192.友との再会
見上げた看板には、抽象化された鳥と、鳥の背負う道具袋からはみ出た二本の葱が、描かれていた。
道具屋『鴨の葱』の扉を開き、入店する。
店内に響く鈴の音と共に、活気に満ちた女性の声が聞こえて来た。
「あら、マルクじゃないか。って今日は女連れかい? シャーリーが嫉妬するから――って、テラさんじゃないか! 町に来てたんだね!」
リンダさんがカウンターから飛び出し、テラさんを抱きしめた。
恰幅の良い体に包まれたテラさんが、苦しそうにしている。
「な! なんじゃお主――いや、その声は、リンダか? って放さんか。マルクが見ておるじゃろ」
「ああ、リンダさ。十何年振りか、もう覚えてないよ。本当にテラさんは、変わらないねぇ。むしろ可愛くなったよ」
「流石に苦しいのじゃ。放しておくれ」
「リンダおばさん。テラさんが倒れそうだよ」
ハッとした顔のリンダさんが、拘束を解く。
テラさんは、肩で息をしていた。本当に苦しかったのだな。
「でも、テラさん。ピュテルに来ているなら、知らせてくれても良いじゃないか」
「わしは、リンダが、道具屋を、している事など、ふぅ、知らんかったぞい。まだこの町に居る事ものぅ」
「二人は、お知り合いで?」
「うむ。昔の知り合いじゃ」
「まだ、セツナとマリアが生きていた頃のね。それより、何でマルクとテラさんが一緒に来たんだい? そういう仲じゃないだろう?」
リンダさんの顔が、ニンマリと形を変えた。
そういう仲って何だ? 分からん。
たぶんリンダさんの想像は的外れだろう。
「ハッハッハ。残念ながら違うのぅ。シャーリーに、お呼ばれしたのじゃ」
「ああ、マルクの家に住み付いた可愛い女の子って、テラさんの事だったんだね。シャーリーも、名前を言ってくれれば、こっちから会いに行ったのにさ」
「愛らしい娘を産んだのじゃな。一人っ子かえ?」
「下にあと二人いるよ。みんな自慢の子達さ」
二人は、満面の笑みを浮かべ、再会に花を咲かせている。
俺は手持ち無沙汰であるが、二人の間に入るつもりはない。
この瞬間は、二人の時間だ。
俺は、横でひっそりとしていよう。
「なるほどのぅ。それは幸せ太りなのじゃな」
「旦那はあちこち飛び回って、中々帰ってこないけどね。あの子達と、この店のおかげで、暇なしさ」
「ヒューイとそのまま家庭を持ったのかえ? 頼り無さそうじゃったが」
「アハハ。今ではあちこち飛び回る、タフな男になってるよ」
俺の頭に浮かび上がるおじさんの姿は、筋肉質で、力強いものであった。
職業柄なのだと思っていたが、昔は違っていたとは……驚きである。
ふと、俺の耳に、階段を下りる音が入ってきた。
「あれ? お兄ちゃん。テラさん。もう来てたんだね」
「うむ。昼を頂きに来たのじゃ」
「テラさん。もうちょっと待ってね」
まだ料理中のようだ。ならば――
「なら、俺も一緒にやろう」
「エヘヘ。ありがと、お兄ちゃん」
「じゃあ、リンダおばさん、お邪魔します」
「ああ、マルク。ゆっくりしていきな」
「わしは暫く、下に居るからのぅ」
二人に手を振り、シャーリーと共に二階へ上がる。
「お兄ちゃん。何だか嬉しそうだね」
「当然だろ」
昔話は、二人で咲かせるに限る。その方が、きっと楽しいはずだ。
「本にマルクは、よう育ったのぅ。わしの指を、ぐにゅりと握っておった頃とは大違いじゃ。リンダが見守っておったのじゃろう?」
「私は……何も出来なかったよ。あの子が勝手に育ったのさ」
そう言ったリンダの肩を、テッラリッカが一度、二度とペチリと叩いた。
「謙遜するでない。マルクの顔をみれば、リンダの与えた恩が分かるのじゃ。あ奴は、誰にでも優しい目を向ける男ではないぞ」
「ハハハ。そうだと嬉しいね」
小さく笑うリンダの顔を見て、テッラリッカは胸を張った。
「うむ。リンダは、笑った顔が素敵なのじゃ。シャーリーもそうじゃな」
「シャーリーとも仲良くしてくれているんだね、テラさん。ありがとう」
「ハハハ。水臭いのぅ。それに、わしは、わしの好む者と一緒に居るだけじゃぞ。今も昔も、それは変わらぬ」
「本当に、テラさんは変わらないねぇ」
リンダとテッラリッカ。二人は声高く笑い合う。
入店しようと扉を開けた客が立ち去ろうと、二人は、お構いなしである。
「そういえば、テラさんは、いつまでピュテルに滞在する予定だい?」
「未定じゃ。マルクの家に世話になっておるから、長居するかもしれん」
「その、長居しても大丈夫なのかい?」
リンダは心配そうな顔を、テッラリッカに向け、そう言った。
それに対してテッラリッカは、口角を上げ、言葉を返す。
「うむ。この町の冒険者と聖職者は変わった者が多いからのぅ。わしのこの姿を見て嫌悪を向けて来た者達も、わしがマルクの知人と知るなり、途端に態度が軟化するのじゃ。変な噂でも広がっておるのか、見掛ける冒険者や聖職者で、わしに嫌悪の目を向ける者は、もう一握りしかおらぬ。全く、不思議な町じゃ」
テッラリッカの言葉を聞いたリンダの顔には、喜びと嫌悪、二つの表情が混じり合っていた。
「いい意味でも悪い意味でも、マルクはこの町の有名人だからねぇ……テラさんは、この町で起こった事は知ってる?」
「うむ。パックから聞いておる。じゃがマルクを見ておると、それが真実なのか疑いたくなるのじゃ」
テッラリッカの言葉に、リンダは目を瞑り、静かに言った。
「本当の事さ……殺すために追い掛け回して、隠れたら他人を脅してでも探し回って、誰も居ないあの子の家から全てを奪って……手の平返してマリア達を英雄扱いする前に、謝るのが筋ってもんだろうに。それで許される事でもないだろうけどさ……あんまりだよ」
「恐怖で狂っておったのじゃろうな。邪竜と黒風、抗えぬ恐怖に打ち勝てる者は、少ないものじゃ」
二人の間に、沈黙が満ちる。それぞれ記憶を嚙みしめるように。
そして、次に口を開いたのはリンダであった。
「本当に、マルクは真っ直ぐ育ってくれたよ」
「少し心が捻じれとるが、真っ直ぐ上に伸びておる。あれぐらいは個性のようなものじゃ」
テッラリッカが笑い、それに釣られる様にリンダも笑みを浮かべた。
「一緒に住むと、分かるものなのかい?」
「まだ、それほど長くはないがのぅ。マルクのそばにおれば、分かるのじゃ」
「しかし、マルクも、テラさんを家に連れ込んで、隅に置けないねぇ。シャーリーからすれば、大変かもしれないけどさ。アハハハハ」
「そうじゃな。マルクが、いつ何時わしの魅力にやられてしまうか、分からぬからのぅ。恋は、突然に訪れるものじゃ」
自信に満ちたテッラリッカの言葉に、リンダは頷く。
「そうだね。シャーリーも、早くマルクを押し倒しちまえば良いのに。捕まえとかないと、他に取られるってのにさ」
「うむ。じゃが、二人を見ておると、進展は期待できぬのぅ。マルクも存外奥手のようじゃし」
「困ったもんだよ」
「うむ」
二人は、二度、強く頷き合った。