156.ピュテルの朝
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「――ゃん、起き――――ちゃん、お兄ちゃん、起きてってば」
ぼんやりした目を開くと、そこにはシャーリーの顔があった。
朝日に光る茶の髪が揺れている。
ああ、そうだ。屋敷に戻って来たのだった。
「おはよう、シャーリー。あと、ただいま」
「おはよう、お兄ちゃん。おかえり」
シャーリーが下がるのに合わせて、上体を起こす。
そして、魔法で――「≪癒しの水≫」――顔を冷やす。
冷たさが、頭と目をシャキッとさせてくれる。
「もう。帰って来たなら、教えてよ」
シャーリーから清潔な布を受け取り、顔を拭く。よし。目が覚めた。
「帰って来るのが遅かったんだよ。その後も、荷車借りて荷物運びしてたからな」
俺が顔を拭いた布をサッと回収し、シャーリーは部屋の外へと向かう。
俺も寝具から抜け出し、後を追う。行き先は食堂だ。
「別に遅くてもいいんだよ」
「いや、普通に迷惑だって」
廊下を歩くと、肉の焼けた良い匂いが漂ってきた。
だが、待てよ? 俺の分は無いのでは?
「シャーリー?」
「ん? なーに、お兄ちゃん?」
「俺の分って――」
「あるから呼んだんだよ」
「おお、助かる」
有難い事だ。朝からシャーリーとテラさんの朝食風景を眺めて、腹を空かせねばならぬかと思ってしまった。
今の俺は、肉の匂いで既に食事待機状態である。
暴れる腹の虫を抑えながら食堂へ入ると、ぼぉーっとしているテラさんが居た。
俺達が来た事に気付き、ふにゃりとした笑顔を見せてくれる。
「マルクや、おはよう。今日は遅い目覚めじゃのぅ」
「おはよう、テラさん。待たせてすみません」
「よいよい。一緒に食べようぞ」
既に三人分の料理が、卓の上に並べてあった。
俺もシャーリーも、自然と席につく。
テラさんとシャーリーの顔が一度に見れる。それが、少し嬉しい。
「「「いただきます」」」
早速、料理へと目を向ける。
良く焼き色を付けた燻製肉。共に焼いたであろう目玉焼きの黄身が、鮮やかだ。
もう一つの皿は、ホワイトシチューであった。
人参とブロッコリーの彩りが楽しい。
これは、シャーリーの家の残り物だろう。
だが、それが有難い。
パンは、座る三人の中央に置かれた編みかごの中に、三つ入っていた。
ん? まさか、毎日三人分を……まぁいいか。俺は美味しく頂くだけだ。
まずは、当然、肉だ。
一口大に切り、口へと運ぶ。顎を動かすと、旨さを閉じ込めた汁がじゅわりと染み出してくる。何度も噛みたくなる。
シャーリーとテラさんも、肉から入ったようだ。
閉じた口の端が、上向いている。
パンを取り、千切って口に放る。相変わらず美味しいパンだ。
「お兄ちゃん。王都ってどうだった?」
「どう……人が多かったな」
「寂しい感想じゃのぅ」
「お兄ちゃん……」
率直な感想なのだが、二人から憐みの視線が飛んできた。
誤解されたままなのは癪なので、弁明を入れる。
「いやいやシャーリー、アムと一緒だったから楽しかったぞ」
そして、シチューを一口。少しとろりとしたスープが口に広がる。野菜の甘さが溶け出していて、味わい深い。
「そう言えば、同行者がおったのじゃったな」
「いいなー、一緒に旅行」
「アムは仕事だけどな。俺も、用事以外は買い物してただけだし」
そういえば、観光なんて一切しなかったな。
まぁ、そんな暇も無かったし、暇でも行く事は無かっただろうが。
ん? 行く前にも同じ会話をしたような。
「もぅ。お兄ちゃんは分かってないんだから」
「共に行くのが良いのじゃ」
「ねー」「のぅ」と二人が意気投合している。仲が良くて実に良い。
二人が話している間に、俺は独り寂しく卵を食べる。
燻製肉の油が少し移っており、それが卵の黄身と合わさっている。
少々の塩も、いい塩梅だ。
「ふむ。して、マルクは買い物以外、何処にも行かなかったのかえ?」
「城には行きましたよ。中も豪華で、住む世界が違うって感じでした」
「お兄ちゃん……何やったの……」
何を考えたのか知らないが、シャーリーがジトリとした目で俺を見た。
俺はそれほど問題を起こす人間だと、思われているのだろうか?
「シャーリー。別に、捕まって城に連行された訳じゃないからな……急な用事があったんだよ」
「なーんだ。てっきり……ううん。何でもない」
「てっきり?」
てっきり、何なのだろうか? 分からないな。
シチューを飲み込み、口を空にしたテラさんが、俺の疑問に答えてくれた。
「お主が、また厄介ごとに首を突っ込んでないか、心配しておるのじゃろう。二人は、心配性な所が似とるからのぅ」
「なんだ。ありがとな、シャーリー」
「う、うん。元気に帰って来たから……いいの」
そう言うとシャーリーは、食事に集中し始めた。会話拒否の構えのようだ。
テラさんは、そんなシャーリーを見ながら、柔らかな笑みを浮かべている。
俺の知らない所で、更に仲良くなっている様だ。
少し羨ましい。
さて、俺も食事に集中するか。肉もシチューもまだまだある。
食事が美味しいというのもあるが……やっぱり、屋敷での朝は良い。
ティーポットの中で、茶葉が躍る。その時間を静かに待つ。
普段と香りが少し違うのは、客人用の茶葉を使っている為だ。
普段用の茶葉が、王都行きの前から少なくなっていたのを、つい忘れていた。
そして、今は空っぽだ。
「猫の日向に買いに行かないと」
ゆっくりとした時間が、すべき事を浮かび上がらせる。
無事、帰った報告と共に、土産物も配らないとな。
何か変わった事がないか聞く為、情報屋の元へも行くべきか。
氷魔法の練習もしたい。
何より、ミュール様に会いに行きたい。肉屋で買った蜂蜜を持っていかねば。
ミュール様の元へ、一番に行こうか……いや、燻製肉を配るのが先か。
物事が泡のように現れるが、考えがまとまらない。
頭がぼんやりとしている……屋敷に帰ってきて、気が緩んだのだろうか?
いや、屋敷に帰って来たからではない。二人の楽しそうな顔を見れたからだ。
「お兄ちゃん。カップは持ってくね」
「助かる」
そして、元気な声を聞けたからだ。
もう少しぼんやりしていよう。帰って来た実感を味わう為に。