195.ロードゴブリン
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俺の頭を狙う黒い剣を、弾き飛ばす。
俺は両手で持つ炎帝竜の大剣を、ロードゴブリンの肩口へと打ち込んだ――が、奴の剣が、炎の剣を受け止めた。
その黒い剣が炎帝竜の大剣で斬れないのは、知っている。
狂ったほどの魔力の塊。
黒い剣で斬られた物体は、その膨大な魔力によって切断される。
炎の剣と重なる今も、俺の魔法を破壊しようと魔力が蠢いている。
押し込むのを諦め、黒い剣の軌道を反らしながら、後ろへ下がる。
奴と打ち合いながら、改めて確認する。
長い鼻と耳。通常のゴブリン程ではないが嫌悪を抱く醜悪な顔。緑の皮膚。
身の丈は、俺より僅かに大きい程度だ。
全身に飾り彫りの多い鎧。頭にはまった金の冠。そして人間が片手で扱う長剣より僅かに長い、黒い剣。剣身も十字鍔も柄も、黒い。
ロードゴブリンに間違いない。以前も戦ったことがある。
正直、勘弁して欲しい
救いがあるのは、ロードゴブリンの行動を既に知っている事と、奴自身は力で押すモンスター程の膂力が無い事だろう。
迫る黒い剣を、炎の剣で地面へと叩き付ける。この隙に一撃を。
が、ロードゴブリンは、素早い動きで大きく後ろへ飛び退き、炎の剣を躱した。
離れたロードゴブリンから、魔力の流れを感じる。
焦らず、流れを見極める。
魔力がロードゴブリンから地を伝い、周囲に広がっている。
これは、狂乱の咆哮ではない……ゴブリンの召喚だ。
なら、俺が選ぶ魔法は一つ。まとめて焼き払う
想像するのは、立つものを吹き飛ばす風、与えるは炎、魔力を込め、広げる。
周囲に広がったロードゴブリンの魔力から、ゴブリン達が生み出される。
まるで石畳の下から、ゴブリン達が浮かび上がって来たかの様に見えた。
数は数えない。種類は見ない。必要ない。
この部屋中を焼き払うだけなら、言葉は少なくて良い。
「吹き荒れろ、≪火精霊の嵐≫」
呪文が、俺の周囲に広がった魔力を、魔法の風へと作り替える。
俺の背を押すように突風が吹いた。俺は押されるままに、足を進める。
風と共に走る。当然、風が先を行く。
ロードゴブリンの周囲に出現したゴブリン達を、風が撫でていく。一体残らず、全てのゴブリンを。
風に触れたゴブリンの体に、炎が纏わりついた。
生み出されたばかりのゴブリン達が、燃え、断末魔を上げ、朽ちる。
その音を聞きながら、俺は、ロードゴブリンへと斬り掛かった。
横から水平に走らせた炎の剣が、上方に弾かれる。
ロードゴブリンの動きを見て、黒い剣の軌道を見極め、一歩退き、腹を薙ぐ一撃を躱す。黒い剣の切っ先が、腹の前を通り過ぎる。
剣の軌道が、本当に黒く染まった様に見えてしまう。
流れた黒い剣が、すぐさま戻って来る。
それを炎の剣で弾き飛ばし、そのまま胸を狙い突きを狙う。得物の長さは、こちらに有利がある。
しかし、ロードゴブリンが後ろへ倒れる様に突きを躱した。そのまま奴は、跳ねるように後方へと跳んで下がる。
魔法を撃ちこむなら、ここだ。
強く想像を組み立てる時間はない。
鋭く、早く、速く、凍える一撃を。
「≪氷結の投擲槍≫」
己の魔力と、魔道具である指輪から放たれる魔力が混ざり、放たれた。
俺から離れた魔力が、氷の結晶を頭上に生み出し、一本の氷の槍へと変じる。
狙いは、体勢の崩れたロードゴブリンの胴体。
動きを予測し、放つ。
高速で飛ぶ氷の槍が、体勢を起こしていたロードゴブリンの胸へと突き刺さる。
鎧を貫き、胸に深々と突き刺さった氷の槍が、ロードゴブリンの体を一瞬で凍結させた。そこにあるのは、一体の氷像だ。
だが、これでは、奴は死なない。
足を素早く動かし、全速力で接近する。
目の前では、凍ったロードゴブリンの表面に罅が入り始めていた。
氷の拘束が解けるのが早い。だが、もう――
「遅い」
振り下ろした炎の剣が、金の冠から股まで一直線に通り抜ける。
未だ氷に包まれたロードゴブリンの体に、炎の線が残った。
俺はさらに前へ進み、氷像の脇を抜ける様に、斬り抜ける。上下に分かつ様に、腹部へ炎の軌跡を残す様に。
ロードゴブリンの背後に回っても、奴から視線を放さない。
体の向きを変え、正面に捉える。
四つに分割されたロードゴブリンの氷像が、炎の浸食により燃え上がり、塵と化した。小さな魔石が、音を立て石畳を叩く。
周囲を見る。魔力を見る。周囲の魔力を感じ取る。音は……無音だ。
ロードゴブリンなど居なかったかのように、ダンジョンは、静けさに包まれていた。奴の存在した証明は、小さな魔石一つしかない。
炎帝竜の大剣を消し、大きく息を吐く。
「きっつい」
一度の失敗が死に繋がる戦いは、疲れる……いつもの事ではあるが。
手の中に収まる程に小さな魔石を拾いながら、考える。
やはり、遠くから勝負を仕掛ける事が可能な魔法は、偉大だ。
ムウに魔法を見せて貰って、本当に良かった。
俺の氷結の投擲槍では、あの鎧を貫けたか……分からないな。
おっと。疲れている場合では無かった。早く戻らないと。
ツヴァイ氏は無事だろうか?
右腕から血を流していたし、何より左手が真ん中から裂けていた。
治療する余裕も無かったとはいえ、独りで向かわせて良かったのだろうか……いや、共に戻って、ロードゴブリンを皆の所へ連れて行くなど、言語道断だ。
死の危険を背負うのは、自分だけでいい。
この可笑しい第三十一階層を調べるのは、後回しだ。
俺は、第三十二階層で待機している聖騎士と合流するために、階段部屋へと向かった。もしかしたら、もう外まで逃げてくれているかもな。
全員無事ならば、それでいい。
転移陣による光が徐々に治まり、見える風景が、第一階層の部屋に戻って来た事を表していた。目の前に、聖騎士の一人が立っていた。
「マルク君、よく無事で。あの化物は?」
「倒しました」
聖騎士に近付きながら、証拠の魔石を持つ右手を振ってみる。
小さい魔石だから、信憑性が無いかもしれないな。
まぁいいさ。信用云々は後回しだ。今は聞くべき事がある。
「ツヴァイさんは?」
途中に死体が無かった事。聖騎士が上へ戻っていた事を考えれば、合流できたことは分かっている。問題は、その後だ。
「安心してくれ。命に別状はない。今も、回復術士に治療して貰っている」
「よかった」
出血量が心配であったが、治癒に入っているなら問題は無いだろう。本当に、良かった。だが、落ち着いたら、次の事を考える必要がある。
俺を待っていた聖騎士と共に、ダンジョンを出る。
ダンジョン入口、ゴンさん達の番兵の警備している所まで戻ると、ムル婆ちゃんとボブ爺ちゃん。そして、聖騎士達が居た。
依頼は中止じゃないのか? 聞くが早い。
「ムル婆ちゃん、ボブ爺ちゃん。依頼は中止じゃないの?」
「マルちゃん。無事だったかい。怪我は無いかい」
「大丈夫だよ、ムル婆ちゃん。ほら、怪我一つないでしょ」
両手を広げ、無傷を主張する。
ロードゴブリン相手に傷を負う展開になっていれば、死に向かい真っ直ぐ進んでいたのだが、一々不安にさせる事を言う必要はない。
近付いて来たムル婆ちゃんが、俺の体をぺたぺたと触る。
「本当に、本当に良かったですねぇ、お爺さん」
「うむ」
二人の表情から、本当に心配してくれていたのが伝わってくる。
だから今は、謙虚さも謙遜の心も必要ない。
「もぅ心配性なんだから。俺は強いから、大丈夫だよ」
態と自信を持って告げ、そのまま胸を張る。
少し子供っぽいかも知れないが、二人の不安を晴らす方が、先決だ。
ムル婆ちゃんとボブ爺ちゃんは、俺の意図を汲んでか、顔に笑みを浮かべてくれた。皺の多い顔が、余計にくしゃりと変わった。
俺は、こっちの顔の方が好きだ。きっと戦う理由なんて……。