21.贈り物は徒労と共に
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リンダさんの手伝いを終わる頃には、もう日が落ち始めていた。
「えー、ご飯食べていけばいいのにー」
「いや、まだアムの所に行かなきゃいけなくてな」
「ふーん。まぁいいや。お兄ちゃん! 頑張ってね!」
何やら期待するような眼で俺を見ているが、その期待には応えられない。
女心講座の実践は、まだまだ先になりそうだ。
「すまん、シャーリー。俺にはまだ早い」
シャーリーが陽気に笑いながら「いってらっしゃい」と見送ってくれる。
客の邪魔にならぬよう、裏口から帰ろう。
アムの研究室までは、それほど距離は離れていない。
アムが晩御飯を食べに行くまでには、間に合うだろう。
夕日が町を赤く変える。
皆、商店通りへ向かって歩いている。流れに逆らい、俺はここから離れた。
歩いて三分ほどで、もう見えてきた。学派敷地内と町を隔てるレンガ壁だ。
町の五分の一ほどの土地は、魔法学派『フクロウの瞳』が使用している。
それを囲むように作られた高いレンガ壁は、町の外壁程でなくとも拒絶感を感じる。学派と関係のない者には特にだ。
このレンガ壁の中には、魔法の学び舎、研究室や実験場、フクロウの瞳の本部がある。
レンガ壁の中に入るためには、門を通らねばならないが……。
「お疲れ様です」
門番として立つ二人の兵士に、いつも通り挨拶をする。
彼らは頭を少し下げ、それを返事とした。
入ってよい、という合図だ。
魔法学派に用がある時はいつもこんな感じだが、学派とはほぼ無関係の俺が、顔と挨拶だけで通れる警備体制は……うん、正直どうかと思う。
俺は楽でいいのだが。
門をくぐり、研究棟へ向かう。
道には色違いのローブを被った子供たちがはしゃぎながら、外へと向かっている。学び舎の帰りなのだろう。
その年頃は、何をしていただろう。
冒険者パーティーの御供として魔石拾いをしたり、ダンジョン低層の”お掃除”をしたり、近隣の低脅威のモンスター討伐なんかもしてたなぁ。
ムル婆ちゃん達の世話になったのも、その頃からだったか。
なり立て冒険者だった俺と違い、アムは学び舎に入ると『神童』として持てはやされた。しかし、アムはある時期から、自分の魔力の増大や、強大な魔法を扱うことより、魔法の制御や普遍的利用法の追及へと、方向性を変えた。
それもあってか、彼女を礼賛する人は極端に減った。
彼女を見限った人達は、とんでもなく見る目が無いのだろう。
まぁ、アム自身の人の好さのおかげか、人望はあるようなので、彼女の立場を俺が心配する必要はない。
考え事をしていたら、いつの間にかアムの研究室の前に来ていた。
ノックをしようと扉を叩こうとしたら、先に扉が開いた。
アムの研究室から出てきたのは、前髪を真っ直ぐ切り揃えている青髪の少女であった。彼女は驚く様子もなく俺を見上げている。
この子は、たしかアムの後輩の――
「パトリシアさん、こんにちは。アムは中にいる?」
「あら、マルクさん。こんにちは。残念ながらお姉さまでしたら、作業部屋にいらっしゃいますわ」
「んー。また今度がいいか」
「ここで帰っては、お姉さまが悲しみますわ。さぁ、私とご一緒に」
そう言うとパトリシアさんは、部屋に鍵をかけ、先に歩き出してしまった。
もう、付いて行くしかないようだ。道すがら尋ねてみる。
「やっぱり、ブラックスライムの?」
「はい。毎日作業しておりますが、なにぶん数が多いもので」
「押し付けてしまった手前、手伝った方がいいよね」
「それは、お姉さまに仰った方がよいかと」
それもそうだな。申し出も許可も、本人に聞かなきゃな。
それにアムになら、手伝いをする女の子も多く、俺はむしろ邪魔かもしれない。
「あー、うん。邪魔になるかも知れないからな」
「邪魔? 何を仰っていまして?」
「ん? いつも女の子達がアムの周りに――」
「ああ、あの蝿どもの話ですの……お姉さまに集る輩は多くとも、お姉さまを助ける人は、そう多くはございませんのよ」
初耳だ。
どうも俺は、一面的な見かたしか出来ていない時が多い。反省せねば。
「そうなのか……パトリシアさんは、アムを助けてくれているんだろう。ありがとうね」
「当然のことをしているだけですわ」
アムの作業部屋の前に着いた。
パトリシアさんは、三度扉を叩き、中の返事を待つ。
そして「どうぞ」の声が掛かると。彼女は扉を開けた。
「お姉さま。まとめた書類はお部屋に」
「ありがとう、パット。おや? 後ろに珍しい人を連れてきたね」
「はい。研究室前で確保いたしました」
確保って……逃げる野生動物じゃないんだから。
作業の手を止め、こちらにアムが寄ってきた。
その足は、少しふらついている。何やらお疲れの様子だ。
「なぁ、アム。お前、大丈夫か?」
「僕は大丈夫さ。あはははは。何をするにも魔力が必要でね。毎日空っぽさ。あぁ、ところでマルクは何の目的で、こんなむさ苦しい場所に遊びに来たんだい?」
「あー、アムに似合いそうなものを、選んできたんだけど……何か駄目そうだな」
もう駄目そうになっているな。毎日と言っているし、疲れているのだろう。
「なるほど。贈り物だね。実に有難い。でも今は忙しいから、その机の上にでも置いていてくれないかい」
「ん。わかったよ」
まぁ受け取ってくれるならいいか。喜んで貰えればいいのだが。
俺は机の上に小さな箱を置く。落とさないように、ゆっくりと、出来るだけ机の内側に。さてと俺の用事はもう終わったが――
「さて、俺も少しは片付けますかね」
「おぉ、天の助けだ、我らが光だ。魔石を砕くのは我らに任せ、マルクは魔石全てに、魔力を注ぎ込んでおくれ」
「了解」
さて、アムがこれ以上可笑しくならないように、働きますか。
ブラックスライムの魔石が入った袋が、二つ残っている。
ここにない四袋分は、全て砕いてしまったのだろう。
二袋まとめてでいいか。
袋の前でしゃがみ、袋それぞれに手を当てる。
「あ、あの」という戸惑いを含んだ声に、俺は顔だけ向ける。
黒い眼鏡をかけた小さな少女が、視界に入る。彼女の声らしい。
「え、えーと。えっとですね。魔石は、そのー、一つ一つですね。うん。魔力を込めないと。んー? すごい、じゃなかった。結構、うん、魔力損失がですね。生まれ、いや発生する、んですよ」
相槌を入れながら、最後まで聞いてみた。うん知ってる。
たぶんアムの後輩だろうけど、この子は誰だっけ? 憶えていない。
「ソニア。マルクさんでしたら大丈夫ですわよ。こっちへいらっしゃい」
「え? あっ。す、すいません」
「いや、ありがとう。ソニアさん」
ペコリと頭を下げ、ソニアさんは、アムとパトリシアさんの所へ戻り、魔石を砕く作業に戻っていった。いい後輩がいて、実に羨ましい限りだ。
さて、魔力を込めるのを始めようか。
袋に当てた手の先に、自分の魔力を流し込む。
ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと。
体に感じる脱力感はわずかであり、誤差のようなものだ。
全体に行き渡るまで、流し込みを続けよう。
魔力の流れを知覚できれば、全体に行き渡ったかどうかは、簡単にわかる。
そろそろいいだろう。魔力を込め過ぎて、爆発しても面倒だ。
袋を開け、中身の確認をする。確信があっても目視で調べるのは大事だ。
小指程度の魔石が、魔力を込めたおかげで真っ黒に変色していた。
これはブラックスライムの魔石固有の現象だ。
「アム、全部終わったぞ」
「こんなに速いなら、持ってきてもらった時にやって貰えばよかったよ。あはは」
「それだと危ないだろうが」
魔石に魔力を込めた状態で放置すると、危険だ。またモンスターに戻るだけならまだマシだが、呼び寄せて、増殖した時なぞ目も当てられない。
要するに、今、魔力を込めた魔石全て、今日の内に加工しなければいけない、ということだ。
さて、砕く単純作業も頑張りますか。
鉢に入れ、飛ばぬように棒で潰し、滑らかになるまで磨り潰す。
鉢に入れ、飛ばぬように棒で潰し、滑らかになるまで磨り潰す。
鉢に入れ、飛ばぬように棒で潰し、滑らかになるまで磨り潰す……。
作業終了後、マルクは「流石に、腹が減った」と言って作業部屋をあとにした。
見送ったアム達は、水生成の魔工石に微量の魔力を込め、水を流す。
手に付着した黒い墨のような粉が流されていき、落ちた水を黒く染める。
「パット、ソニア。食事はどうしようか?」
「後は寝るだけですし、ご遠慮しますわ」
「わ、私も」
「では、御馳走は今度にしよう。それにしても、何故か知らないがマルクが居てくれて助かったよ。もしかして、パットが呼んできてくれたのかい?」
パトリシアは、アムに手拭き布を渡しながら、アムの目を真っ直ぐ見つめる。
何かを問われていると感じたアムだが、見当も付かず「ん?」と首を傾げた。
「お姉さまったら、本当に憶えていらっしゃらないのですか……」
パトリシアはそう言うと、机の上に置かれた小さな箱を指さした。
「ん? 綺麗な箱だね。パットからの僕への贈り物かな? アハハ。僕の誕生日はまだ先だよ」
フフフと笑いながら、アムは箱の蓋を開ける。
中を覗いたアムの目を、白兎の青い一粒の瞳が見返す。
「あぁ、これはメノウのカメオ――あぁ、何て可愛らしいんだ……二本の耳も、少しこちらを向いた愛らしい顔も、繊細に彫られた体も、小さな尻尾も……このカメオの制作者は、きっと良い細工師なのだろうなぁ。特にこの吸い込まれそうな、小さな瞳が……これはサファイアかな?」
「きっとラピスラズリですわね。マルクさんも、なかなかどうして」
「わー、い、いいなぁ」
横から覗き込んだパトリシアとソニアが、言葉をもらす。
パトリシアの『マルク』という言葉に、アムの記憶が蘇る。
『アムに似合いそうなものを選んできたんだけど』
(え? これをマルクが? 突然? え? 僕のために? 僕のために!)
体温が上がり、徐々に赤くなったアムは、もう一つ、自分の言葉を思い出し、震える手を必死に抑えながら、箱を机に置いた。壊さぬように。
『でも今は忙しいから、その机の上にでも置いていてくれないかい』
そして、アムの膝が崩れ落ちた。
「あぁぁぁぁ……何という素っ気なさ……僕の誕生日すら憶えているか怪しい、あのマルクが! 僕に、僕の為にプレゼントを持ってきてくれたのに……何たる仕打ちを! 非道を! あぁそうだ、僕の言葉を聞いたマルクの、あの寂しげな仔犬のような顔が……あぁぁ」
「ねぇソニア。彼、そんなお顔をしていらしたかしら?」
「め、目は怖かった、ですけど。ずっと楽しそう……でしたよ」
「そうよね」