171.仲介人のエル
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居間のソファに、エルが腰を下ろした。隣にはギュストが座る。
護衛がその位置でよいのだろうか……ネフツさんは、エルから距離を取り、後方に立って警戒を続けている。
エルは興味深げに居間を見回し、言った。
「何も無いですわ」
事実なのだから仕方が無い。
比較的座り心地の良いソファと、その前方に卓が置いてあるだけの居間だ。
ただ、エルの教育の為にも、言っておくべきだろう。
「うちが殺風景なだけで、普通の家は、もっと物がありますからね」
「マルクは意外と倹約家ですのね」
「あはは」
柔らかい言葉が、余計に心に刺さる。
お茶と茶菓子はシャーリーに任せて、俺もソファに座ろう。
家主が立ちっぱなしというのも、変な話だ。
腰を下ろし、エルとギュストを見る。
エルが少し落ち着かない様子であるが、二人とも何かに急かされている様子は無い。急ぎの用事でも無い様だ。
あぁ、考えても答えは出ないな。聞く方が早いし、正確だ。
「して、エル様。ご用は何でしょうか?」
「ちょっとは、お喋りを楽しむものでしてよ」
「そうだぞ、マルク」
「ギュスト。お前は黙っていろ。すみません、エル様。朝一番にエル様が訪ねて来る理由が、全く思い浮かばなかったもので」
俺の言葉に、エルはクスリと笑った。
「ええ。わたくしも、もっとゆっくり出来る時間に来たかったですわ。それに今日は、わたくしの用事では無いの」
「ん? では、教会の用事で?」
「ええ。マルクには、聖騎士たちの相手をして頂きますわ」
「えぇ……」
いつもの我が儘と何が違うのだろう……いや。エルがそういう事を言い出す時は、自分の我を通すように言う。今回は『わたくしの用事では無い』と言っているので、本当に教会側の無理難題である可能性が高い。
だが、唐突に何だろうか?
「ちなみに、エル様。それはいつ決まった話ですか?」
「さぁ? わたくしも先程聞かされたばかりでして」
という事は、昨日か今日、急遽決まった事かもしれぬと……昨日と言えば、フロストジャイアントの件で、バルザックさんが殴り込んだはずだが……だがそれと、俺が聖騎士団と戦う理由に繋がるのだろうか?
うーむ。考えても分からないな。
「悩んでいますわね。断っても良いですのよ」
「いいえ。他に重要な用事が降って湧かなければ、構いませんよ」
「エル様が直々に来たのだから、当然だ」
用事の優先順位としては、下も下だ。
命に係わるものでもなく、自らが矢面に立ちすらしない他人の思惑なんて、本来構う事すら御免である。
そういう意味では、ギュストの言葉は正しいのかもしれない。
呼び出しであったのなら、絶対に断っている。
「フフ。ありがとう、マルク」
「いえ。友の頼みですから」
笑うエルは、可愛らしい。
しかし、だからこそ気に食わない。エルを仲介係にすれば、俺が断らないだろうと踏んで、彼女を寄こした人物の事が。
願わくば、俺の知らない人物でありますように。
エルから、用事の仔細を聞いていると、シャーリーがお茶を持って来てくれた。
「お待たせしました。失礼します」
「ありがとう」
「どうも、ありがとう」
エルだけでなく、ギュストも礼を言っている。
失礼が俺にだけなら、問題ない。それはお互い様だからだ。
シャーリーは四人分のお茶と、皿に並べたクッキーを卓に置いていく。
「シャーリー。助かるよ」
俺の言葉に、シャーリーは小さく微笑んだ。
そして、エル達にお辞儀をすると、食堂へと戻って行った。
俺とエルとギュストの前にある、お茶。そして、一つ余ったお茶は――
「ネフツさんも、良ければどうぞ」
すぅっと魔力が卓の前まで流れて来る。そして突如、カップが消えた。
暫し、何もない空間を眺めてみる……空になったカップが卓上に現れた。
持った物も隠匿でき、何をしているかも分からない……素晴らしく、そして恐ろしい隠匿魔法だ。感知できる魔力以外に、違和感の欠片もない。
続いてクッキーが二枚、消失した。
魔力が、再びすぅっと先程までいた位置に戻って行く。
拍手をしたくなったが、我慢して、小さく頭を下げるだけにした。
魔力が小さく揺らぐ。ネフツさんなりの返事なのだろう。
返事をくれるとは、律儀な人だ。少しだけ嬉しくなる。
なぜかエルが、嬉しそうに顔を綻ばせている。
それに比べギュストは、クッキーを頬張りながら「美味いな」等と言っていた。
いや、一応毒見なのか? こいつの行動は、偶に分からなくなる。
まぁいいか。純粋にお茶と茶菓子を楽しんでいるみたいだし。
「エル様も、どうぞ」
「ええ、頂きますわ」
俺も、お茶を口に運ぶ。
客人用の茶葉を、シャーリーが淹れてくれる。
嗚呼、自分で淹れるお茶とは、一段も二段も違う香りがする。鼻をくすぐる若い香りが、実に心地よい。そこから更にクッキーを頬張ると、甘さと食感がお茶と合って、美味しい。
「うん。美味しいお茶ね。あの子もわたくしの従者にならないかしら」
「シャーリーは渡しませんよ」
「あら、残念」
本当に残念そうなのが、何とも言えない。
シャーリーを高く評価してくれるのは嬉しいが、シャーリーがエルの従者になるなんて、絶対に御免だ。
本人が強く望むのならば、涙を呑んで諦めるしかないが……絶対に泣くな。
「フフ。そんな顔しなくても、マルクの大事な人を引き離したりしませんわ」
「助かります」
「ええ。約束しますわ。それよりも、マルクは昨日遺跡に潜ったのでしょう? 時間もあるし、その話を聞かせて」
昨日の話か……フロストジャイアントの扱いは、どうなっているのだろうか?
分からない以上、その話はできないな。でも――
「話せる範囲でしたら。バルザックさんのパーティーと一緒に第四十階層へ行った話ですが……」
ワクワクした顔のエルには、逆らえない。
稚拙な話術しか持たないが、しっかりと丁寧に話をしてみよう。
エルが少しでも楽しめれば、幸いだ。