157.それぞれの反応
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工房の入口にて暫く待っていると、ガル兄がやって来た。
普段は綺麗に撫でつけてある暗めの茶の髪が、少し荒れている。
その彫りの深い顔も、少々疲れが滲み出ていた。
「よう。王都はどうだった?」
「悪くなかったよ。ガル兄は、忙しそうだね」
俺の視線の先で、カエデさんが首を縦に振っている。
「長話してる時間は無いな……すまん」
「いいよ。顔見せと、肉、持ってきただけだから」
大きな袋から木箱を取り出し、ガル兄へ手渡す。中身は燻製肉だ。
「ん? 肉? ありがとう。でも、何で肉なんだ?」
「王都関係なく、貰って嬉しい物をね」
「なるほどな」
「おや? 良い物をお土産に貰えて、良かったですねガランサ様」
先程まで離れた場所にいたはずのカエデさんが、ガル兄の隣に立っていた。
カエデさんの動きが見切れないのは、いつもの事だ。
今日も執事服が良く似合っている。束ねた長い黒髪も変わらず綺麗だ。ガル兄と違って乱れが無い。カエデさんも忙しいだろうに。
カエデさんが、チラチラと俺の持つ大きな袋を見ている。
まぁ、土産は買ってあるから大丈夫だ。
カエデさんの期待に沿えるかは、別であるが。
「カエデさんにも、どうぞ」
「あら? 肉では無いのですね……まあ、これは。フフフ。ありがとうございます、マルク様」
カエデさんの顔に花が咲いた。どうやら茶葉を贈って正解だったらしい。
ル・クリュテでもお酒は飲んでいなかった――気がしたので、ワインは止めておいた。だが、どちらが喜んで貰えただろうか?
いや、それは野暮だな。
このカエデさんの表情一つで、満足だ。
「それじゃあ忙しいようだし、帰るよ」
「今度、話を聞かせろよな」
「マルク様。またのお越しを」
ガル兄とカエデさんに軽く手を振り、立ち去る。
仕事の邪魔は、するものでは無いからな。
さてと、次は、一度屋敷に戻ってから……。
店の扉を開けると、小さな鈴が鳴る。そして――
「やぁ、マルク。早速おばちゃんに顔見せに来てくれたのかい。嬉しいねぇ。王都から帰って来たのは、さっきシャーリーから聞いたよ。旅の疲れもあるだろう? もっと、ゆっくり休んでからでも良いんだからね。それでもおばちゃんの顔を見たかった? いやだ、照れるじゃないか」
「おはよう、リンダおばさん。お土産持ってきました」
リンダさんの快活で元気溢れる声を聞き、嬉しくなる。
恰幅の良さも変わらずだ。健康ならば、それだけで良い。
俺は、袋から木箱を取り出し――思い止まった。
えっと……ここで渡しては迷惑だろうか? いや、聞く方が早い。
「今、渡しても大丈夫ですか?」
「ああ。今は客が居ないからね。居ても待たせるから安心しな」
「いや、そこはお客さん優先で……こちらをどうぞ」
木箱に入ったワインを、リンダさんに渡す。
受け取ったリンダさんは、木箱を開け、中身を確認し始めた。
「なるほど。王都土産にピッタリじゃないか。旦那と二人で飲ませて貰うよ。ありがとう、マルク」
「喜んで貰えたのなら、よかった。シャーリーは上にいますか?」
「ああ。いつも言ってるけど、マルクなら勝手に上がってもいいんだよ」
「女の子の家に、ずかずかと入るのはちょっと」
「アハハハハ。気にし過ぎだよ。ほら、上がった上がった」
「お邪魔します」
明るい笑い声に押し出されて、二階へと上がる。
カタカタと、何かの作業音が聞こえてきた。
「シャーリー。邪魔するぞー」
「んー? お兄ちゃん。ちょっと待ってて」
「俺の事は、気にしなくていいからな」
音の方へ向かうと、立ち仕事をしているシャーリーの背が見えた。
どうも、家族の使った食器を洗っている様だ。
残りの量を見て、手伝い不要と判断する。居間で座って待とう。
物の多い居間は、少し落ち着く。
屋敷に置く物を、王都で探しても良かったかもしれない。
いや、帰りの邪魔になったか。
「お兄ちゃんお待たせ。どうしたの?」
「ああ。お土産渡しに来たんだよ。ハイスやビィの分も」
「お兄ちゃん家で、渡してくれればいいのに」
「リンダおばさんに、顔を見せたかったし」
話しながら、袋から土産物を取り出し、卓の上に置いていく。
瓶に入った苺のジャムと、柑橘系の……何かのジャム。そしてガル兄にも渡した燻製肉の入った木箱。その中から、苺のジャムをシャーリーに渡す。
「これが私の?」
「そう。木箱が肉でハイスの。柑橘、いやジャムがビィのだ」
「えへへ。ありがとう、お兄ちゃん」
シャーリーが、にっこりと笑顔を返してくれる。
だが、俺は納得いかない。そんな気分だ。
もちろんシャーリーに対してではない。自分に対してだ。
ビィとハイスへの贈り物は良い。
だが、シャーリーへの贈り物が……しっくりこない。
「もっと良いの買ってくればよかった……何て思ってるでしょ、お兄ちゃん」
「んー。似たようなことを」
「やっぱり。考え過ぎだよ、お兄ちゃん。お土産って『ついでに買ってきた』ぐらいの気持ちでいいんだよ」
「でもなぁ……」
シャーリーは、渡したジャムの瓶を両手で持ちながら、俺を見ている。
「ねぇお兄ちゃん。そんなに相手に、がっかりされるのが怖いの?」
心に浮かんだ答えを、一度投げ捨てて考えてみる。
シャーリーに拒絶される想像を――したくない。
誰の表情を浮かべても、その先を考えることを、頭が拒絶している。
つまりは、そういう事なのだろう。
「分からないが、かもしれない」
「お兄ちゃんから貰える物でも、がっかりするかも知れないね。何これ? って思うかも」
「ああ」
そりゃあ、そうだ。当然だ。
要らぬ物を押し付けられて、喜ぶ奴はいない。
「でも、それで嫌いになんてならないよ」
「でも、がっかりする贈り物は……嫌だろ?」
「私は、ううん、お兄ちゃんが大事にしている人達は、そのままのお兄ちゃんが好きなんだから。ガッカリも楽しいも、両方好きなんだよ」
そう言って、微笑むシャーリー。
その顔は、柔らかで愛らしい。
シャーリーの言う『好き』が嬉しかった。きっと俺が皆に思っている気持ちよりも、白くて、透き通ている感情なのだろうから……だから、少しだけ羨ましい。
「顔見せて、ちょっと話して、それで十分なんだから」
「それで、いいのか?」
「それでいいの」
大きく頷くシャーリーの顔は、自信に満ちていた。
心を切り替えよう。励まして貰ったのだから。
覚悟を決めて土産物を配って回ろう。そしてミュール様の元へも。
「シャーリー、いつも助かる。ちょっと勇気出たよ」
「うん。元気で、ちょっと変なお兄ちゃんの方が、恰好良いよ」
「なんだよそれ」
自分が小さく笑っている事に気が付いた。
シャーリーも笑ってくれている。贈り物は……それだけで報われる。
「よし。じゃあ、気合入れて残りも行ってくる」
「いってらっしゃい、お兄ちゃん」
軽く手を振り、シャーリーの家から外へと向かう。
リンダさんに帰りの挨拶を忘れずに。
さて、次に行くとしても、荷物は取りに戻らないと。
「おぅ、マル坊。戻ってたんだな。にしても王都行きにしては、早いお帰りだな」
「おはよう、ゴンさん。王都って言っても、やる事ないからね。はいお土産」
四肢と胴に金属鎧を身に着け、長い槍を手に持ったゴンさんは、いつも通り戦士然とした恰好をしていた。
ここは、ダンジョン入口。
ゴンさんは、番兵のお仕事中である。
もう一人の番兵さんも当然仕事中な訳で、明らかに、俺は仕事の邪魔だ。
「ハハハ。ありがとな。って言いたいけどよ、賄賂扱いになるから受け取れねぇぜ。ちなみに何かだけ教えてくれよ」
「ああ、残念……ワインだよ」
「ちくしょう! 貰いてぇ! けど貰えねぇ!」
長い槍の柄を持つゴンさんの手に、ギシギシと力が入っている。
番兵さんが、クスクスと笑っている。
「まぁこのワインは、誰かの元へと届けられるよ」
「ああ。神の恵みを大事にしろよな……って、マル坊は飲まねぇのか?」
「俺は、酒は飲まないから」
「そうか、残念だぜ」
ん? 何故、ゴンさんが残念がるのだろう?
「ハハッ、気にするな。今度、暇な時にでも王都話、聞かせてくれよな」
「うん。また今度。お疲れ様です」
二人に礼をし、次へと向かう。
行って会えるのだろうか? 行かねば分からない。
使用人の女性が、土産物を調べている。
俺は、彼女を観察しながらゆっくりと待つ。
彼女が、土産物に魔力を通しているのが分かる。魔法的な仕掛けが無いかを調べているのだろう。
次に、茶葉を紙の包みから取り出し、彼女はそれを口に含んだ。
さらに中を目視で確認して、振って、再度確認する。
そして、彼女は静かに包みを元に戻し、首を縦に小さく振った。
「よかった。それをエル様にお渡し頂けますか」
俺の言葉を聞いた彼女は、そっと包みを俺へと突き返す。
なるほど。自分で渡せと云う事なのだろう。そうだな、それがいい。
包みを受け取り、俺は頭を下げた。
「わかりました。自分で渡します」
頭を上げると、使用人さんは手で行き先を指し示し、歩き始めた。
この順路は、エルの部屋への道だ。
黙って後を追う。
彼女は、予想通りの部屋の前で止まり、三度扉を叩く。
「お入りなさい」
元気な声が聞こえてきた。エルの声だ。
扉を開けた使用人さんが、部屋の中へと俺を誘う。
「ありがとう」
あの時と同じく、小さなお辞儀を礼として頂く。
「失礼します」
「あら? マルクでしたの?」
エルの部屋に足を踏み入れると、エルは今日もお茶を嗜んでいた。
ソファの前の卓には、クッキーも置いてある。
「エル様、王都土産を持ってきました」
「ほら、マルク。お座りなさい」
そう言ってエルは、自身の隣をぺちぺちと叩く。
それに合わせ、二つに分けた滑らかな金の髪が揺れる。
その動きは、十という年相応の行動に思え、微笑ましく感じた。
「長居は出来ませんが、お邪魔します」
断りを入れて、ソファに座る。
着席の瞬間、ふわりと柔らかい感触が尻から伝わる。
「もっとわたくしに構っても、罰は当たりませんわよ」
「すみません。今日は挨拶回りで忙しいので。これ、お土産です」
エルに直接、紙の包みに入った茶葉を差し出す。
受け取ったエルは、中を開き、小さな鼻から息を吸った。
「いいですわ。ルールー、これで二人分のお茶を」
音も無くエルの隣にいた使用人さんが、エルから茶葉の包みを受け取った。
沈黙を保ったまま、一礼をし、ルールーさんは部屋から出ていく。
「あの……長居は――」
「共に楽しむまでが、お土産でしてよ。さぁ、王都でのマルクの話を聞かせて」
ノワールの事、王の事、メリィディーア様の事、モーリアンさんの店への入り方に父と母との関係性……喋ってはいけない事が多いが……。
「話せる範囲で良ければ」
「ええ。楽しみですわ」
エルが、はしゃぐように笑っている。
この笑顔に、お茶の一杯も付き合わねば、不義理というものだ。
「では、王都に行く事になった理由からお話しますね」