184.テラさんと母の魔法
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夕日が沈む中、屋敷へ戻る。
赤く染まる町を見るのも好きではあるが、魔法球を持ったまま、あちこち出歩く訳にもいかない。大切な物を保管場所に移すことが、最優先だ。
いつも通り鍵を開け、入り、鍵をかける。
屋敷は静かだ。
赤い日差しが有るので、魔工石の灯りを点けるには、まだ早い。
一直線に母の部屋へと向かう。
さて、魔法球をどこに保管しようか? 母の部屋の中を考えながら、扉を開く。
「ただいま」
自然に出た言葉、そして返ってくる事の無い――
「おかえりなのじゃ」
嗚呼。自分の顔が緩んでしまったのが分かる。
机の前に置かれた、一つの椅子。そこに座った銀髪の可愛らしい女性が、綺麗な瞳を俺へと向けた。手には、開いた本を持っている。
どうもテラさんは、読書の途中だったらしい。
「邪魔してごめん、テラさん。これ置いたらすぐに出るから」
「何を言っとるんじゃ。お主が邪魔な訳があるか。ん? それは、何じゃ?」
テラさんは、本を優しく閉じ、机の上に置いた。
読書は、もう良いのだろうか?
「魔法球です。取り扱い注意ですから、テラさんも不用意に魔力を込めないで下さいね」
そう言いながら、魔法球をテラさんの前へと持っていく。
テラさんにも実物を見せておかないと、彼女自身、注意しようがない。
「ふぅむ。見てもよう分からんのぅ……何の魔法なのじゃ?」
「絶氷の棺です」
テラさんが目を見開いた。銀髪からはみ出した長い耳も、ピンッと伸びている。
これは、どういう意味での驚きなのだろうか?
「な、何故そんなものが、存在しておるのじゃ? マリアが残しておったのか?」
「いえ。今日、作って貰いました。フロス――」
「マルクや。からかっておるのか? 絶氷の棺はマリアが作った魔法で、マリアしか使えぬ魔法じゃぞ。それを気軽に作ったなぞ、流石のマルクの言葉でも、わしは信じぬぞ」
絶氷の棺って、母が作った魔法だったのか。
どうりで魔導書を探しても見つからないはずだ。
「偽物じゃないですよ。フロストジャイアントの魔石を使って作っている所を、目の前で見てましたから」
「お主を担いだのは、誰じゃ。わしがガツンと言ってやろうぞ」
テラさんは、本気で俺を騙した誰かに怒っている。
本当に、テラさんは良い人だな。
テラさんなら、魔力を通して見せれば、その真贋を見分けてくれるだろう。
そうすれば、納得してもらえるはずだ。
今日屋敷に帰ってから魔力を通す事には、了承を貰っている。
これ、本日二回目になるからな。
「魔力を込めるから、見てて」
魔法球を右手で持ち、ゆっくりと魔力を込める。
俺の魔力を吸い取りながら、中の青い球体が薄っすらと光始める。
魔力の流れが、絶氷の棺の再現を始める。
浮かび上がる紋様を見て、テラさんの表情が変わった。猜疑から驚き、そして関心へと。もっと見ていたいが、テラさんの表情ばかり見ていても仕方ない。
俺は、紋様よりも魔力の流れを見る。
制御を失敗しなければ、大惨事は防げる。
魔法発動の失敗よりも、制御の失敗の方が往々にして問題となる。
鍵は魔力だ。
ミュール様の姿と、青い球体の魔力を重ね合わせる。
青い球体で流れる魔力を、己の身で表現できるように。
まだ、ミュール様が言葉を発する所まですら、到達していない。
しかし、魔法球に魔力を込め、脳内ではミュール様を描き、目の前の魔力の流れを感じ、理解を深める……これは中々に疲れる。一歩ずつ進めていこう。
魔法球に流す魔力を止める。
「ふぅ。ここまで」
青い球体から光が失われ、流れる魔力が少しずつ拡散し、消えていく。
ミュール様の前で試した時よりも、魔力を込めた所為か、魔力が散るのに時間が掛かっているようだ。これも一日一回の理由なのだろうか?
魔法球の方は、大丈夫なので、テラさんを見る。
顎に手を当て、口をへの字に曲げていた。何やら考え込んでいる様子だ。
今は、そっとしておこう。
さて、魔法球をどこに収納しようか?
魔法球から散った魔力は、消滅しているので、魔導書に影響を与える事は無いだろう。この部屋に保管する事に問題はない。
金貨を隠している棚へ、一緒に隠すか?
取り出しやすいように、机の周囲に置いておくか?
落ちた所で、ミュール様の封印が割れる事は無いだろうが……高い所は止めておこう。しかし、転がる場所に置いておくのもなんだな……傷が付いたら、俺の心がへこむ。
「何を悩んでおるのじゃ?」
「ん? 保管場所と保管方法が思い付かないもので」
「んー。丸っこいからのぅ……少し待っておれ」
そう言って、テラさんは部屋を飛び出して行った。
暫くぼぅっとして待っていると、ドタバタと音を立て、テラさんが戻って来た。
「待たせたのぅ。ほれ、台座じゃ」
「へ? おぉ、確かに」
真横から見たら台形の形をしているそれは、中央が窪んでおり、魔法球がポンと置けるようになっていた。大きさも丁度良い。
木製の温かみのある、良い一品だ。
「作ったんですか?」
「魔法で木を生やして、ちょちょいじゃ」
「おぉ。流石テラさん、凄い。ってあれ? 魔法で生やした木って消えません?」
精霊樹の牢獄は、破損すると土に還る様に消えていった覚えがある。
胸を張ったテラさんが、自信満々な声で言った。
「攻防に使う魔法と、木を生やす魔法は別物じゃ。お主が、土や水を出すのと同じじゃよ」
「原理は分かりましたけど、木を生やすって大丈夫ですか。命を使ったりしてないですよね。体調が悪くなったり――」
「本に心配性じゃのぅ。己では水をドバドバ出しとる癖に……大丈夫じゃ。魔力の消耗が、ちと多いだけじゃよ」
魔力の消耗が多いのに、態々作ってきてくれたのか……。
「ありがとう、テラさん」
「うむ。その顔だけで、満足じゃ」
はて、自分はどんな顔をしているのだろう。分からないが、別に良いか。
テラさんが笑っている。それが答えだ。
テラさんとあれこれ場所を検討した結果、棚の下段に置くことになった。台座から落ちても問題なく、取り出しやすい位置という観点から、そこに決まった。
今は、居間のソファに座り、二人で茶を飲んでいる。
冷たいお茶を飲んだら、次は温かい茶を飲みたくなる。俺の心は、我が儘だ。
しかし、今日のように来客が続いたら、茶葉もすぐに無くなってしまうな……いや、それだけ茶を楽しんだという事なのだから、嬉しい事でもあるか……だが、今日が多かっただけで、来客なんて来ないしな……頭が回らない。
茶を口に運ぶ。温かさが体を緩め、華やぐ香りが心を緩めてくれる。
「ふぅ……落ち着きますねぇ」
「うむ……力が抜けるのぅ」
同時に茶を飲み、同時に長い息を吐く。
こういう、何もしないで良いまったりした時間は、好きだ。
「日が落ちれば、今日も終わりと感じてしまうのぅ」
「後はご飯食べて、お風呂入って、寝るだけですからね」
俺は魔導書漁りをするが、普通の人は、何をやっているのだろうか?
仕事の続き? 読書? 家族の団欒? 勉学?
そういう当たり前も知らないんだよなぁ……別に良いか。俺は俺だし。
「のぅマルクや。あの封印された魔法球の制作者は誰か、聞いても良いのかえ?」
んー? 特に口止めはされてないが、べらべら喋る事でもないかな?
とはいえ、テラさんは、絶氷の棺の事が気になっているだろうしなぁ。
「あまり他人に広めなければ……あと俺が世話になっている人なので、殴り込んだりしないで下さいね」
「わしは猛獣ではないぞ。それに口は堅い女じゃ」
「あはは。なら大丈夫です。ミュール様、じゃ伝わらないか」
頭が働いてないな、本当に。
家名を含めて……伝えるべきは、そこではない。
「フクロウの瞳の副学派長を務める、ミネルヴァ様です」
「ぬぅ。フィンの部下にあたる者なのじゃな。あ奴も良い部下を持ったのぅ」
ふわりとした銀の髪からはみ出した長い耳が、上下に動いている。楽しそうだ。
フィンスティング学派長か……どういう人か知らない。
パック先生達と共に学派長と会った時は、報告だけで終わったからなぁ。
ん? そもそもミュール様は、誰かの部下という印象がまるで無い。
副学派長は学派長の部下なのか? いや、問答も面倒くさいし、別にいいか。
「しかし、あれだけの魔法。一体どれだけの対価を要求されたのじゃ?」
「無償ですよ。元々フロストジャイアントの魔石を持って来てくれと、言われただけでしたので。思わぬ形で宝物が増えました」
物として魔法球も大事であるが、それよりも記憶の方が大切な宝物だ。
ミュール様が、俺に絶氷の棺を教えるために見せてくれた、その姿も、魔力も、言葉も、想いも、全てが大切な宝物だ。
「ハッハッハ。豪気な者も居るのじゃのぅ。お主が『世話になっている』と言うだけの事はありそうじゃ」
「本当に、恩ばかりが積み重なって、いつになったら返せるのやら」
「大丈夫じゃ、マルク。お主がお主のままでおれば、勝手に恩返しになるのじゃ」
そう言ってテラさんは、柔らかに微笑んだ。
何故だろう? その顔に、母の顔が重なって見えた。
全然違う顔なのに……不思議だ。
「そうだと、嬉しいです」