169.バルザックと独り言
読みやすいように全体修正 内容変更なし
「はぁい、バルザック。何か考え中?」
定宿の談話室にて、独り酒と羊肉を味わっていると、サラスが現れた。
その手には酒瓶と、グラスを持っている。今日はまだ酔ってはいないようだ。
褐色の肌に、赤みは見えない。
自然と隣に座るサラスに、俺は、軽口ついでに言った。
「いや、やっぱ一発ぐらいぶん殴っとくべきだったと思ってな」
「その分、上乗せさせたんだから良いじゃない。穏便に終わって良かったわ」
俺達と教会の話し合いは、穏やかな内に終わった。
あのクズ野郎共は、命乞いでもするかのように、膝と腰と心を折っていた。元より不義を働いたのは奴らなのだから、当然だ。
だが、その時のサラスの様子を思い出してしまい、口から声が洩れてしまった。
「ハッ。俺達は、お前があの白髭司祭に魔法ぶっ放すんじゃないかって、ヒヤヒヤしてたんだぜ。クソ野郎を殴るのも忘れるぐらいにな」
「だって、魔力が有り余ってるんだもの……一発ぐらい、いいじゃない」
酒とグラスを卓へ置いたサラスは、くねくねと体を揺らしていた。
本当に一発ぐらいならぶっ放しかねないから、こいつは恐ろしい。
「良くねぇよ。ほんと怖ぇな」
サラスは俺の反応にクスクスと笑い、俺の骨付き羊肉を横から掻っ攫った。
まだあるから別に良いけどな……。
小さく齧り、羊肉を味わうサラスを眺めながら、俺も酒を口に含む。
「ねぇ、バルザック」
「ん? なんだ?」
「マルク、また強くなってなぁい?」
ああ、ダンジョンでのマルクか……そういえば、インチキ呼ばわりしてたな。
自然と口から笑みが零れてしまう。
「さぁな。あいつは、よく分かんねぇんだよ」
「バルザックから見ても、そうなの?」
戦士は、戦いに身を投じ続けた方が、感覚が衰えず、実力が伸びていく。
故に、冒険者であった頃のマルクの方が、鋭く、強いはずなのだが……。
「緩く、丸くなったと思ったら、奴を一人で倒しちまうしな」
「私達は五人掛かりなのにね」
「全くだぜ」
以前、俺達の鼻っ柱を叩き折ったフロストジャイアント。
だからこそ俺達は、いつ奴と出会っても良い様に、準備をしてきた。
シャラガムの魔法も、前衛の俺達の戦い方も、サラスのとっておきも、そう。
不意な遭遇であっても、俺達がフロストジャイアントを倒すのは、必然だ。
が、俺達が奴を始末した後、マルクを見ると、あいつは独りでフロストジャイアントを倒しかけていた。そして実際、放っておいたら倒してしまいやがった。
俺の顔を見て、サラスが笑う。
気に食わないので、肉を喰らう事にする。
「フフフ。でも丸くなったってのは、私にも分かったわよ。前だったら、手を貸さなかった事に文句一つ言わず、適当に流してたものね」
「それが良いか悪いかは、知らねぇがな」
「私は、どっちのマルクも可愛くて良いと思うわよ」
どちらのマルクが良いか? 俺にとっては、どっちだろうな……。
「よぅ。二人とも飲んでるか?」
背後からドムの声がした。
振り返ってみると、ドムが両手に酒瓶を持って楽しそうに笑っている。
「あら、追加で持って来てくれるなんて気が利くじゃない。ありがと、ドム」
「今日は儲けたからな。そういえば、マルクの分け前ってどうなってる?」
酒の席で、ここに居ないマルクの取り分の話。真面目で良い奴だ、全く。
だがマルクなら、取り分だ何だと気にする事は無いだろう。
そもそも頭に、魔石や報酬の事が入っているかも疑わしい。
「適当でいいんじゃねぇか」
「駄目に決まってるでしょ。でも……後で考えましょう」
サラスの頭の中で、酒とマルクが戦ったのだろう。酒が勝った様だ。
「マルクの適当が移ったか。ハハッ」
俺もドムも笑う。
サラスは、羊肉を齧りながら、グラスに酒を注いでいる。
ドムが、俺とサラスの前に座り、ニヤリと口を曲げた。
「酒のついでに、面白い話、聞いて来たぞ」
「んー? 情報? 噂?」
「噂だ」
「へぇ。お前が珍しいな」
ドムが楽しそうに肩を揺らす。
そんなに、面白い話なのだろうか?
「アハハ、その話ってのが、王都で起こった竜殺しの英雄譚なのさ。王都から酒を持ってきた商人から直接聞いた話でな」
「何だそりゃ? また法螺話だろ」
「良いじゃない。酒の肴なんだから」
「いや、それがな……」
「クシュン」
危ない危ない。貴重な魔導書にくしゃみを吹き掛ける所であった。
夜、暇な時に掃除は行っているから、この部屋に埃は溜まっていないはずだが……少し、体が冷えたのだろうか?
先程、テラさんの入浴に合わせてお湯を張ったので、暫く待てば浴室も空くだろう。後で、魔法で温め直して、ゆっくりと湯船に浸かるとしよう。
今は、魔導書と向き合わねば。
魔法図形の中から、俺自身が読み取る事が出来、活用できる要素を抜き出す。
対象を氷漬けにする魔法『氷の息』『凍える吐息』どちらも修辞的な違いでしかない。個人的には氷の息の方が、しっくりくる。
魔法図形を指でなぞる。間違っても魔力は込めない。
氷……空気……熱……奪う。
凝固……伝達……凍結……閉塞。
うーむ。想像の中に浮かんでこない。
自分なりでやってはいるが、魔導書から魔法を読み解くのは、難しい。
誰かが魔法を行使している様子を見るのが、一番早いのだが……。
「魔法って本来、他人に見せるものじゃ無いしな……」
基本的に魔術師は、無駄な魔法は使わない。魔力の無駄遣いになるからだ。
仕事やモンスター討伐の際は、他者の目を気にしても仕方ないので、誰であっても魔法を使うものだが。
秘匿も隠匿も気にしないのは、俺みたいな変わり者だけだろう。
今の段階では必要ないので、魔導書を閉じ、棚の元の場所へと戻す。
魔法そのものの解説や、修辞学的な話を見ても、役に立ちそうもない。
さて、テラさんがお風呂から上がる前に、寝具に魔力を込める作業をしておこう。何が違うのか俺には分からないが、テラさんが喜ぶからな。
扉を開き、魔工石の灯りを消す。
「またね」
そして、ゆっくりと扉を閉める。
そう言いたい。たとえ、言葉が返ってこなくとも。