194.ドレイクの依頼
読みやすいように全体修正 内容変更なし
昼食後、オークの魔石が入った袋を片手に、俺はとある店の前に立っていた。
店の看板を見上げ、いつも思う。
『ドレイク・パブロフの店』
これだけだと、何の店か分からないよな。
回復術士が治療をする店。と書くと、教会から睨まれたりするのだろうか?
まぁ俺が気にしても仕方の無い事だ。
さて、ドレイク先生は、俺に何の用があるのだろうか?
しかも、自分の客を伝言代わりに使うとは……鴨の葱を独りで出た所に、謎の老人に話し掛けられた時は、一体何事かと思った。
聞けば、ドレイク先生が俺を呼んでいると言うではないか。
なので急いでやって来たのだが……理由も分からないので、気も乗らない。
考えても仕方が無い事だけは、確かだ。
早く行こう。
扉を開け中に入ると、受付の女性と目があった。ディアーヌさんだ。
見た目は二十歳程の丸顔の女性である。桃色の髪が、その愛らしい顔の外側を包んでいる。俺が小さい頃から見た目が全く変わらない人である。
もしかしたら、テラさんの知り合いだったりするのだろうか?
「こんにちは、ディアさん。ドレイク先生に呼ばれたんですが、先生は奥に?」
「せんせーなら、マルク君を待ってるよー」
「はい、ディアさん。ありがとうございます」
手を振るディアーヌさんに小さくお辞儀を返し、俺は奥へと進んだ。
いつもの通り重厚な扉の前で足を止める。ここがドレイク先生の仕事部屋だ。
深呼吸をして、扉を三度叩く。
「マルク、いいから入れ」
「失礼します」
扉を開け、中へ足を踏み入れると、花の香りが鼻を刺激した。仄かに甘い。
今日もドレイク先生は、机に向かって書き物をしていた。
ドレイク先生の背と白髪が、俺の目に映る。
椅子に座って待っていよう、と動いた時、ドレイク先生の筆の音が止まった。
今日は早いな。
どうせ話をするのだ。俺は気にせず、椅子に座る事にした。
ドレイク先生は羽筆を置き、椅子ごと俺の方を向いた。
面長の顔に青白い肌はいつもの事だ。だが、普段より目に生気が無い。
研究か仕事で疲れている様である。
「ドレイク先生、お疲れ様です」
「ああ。気にするな……寝てないだけだ」
「ちゃんと寝てください。それで何の用ですか?」
「ダンジョンに行け」
今の一言で分かる。ドレイク先生は本当に寝不足のようだ。
伝える、という能力が抜け落ちてしまっている。
とはいえ、ドレイク先生の話を聞かねば、何を望んでいるのかすら分からない。
「目的を詳しく」
「ああ……もうすぐ三十二階層から三十一階層へ向け、ムル婆さんを連れて聖騎士達が出る。不安だ。行け」
「分かったよ。注意事項は?」
「無い。ムル婆さんに任せてある」
「じゃあ、行ってくるよ。先生も体に気を付けて」
「大きなお世話だ……助かる」
事情は分かった。ならばそれだけで良い。
立ち上がり、ドレイク先生に背を向ける。
椅子を動かす音、そして筆の走る音が聞こえ始めた。
俺はその音を聞きながら、部屋を後にした。
さてと、まずはディアーヌさんに子守歌でも頼んでおこう。
まずは事情をゴンさんに聞こう、と思い遺跡入口の建物まで来た。
中に入ると、ゴンさんが俺に気付き、近付いて来た。金属靴が歩く度に鳴る。
ゴンさんは四十半ばの男性だ。
仕事中ゆえ胴や手に金属防具を身に着けており、防具に守られた筋骨隆々な体は衰えを知らぬ様に見える。
槍を持つ、その戦士然とした姿は、知らぬ者には威圧感を与えるだろう。
「よう、マル坊。今日は独りか?」
「こんにちは、ゴンさん。聖騎士の皆さんとムル婆ちゃんって、もう出発しちゃった?」
「ん? ああ、少し前に行っちまったぜ。でも何でマル坊が?」
「知人に『心配だから救援に行け』って頼まれたんだ」
ドレイク先生は、たしか教会とは縁を切ったはずだ。
ゴンさんには悪いけど、ドレイク先生の名前は出さない方が得策だろう。
俺の言葉を聞いたゴンさんは、首を捻っている。
「今回の許可は太陽伯から出てたはず……まぁいいや。マル坊、頼んだぜ」
そう言ってゴンさんは、俺の肩を二度、軽く叩いた。
「行っていいの? ゴンさん」
「何言ってんだ。マル坊が駄目な訳ないだろ」
「ありがとう、後、これ、預かってて」
持っている魔石の袋を、押し付けるようにゴンさんへと渡す。
一度家に戻り、置いて来ても良かったのだが、なるべく早く合流したかった。結果、急いでも先へと進まれているので、ダンジョンに直行したのは正解であった。
ゴンさんは、押し付けられた袋を「おう」と軽く受け取ってくれる。
「じゃあ、行ってきます」
「気を付けろよ」
ゴンさんの声を背に、俺は急ぎダンジョン第一階層へと続く階段を駆け下りた。
今回ばかりは、許可なしで入れる不思議さに感謝せねば。
聖騎士達が既にダンジョンへ入ったのなら、早く追いかけなければならない。
今から正式に許可を取っていては、彼らに追いつく事は出来ないだろう。
『最近のダンジョンが可笑しいのは、もう冒険者の間に広まってっしな』
『教会からの”頼み事”は、極力断った方が身のためだ』
信頼できる二人の声が、頭に響いた。
勘か情報か、バルザックさんも警戒していたからこそ、俺をダンジョンへ同行させたのだろう。
情報屋も、冒険者が警戒しているだけで、そう言うとは思えない。
気が重いが急がねば。もし何かがあってからでは遅いのだから……。
目指す先は第三十一階層。聖騎士達ならば、実力と人数でどうにでもなる階層。
果たして何人が護衛に就いた? 実力者はその中に入っているのか?
情報が少なすぎる……。
第三十二階層へと跳ぶ転移陣へ魔力を通し、起動させる。
転移陣が光を放ち、俺の視界は光に包まれ、眩んだ。
目の前の緑の化物を睨みながら、聖騎士ツヴァイは自身の失策を呪った。
人間より少し長い鼻と上に尖った耳は、ゴブリンの姿と同じである。
だが、ただのゴブリンと違い、その姿形は人間そのものであった。
緑の化物は、ツヴァイと同じ程度の大きさでしかない。
しかし、絢爛な鎧を着込み、頭に質素ながら王の証である金冠をかぶったその存在からは、恐怖に似た圧力しか感じない。
四角い顔に苦みを走らせ、ツヴァイは思う。
第三十一階層で『ただのゴブリン』を見た瞬間に、撤退するべきであった、と。
そのゴブリンが魔石を落とさぬ事に、早く気が付くべきであった、と。
だが同時にツヴァイは、この化物が暴れ始める前に護衛対象と仲間を逃がせた事は僥倖であったと、独り残った自分を納得させた。
他の聖騎士達が居ても、ただ死体が増えるだけであっただろう。
「我に、太陽神の加護を」
ツヴァイは小さく祈りの言葉を告げる。己の心を保つ為に。
彼の得物である大斧は、既に破壊され砕け散っていた。
緑の化物、ロードゴブリンが右手に持つ、黒く煌めく剣によって。
ツヴァイは、予備で持ってきた直剣を握りしめる。この剣が最後の命綱だ。
黒の剣に無手で立ち向かう程、ツヴァイは愚かではない。
だが剣を持とうが、ツヴァイに纏わりつく死の想像からは逃れられない。
もし、俺が死んだら、エル様は泣くのだろうか?
『ツヴァイ、何故死んだの?』と悲しんでくれるのだろうか……いや。エル様にそんな顔はさせない。死んでなるものか。
だがここで逃げ、ロードゴブリンが野放しとなれば、大勢が犠牲になるだけである事ぐらい、ツヴァイは知っていた。
聖騎士として、それも許せぬ。
覚悟を決めたツヴァイよりも先に、ロードゴブリンが動いた。
素早く接近したロードゴブリンが、ツヴァイへ黒い剣を振り下ろす。
払うツヴァイの直剣が黒い剣の側面を弾くと共に、激しい金属音が鳴り響く。
よし! 弾ける。
だが、あの黒い剣をまともに受け止めたら終わりだ。大斧と同じ末路を辿る。
浮かぶ希望と、よぎる不安。
一つ、二つと黒い剣を直剣で弾き返す。相手は崩れない。
三つ、四つと更に弾き、剣戟音を鳴らす。攻める隙も無い。
一歩下がり、相手の剣を空振りさせるツヴァイ。彼は、生まれたロードゴブリンの隙を見逃さなかった。
強く踏み込み、ロードゴブリンの右腕を斬りながら、駆け抜ける。
しかし、響いたのは金属音だけであった。
駄目だ。鎧に阻まれて、直剣では通じない。
緑の身を晒す頭部を狙うしかないのだろうか……。
思考と共に、ツヴァイは素早く敵へ向き直る。
ツヴァイは、視界の先で悠然と向き直るロードゴブリンの動きが変わった事に気が付く。それは、大きく息を吸うような動き――不味い。
動きの意味を理解した時には、もう遅かった。
部屋全体に響き渡る、ロードゴブリンのしゃがれた声。
その声には魔力が込められており、魔力の波がツヴァイの体を揺さぶる。
衝撃は無くとも、頭が揺れる。
ツヴァイの視界が、ぐにゃりと歪み、吐き気と脱力が彼の肉体を襲う。
戦う者の直感がツヴァイに剣を振らせた――響く金属音。
徐々に正常さを取り戻すツヴァイ目が、黒い剣を捉えた。
直感で振った剣が黒い剣の軌道を反らせ、身を守った事を知る。
目の前で破壊された直剣が、その代償であるとも。
直剣は切断された訳ではなかった。
剣としての存在を許さぬが如く、直剣の剣身がバラバラに砕け散っていたのだ。
黒き剣による圧倒的な破壊。
柄だけとなった剣を捨て、急ぎ、ロードゴブリンから距離を放すツヴァイ。
だが、遅れた痛みが彼の右腕に走った。
防具など構うことなく切り裂く黒き一閃により、肉が割れ、赤い血が流れ出る。
まだやれる。まだ右手も動く。
無謀と知りながらも無手の構えを取り、ツヴァイは迫る黒い剣を待ち受ける。
左肩を狙った一撃を躱し、切り上げに左の拳を合わせ――瞬間、左の小手が砕け散り、ツヴァイの拳が裂けた。
激痛と共に噴き出した血が、ロードゴブリンの鎧を朱に彩る。
戦う意思に反し、ツヴァイの足が、勝手に後ろへと飛び退かせた。
意識などしていない。本能が逃げを選択する。
手負いのツヴァイを追うロードゴブリン。
ツヴァイには、高速で接近するロードゴブリンの顔が醜く歪んだ気がした。
こうなれば右手を犠牲にして、一秒でも長く皆を遠くへ――ツヴァイの考えは、彼の眼前に現れた影によって中断することになった。
炎の一閃と黒の一閃が重なり、弾けた。
現れた影が踏み込み、追撃を放つ。だが、ロードゴブリンも素早く飛び退く。
空を斬った炎の大剣を、影が――青年が構え直した。
ツヴァイの視界の中、金の髪が揺れる。
「後は任せて。≪火精霊の球撃≫」
短く呟き、複数の火球を放った青年は、跳ねる様にロードゴブリンへと駆けた。
ここから動かねば。しかし、動けば痛みで頭が揺らぐ。
ツヴァイには、裂けた左拳の状態を確認する余裕もない。
「頼んだぞ」
苦し気に呟き、ツヴァイは走る。皆の逃げた方向、第三十二階層に続く階段へ。
体が揺れる度に、痛みに頭を支配されそうになる。
それでも、ここに居ては足手まといにしかならない。
ツヴァイは歯を食いしばりながら、ただひたすらに前へと走った。