2.久しぶりの
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鳥の声が響き、柔らかな春の光が寝室へと差し込んでいる。
俺は寝ぼけた頭を覚ますために、洗面所へ向かった。
鏡に自分の顔が映る。普段なら父親譲りの鋭い目が睨み返してくるのだが、映る顔に覇気はなく、金の髪もぼさぼさだ。シャキッとせねば。
そして右手に――「≪癒しの水≫」――魔法を生み出し、それを顔面に叩きつけた。冷やりとした感覚が、顔一面に広がっていく。
顔に張り付き、そのまま留まる癒しの水が、目覚めの清涼感を与えてくれる。
「おはようお兄ちゃ……ん…………何してるの?」
「ぼばぼぶ。びゃーびー」
戸惑い混じりでも、心に響く柔らかな声。
久しぶりに聞いた声に嬉しくなり、つい癒しの水を顔に張り付かせたまま、答えてしまった。
すうっと顔拭き布を差し出す彼女を、俺は手で制止する。
癒しの水は、自然と体に吸収されるからだ。
もちろん、この魔法はこんなことに使うものではない。病や痛みの緩和、傷の治癒促進、体力回復に使う魔法だ。魔力の消費も多いので、乱用は厳禁である。
「ふぅ……おはよう、シャーリー。そして久しぶり」
「もう、私は毎日来てるのに。お兄ちゃんが忙しかっただけでしょ」
「あー。確かにこんな時間まで寝てたの何時以来だろうな。ハハハ」
俺を”お兄ちゃん”と呼ぶ彼女の名は、シャーリー。
妹ではなく、幼馴染というやつだ。
上に兄弟のいない彼女が寂しがってなのか、俺を”お兄ちゃん”と呼び始め、それが今でも続いている。
シャーリーは、冒険者であった亡き父と母がよくお世話になっていた道具屋『鴨の葱』の看板娘である。
肩口でまっすぐに切りそろえられた明るい髪に、クリッとした目、柔らかな口元、そこから繰り出される満面の笑顔に、恋してしまう冒険者も多いらしい。
いや、彼らの目的は、シャーリーの大きく盛り上がった胸元を拝みに行くことかもしれないが。
その看板娘が、何故うちに毎日来ているかというと、彼女のお母さまである『鴨の葱』店主リンダさんの頼みらしい。
独りで屋敷に住む俺を気にしたリンダさんに「あんた。マルクの様子を見てきてあげな」と頼まれたから、とのこと。
実際の所、俺は屋敷をほぼ睡眠をとる以外に使ってなかったので、ここで彼女と会うことは、ほとんどなかった。
それに、シャーリーから直接話を聞くまでは、彼女が偶に屋敷を掃除をしてくれていたことすら、俺は知らなかった。
依頼、依頼、依頼の毎日だったとはいえ、俺は、とんだ大まぬけである。
「ひ・さ・し・ぶ・り・に、ご飯作ったんだから食べてよね」
「ありがとう。助かる」
手を後ろにまわし、跳ねるように歩くシャーリー。
俺は伸びをしながら、その後ろをついていく。彼女が楽しそうで良かった。
食堂には、既に三人分の食事が用意されていた。
それぞれに厚切りの燻製肉と脇に添えられた温野菜、カブと人参のスープ。そして卓中央には今朝一で焼かれたであろうパン。特に、燻製肉から漂う独特の焼けた油の匂いと、湯気と共に立ち上るスープの香りが合わさり、俺の腹を鳴らした。
ん? 三人分?
肉とスープは三つ並んでいて、スープからは湯気がたっている。
配膳されてから、時間がそれほど経ってないってことは――追加の一人分に、思い当たる人物がいた。
俺の頭の中に、もう一人の幼馴染の姿が浮かび上がる。
短く切りそろえられた、燃えるような赤い髪。
高い背丈にすらりと真っ直ぐ伸びるシルエット。
さらに高さに見合わぬ小顔は、飛び切り甘いマスクを備えており、あの顔で幾人の女性を狂わせてきただろうか数えきれない。
姿の見えない幼馴染に、声をかける。
「おはようアム君。配膳ご苦労。もう君、帰っていいよ」
「おはようマルク。いつもながら僕には厳しいね」
「お前は男の敵だからな」
くすくすと笑いながら、もう一人の幼馴染アムが、台所から顔を出した。
「マルク。君は全く……僕とシャーリー。こんな美女二人が君のために『一緒に食事をいたしましょう』って準備をしたんだよ。君は、涙を流して喜ぶべき場面じゃあないのかい?」
冗談めいた口調でそういったアムが、いたずらっ子のように口を曲げた。
目の前の美しい”女性”が、少年のような顔をする。
ああもう……男が女性を手当たり次第なら、それは女の敵だろう。それなら嫉妬してそこまでだ。
そう女性。こいつは――アムは女性なんだ。
だからこそ……こいつは男の敵だ。