺は、腰の剣を抜き、幾度も呟いた。
「≪火精霊の球撃≫、≪火精霊の球撃≫……」
グレッグは、草原にて行われているオーガの虐殺を見て、呆けていた。
虐殺されているのは、オーガだ。暴れ回っているのは、見知った青年マルク。
「何だ……あれ……」
遠くでマルクが、オーガの持つ槌の一撃を躱した。
瞬間、マルクの周囲に火球が生まれ、槌を振るったオーガの頭が吹き飛んだ。
ついでの様に、周囲のオーガ達にも火球が命中する。
重なる爆発音とともに、十のオーガが命を止め、塵と化した。
息つく間もなく、視界の中のマルクは、次のオーガへと一足で接近し、剣でオーガの腹を裂く。深く鉄の剣で裂かれれば、然しものオーガも、命を落とす。
いつの間にかマルクの周囲には、再び火の球が生まれていた。
放たれた火球は、一つたりとも外れる事無く、オーガの頭部を吹き飛ばす。
火球、爆発、消失、火球、爆発、消失……。
オーガの暴力の海を泳ぎながら、マルクが、絶える事無く死の炎を撒き散らしていた……爆発の音が、耳を劈く。
それは、グレッグの知るマルクの姿では無かった。
怪我をした仲間の穴埋めに助っ人依頼を出した時は、あれほど可笑しくは無かった筈だ。グレッグは、記憶を遡る。
共に、ヘヴィオーガを討伐した時は?
共に、血染めの斧を持ったレッドキャップの集団と戦った時は?
共に、南方の森でダークトレントと戦った時は?
元から可笑しな奴ではあった、とグレッグは思い返す。
それでも、オーガの群れに突撃して、平然としている程では無かった筈だ。
冒険者を辞めた後、マルクが強くなったのは、今日、既に見ていた筈であった。
それは、魔術師としてのマルクの成長であった。
そう『であった』とグレッグは認識を改めた。
(冒険者辞めた後、マルクに何があったんだ……)
爆発音の響き続ける中、グレッグの耳は、叱責の声を捉えた。
瞬間、グレッグは、我に返る。
「何を呆けておる! お主が、この場の指揮官であろう! マルクを独りで戦わせる気か!」
声の主は、マルクと共に居た少女であった。
グレッグは今日目撃した、この長い耳の少女に小さく微笑むマルクの姿を、思い出した。
(あれは、俺の知っているマルクだ)
愛想が無くても、村を助ける為に共に命を懸け、モンスターに立ち向かったマルクの姿を。ただの助っ人、一時の仲間。それでも、俺達の無事を知り、小さく笑うマルクの顔を……グレッグは思い出した。
グレッグは、己の頬を叩き、真っ直ぐ戦場を見た。
出すべき指示が、頭を巡る。
「魔術師は、前方に守りを」
「「「≪魔力の壁≫」」」
グレッグの声に応じ、魔術師達が呟く。
戦列の前方に、半透明で薄紫色の魔法の壁が生み出された。
「射手は、左右の数を減らせ。山なりに、ありったけだ」
グレッグと同じく呆けていた射手達は、グレッグの声に重なる様に「応」と答え、射撃を開始した。
戦列という一点から放たれた矢が、左右に散り、次々とオーガに突き刺さる。
「戦士も弓を持て。だが、もしマルクが下がってきたら、前に出るぞ」
戦士達は、答える声と共に得物を弓に変え、射手に続き、左右へ射撃を始めた。
「ふん! 出来るでは無いか」
「助かった。流石、マルクの女だな」
「当然じゃ。≪魔力の槍≫」
グレッグは、少女が空中に生み出した魔力の槍の数を見て、少女が自分と違い、呆けていた訳でない事を知る。
「行くのじゃ」
少女の声と共に、次々と放たれる薄紫色に輝く槍が、オーガの命を奪っていく。
それでも尚、マルクという誘蛾灯に集まるオーガは、左右から中央へと押し寄せていた。
その光景を見たグレッグは、マルクが独り、前へ出た理由を知った。
全てのオーガの目を、ピュテルの町から逸らす為だと。
(なんだ、やっぱり変わって無いじゃないか……マルクは、マルクだ)
グレッグは、戦況を見守る。
オーガの、そしてマルクの動きに合わせ、マルクを守る為に。




