168.小さな優しさが嬉しく
読みやすいように全体修正 内容変更なし
「よぅ、マル坊。今日はバルザック殿と一緒だったのか」
「まぁそうなんだけど――」
「じゃ俺達は、ちょっとぶん殴りに行ってくるぜ」
「マルク。またね」
「はい。お疲れさまでした」
バルザックさんとサラスさんが、足早に外へと出ていった。
魔石を持ったドムさん達とも、手を振り別れる。
「ん? 一体どうしたんだ? なぁ、マル坊?」
「んー。それは……」
依頼内容の不備、というより虚偽の事を話そうかと思ったが、言葉を止める。
バルザックさん達と教会の間で、問題がどう決着するのか分からない以上、話すべきではないか。ここは黙っておこう。
「ちょっとトラブル。内容は、上から聞いてもらえると助かるかな」
「マル坊が口を噤むたぁ、珍しい」
ゴンさんが本心からそう言っているのが、表情から見て取れた。
俺は、そんなにお喋りな人間じゃないと思うのだが……。
「自分の裁量を超えてるからね」
「マル坊が駆り出されたのに、関係があるのか?」
「それは偶然。依頼の助っ人代わりに一緒に行っただけだよ」
正確には、理由も聞かずにバルザックさんに付いて行っただけなのだが。
一々そんな事、言う必要も無いだろう。
「なんつーか、マル坊も大変だな」
「んー? いつものことだから、別に」
「そうか、マル坊が良いんなら問題ねぇさ……無理はするなよ」
「うん。ありがとう、ゴンさん」
唐突に、労いと心配の言葉を貰った。
Aランク冒険者と共にダンジョンへ潜る事に、思う所があったのかもしれない。
俺としては、強い人と一緒の方が楽が出来て良い。
考え方は、人それぞれか。
ここに居ても仕事の邪魔になるので、ゴンさんともう一人の番兵さんに別れを告げ、俺も外へと出る。
もう外は、夜の帳が降りていた。
屋敷に戻る道を進むと、魔工石の灯りが多くなっていく。人の営みの光だ。
夜は空を見上げても、今、何時なのか分からない。
感覚で言えば、家族で団欒した後、子供は寝る時間だ。
もうテラさんは夕食を食べ終え、家でゆったりしているだろう。
開けっ放しの門を通ると、屋敷に光が見えた。
出入り口にて鍵を開け、中へ入り、鍵を閉める。夜の戸締りはしっかりと。
「マルクや。おかえり」
「ただいま、テラさん」
柔らかな顔のテラさんが、俺を出迎えてくれ――腹が鳴った。
俺のではない。テラさんのお腹からだ。
「あれ? まだ食べてないんですか?」
「うむ。どうせなら、一緒にまんぷく亭に行こうと思ってのぅ」
少し恥ずかしそうに頭を掻いている。その度に銀の髪が揺れていた。
うーむ。伝言は残したはずだ。
探さなくとも出入り口であるこの場に、緑の球体がふわふわと浮いている。
木霊の声。
触れた者に言葉を伝える、伝言用の魔法。戦闘にも使えるが、今は関係ない。
そっと、木霊の声に触れてみる。
「冒険者とダンジョンに行ってきます。遅くなりますのでお構いなく」
俺の頭の中に、自分の声が流れる。
自分の声を聞くというのは、少し変な感じがする。
しかし、木霊の声は正常に機能しているようだ。
それでも、待っていてくれたのか……少しだけ嬉しくなるな。
「じゃあ、今から行きましょうか」
「うむ。それがよいのじゃ」
鍵と扉を開けると、トコトコと早足のテラさんが先に出ていった。
離れた位置から魔工石の灯りを消すと、屋敷の中が暗くなり、静けさを感じる。
すぐに戻ってくるんだけどな……いってきます。
返らぬ言葉を、心で言う。
さぁ、戸締りをして、テラさんを追いかけないと。
「ほれ、早うせい」
「はーい」
俺とテラさんの腹が怒り出す前に、早くサンディの元へと行こう。
「ハイおまち。クスクスと鶏串とスープだよ。一緒に食べていい?」
「もちろん」
「えへへ。ありがと」
断る理由などないし、そもそも既に三人分の食事が、卓の上に用意されている。
サンディが、俺の隣に座る。
逆側を見ると、テラさんが我慢の限界の様であった。
「「「いただきます」」」
さて、今日の料理を見てみよう。
まずは、平皿に注目してみる。
小さい粒が小山を作っていた。これは確かクスクスというものだ。
たしか小麦粉で作った、一種のパスタであったはず……自信が無いな。
以前、ここで食べた時は、挽肉と共に出て、美味しかった覚えがある。
クスクスの小山の横には、一口大の鶏肉が四つ刺さった鶏串が三本。表面に緑と黒の点が見えるので、黒胡椒と香草で焼いた一品だろう。
脇に添えられた人参やブロッコリーも、彩り豊かで嬉しくなる。
早速、匙でクスクスを掬い、小山を崩してみる。
口へ運ぶと、無数の粒が、口の中で転がり出す。噛むとプチッとした食感があった。少し楽しい。薄く利かせた塩が良い味をしている。それに広がる香りが。
これは……そうだサフランだ。このスッとした香りは、食欲をそそる。
「うーん。いい」
「でしょー」
俺の言葉に同意するサンディは、口を綻ばせている。一方テラさんは、余程お腹が空いていたのか、ゆっくりではあるが黙々と食べている。
その姿を見ると、どうも微笑ましくなってしまう。
いかんいかん。俺も食事の続きを。
鶏肉に手を出す前に、スープを一口。
ひよこ豆を使った、この店の定番のスープだ。相変わらず野菜の味が染み出して美味い。そして、体を温めてくれるのが嬉しい。
喉を通ると、代わりに口から長い息が零れだす。
「ねぇマルク。今日は何してたの?」
「ん? 珍しい質問だな……朝からテラさんと魔法の特訓してたよ」
「うむ」
「お昼は、どこで食べたの?」
口に入れた野菜をゆっくり咀嚼し、飲み込む。口内は空けてから話さねば。
「猫の日向」
「うちの競合店じゃない……マルクの裏切り者」
サンディが態とらしく睨んでいる。しかしこれは、お道化ているだけだ。
塩、胡椒、香草の三拍子が効いた鶏肉を、嚙みしめる。
鶏の油が美味しさを混ぜ合わせ、舌に届けてくれる。柔らかな肉質も実に良い。
確りと味わって、何度も咀嚼し、飲み込む。
嗚呼、美味しい。
「ふぅー。いやいや。客層が全く違うだろう」
「うん、知ってる」
そりゃそうだ。
狼のまんぷく亭は、大衆向けの食事処。猫の日向は、女性向けのお茶とお菓子の喫茶だ。取り合う客なんて居ない。
「で? 美味しかった?」
「ああ、アップルパイが絶品だったぞ」
「うむ。あの店の食事は、舌が蕩けてしまうぞい」
「ふーん。なら毎日行けばいいじゃない」
サンディが雑に鶏肉を齧り出した。
ちょっと拗ねているようだが、普段見ない姿に、少しだけ楽しくなる。
「美味しさの種類が違うっての。あっちはご褒美というか、そういう類の美味しさだから。毎日食べるなら、ここ以外ありえないって」
「じゃな。色々な料理が出る故、わしも満足じゃ」
「うん。ありがと」
別に俺もテラさんも、慰めで言っている訳ではない。
事実、ここの料理は安くて美味い。
自分で食事を準備するとなれば、こうも種類豊富に出せないだろう。
特に俺は、子供の頃から世話になっている。
俺の体は、この店の料理で育ったようなものだ。
それに猫の日向で毎日食事をすると、確実に太る。あと食事も偏ってしまう。
毎日訪れるならば、ここしかない。少しだけ騒がしい所も、好きだ。
うん。鶏肉も良いが、クスクスの食感が良い。
「裏切り者マルクの事は分かったけど、その後はどうしたの?」
「独りで魔法練習をしてたら、知り合いの冒険者が来て、一緒にダンジョンへ」
食事の後、テラさんとは別れたが、昼間、テラさんは何をしているのだろうか?
まぁいいか。テラさんにはテラさんの用事があるのだろう。
「そうじゃそうじゃ。大丈夫だったのかえ?」
「ええ。いつも通り怪我一つ無く。そもそも一緒に行ったバルザックさん達は、強い人達ですから」
最後のフロストジャイアント以外は、付いて行っただけのようなものだ。
結局、赤色ポーションを飲んだ甲斐は無く、帰りの道でモンスターに出くわす事は無かった。
まぁ遭遇したとしても、バルザックさん達が始末しただろう。
バルザックさんは何やら物足りない風であったし、サラスさんに至っては、魔法を撃ちたくて、撃ちたくて堪らない様子であった。
教会が血と火の海になっていない事を、鶏肉を食べながら静かに祈ろう。
うん。美味しい。
サンディが、バルザックさんの名前に反応していたが、気にすることでもないだろう。バルザックさんのファンは、結構多いのかもしれないな。