191.帰りは二人きりで
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「我が儘に付き合わせて悪いな、シャーリー」
「いいよ。ヴェント君の為だし」
俺は走る。ピュテルの町へ続く道を。
道を叩く足は、強く音を立てる。往路よりも速く。
往路と違い、隣に我が愛馬は居ない。テラさんと共に駆けて行った。
「ヴェントも偶には走らせないと。あいつも俺も、運動不足はよくない」
「うん。それは良いんだけどね……何でお姫様抱っこなの?」
「持ちやすいからだ。おんぶに変えるか?」
「ううん。このままで良いけど」
進行方向ではなく、ちらりと腕の中のシャーリーを見る。
顔が薄っすら赤く、少々恥ずかしそうだ。
まぁこれは、仮におんぶでも変わらぬ結果であろう。
「ねぇ。お兄ちゃん」
「ん? どうした?」
「走りながら苦しくないの?」
「鍛えてるからな。元冒険者を舐めちゃいかんぞ」
テラさんとも、似たような速度で走りながら、話をしていた。
別に鍛えている人ならば、可笑しい事ではないだろう。
警戒ついでに周囲を見ても、特に何もいない。
草むらから何かが飛び出したりもしない。商人の馬車も、乗合馬車も見えない。
日が高くなり気温が少し上がってきたが、その分、肌を撫でる風が心地よい。
「私って、お兄ちゃんの事、何も知らないんだね」
「んー? 唐突だな。でも、そんなもんじゃないか? 俺だってシャーリーの事、あんまり知らないぞ」
贈り物をしようと思って、痛感した。
土産を買おうとして、頭を抱えた。
俺は、シャーリーが何が好きで、何が嫌いで、何を欲して、何をしたいのか……知らない。自分が一番よく知っていると思っていた人で、これだ。
アムならば、笑って諳んじるだろう。
「お兄ちゃんは、他人の事、あんまり気にしないから」
「何だ、分かってるじゃないか。でもシャーリーの事は、気にしてる方だぞ」
「うん。知ってる」
そしてお互い無言になる。
風で擦れる草の音が、耳を刺激する。
木々が少ない為か、空に鳥の姿は見えない。静かな空間は、心が落ち着く。
騒がしさを求めたり、静けさを求めたり、実に自分勝手である。
温かさを感じながら、上体を揺らさないように、宝物を落とさぬように、走る。
「お兄ちゃん」
「ん? 揺れがきついか?」
「ううん。ねぇ、ブラン村の話、して」
「この前のか?」
「うん」
まぁ、隠すことも、言ってはいけない事も無い、
特に楽しい事でもないが、聞きたいなら良いか。
「別にいいぞ。ええと……」
シャーリーに菓子屋を聞いた所から話せばいいかな?
「ほら、シャーリーに茶菓子の店を聞いた日があっただろ? あの日、早速――」
俺の話を、シャーリーは小さく相槌を打ちながら聞いてくれた。
時折、シャーリーの驚きが腕に伝わってきたが、変な話はしていないつもりだ。
足を動かし、ただ話をする。
それだけで、時間はあっという間に過ぎていく。
「戻りました」
「お、おぅ……お疲れさん」
「って、お兄ちゃん! ちょっと待った。降ろしてぇー」
「おっとすまん」
門番兵を通り過ぎて、少しの所で、シャーリーを腕から降ろす。
お姫様抱っこをしたまま、町に突入する所だった。俺は別に良いが、シャーリーは恥ずかしいだろう。
シャーリーは胸に手を当てて、疲れたように肩を上下に動かしていた。
「ふぅー。私も忘れてたけど……危なかった」
「ははは。危ない事はないだろ」
「乙女には危険なんだよ」
「そ、そうか」
うん、よく分からん。
東門の近くで立ち止まっていても邪魔になるので、町へと進む。
息を整えたシャーリーが、隣で笑顔を向けてくれた。
「付き合ってくれて、ありがとうね。お兄ちゃん」
「いい運動になったよ。ヴェントも喜んでるさ」
「お兄ちゃんは、これからどうするの? すぐに家に来る?」
さて、どうしようか? 当然ながら予定は無いが……帰ったのだから顔を出すべきか。よし。ナンシーの所に一度顔を出そう。
「いや。ナンシーに、一言挨拶してから行くよ。テラさんとも合流しないとな」
「残念。荷物持ちして貰おうと思ったのに」
「そっちも楽しそうだが、すまん」
「いいよ。お買い物は、今度付き合って貰うから」
「ああ」
跳ねるように動くシャーリーは、楽しそうであった。
俺の前に出たシャーリーが、振り向き、言った。
「じゃあ、買い物行ってくるねー」
「おう、いってらっしゃい。後でなー」
俺は足を止め、シャーリーを見送る。
笑顔で手を振り、くるりと反転したシャーリーの姿は眩しく、可愛らしかった。
日差しが眩しい所為かもな。町の中は、少し暑い。
もう少し、シャーリーの背を見送っていよう。
「それで、マルクさん。あの子の調子はどうだった?」
「元気で良かったよ。それに賢くて優しい。俺には勿体ないぐらいだよ」
「それは、私も思う。けど、マルクさんに懐いているんだよね。あと、テラさん」
俺は今、水入れを洗うナンシーの為に、水源代わりになっている。
ナンシーは、体を揺らしながら、藁を編んだような掃除道具を使って、ごしごし水入れを擦っていた。
ナンシーの動きに合わせて、指から出す水の位置を調整する。
本来は、水の魔工石を使って掃除しているらしいが、魔工石だって安くは無い。
寝床の藁に食料にと、厩舎も経費がかさむだろう。
愛馬が世話になっているのだ。このくらい手伝わねば。
「そうそう。ヴェントの走りっぷりの事なら、テラさんに聞いたら良いよ。帰りは任せたから、良く走らせてくれたはず」
「もう聞いたよ。テラさんって良い人だよね。初めに来た時は、不審者だと思ったんだけど、マルクさんの知り合いって聞いて、ああ、って納得しちゃったんだ」
「フッ、何だそれ。まぁ、ナンシーやおじさんの邪魔でなければ、これからもテラさんが来るのを許してくれると……助かる」
「むしろ、世話を手伝ってくれて、大助かりだよ。動物の世話、好きみたいだし」
ナンシーの目が、弧を描く。馬達の世話をするテラさんの姿を思い浮かべたのだろう……容易に想像でき、そして可愛らしい姿だ。
「こっちは終わったのじゃ。早う水入れを持って来んか」
「はーい、テラさん。マルクさん、半分持ってね」
「あいよ」
指から出る水を止め、ナンシーの洗った水入れを重ねて半分持つ。
重くは無いが、かさ張る。普段ナンシーは往復しながら、運んでいるのだろう。
ナンシーの仕事は重労働だ。馬が好きでないと出来ない仕事だ。
だからこそ、信頼して愛馬を預けられる。
運んだ水入れを、三人で設置して回る。
「よし、マルク。手分けじゃ」
「じゃあ、俺はあっちから」
テラさんと二人、同時に頷き、二手に分かれる。水を入れる為に。
馬は一日に大量の水を飲む。人間の飲む量の十倍では足りぬ程だ。
俺達が水を入れて回る間も、ナンシーは、運動場へ出ている馬達の寝床を整えている。働き者の姿は、眩しい……俺の目が潰れそうだ。
いかんいかん。俺も手伝いとはいえ、今は働かねば。
「≪水≫よ」
魔法で水入れに水を注いでいると、興味津々な馬が、近付いてくる。
ちょっとまってくれ。ああ、顔を突っ込むのは待って……って、別に良いか。
馬に当たらぬように、注げば良いだけだ。
水を吸い上げる馬の姿は、我が愛馬程では無いが、可愛らしいものであった。