142.母の封印とモーリアン
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いつもの朝、早く起きたので庭で木剣を振る。振る。振る。
「お兄ちゃーん」
シャーリーの声だ。しかし、いつもと様子が違う。
覇気のない、しわしわな声だ。
声の方向へ向くと、そこには、骨のように細くなったシャーリーが居た。肌の色も、不健康そのものだ。
「どうしたんだ! シャーリー!」
「だいじょーぶだよ。お兄ちゃーん」
「そうじゃぞ、わしらはだいじょうぶじゃ」
テラさんの声も覇気がない。
気が付けば、テラさんが隣に立っていた。その手や顔も、骨のようであった。
「どうなってる! 食事は? 疲れが? 病気だったら……」
「お答えしましょう」
空から、白い羽衣を纏ったミュール様が、舞い降りてきた。
周りで、弧を描くように、白いフクロウが数羽飛んでいる。
「あの扉を開けるのです」
ミュール様の指さす先に、見覚えのある扉があった。あれは……。
そこで、俺は目が覚めた。
ああ、あの扉は確か……この部屋の入口の扉だ。
寝床から起き、扉を開けてみることにした。
「おっと。丁度、出かける瞬間だったようだね」
「おはよう、アム。残念ながら、今、起きたばかりだ」
扉を開けると、アムがいた。
これも……あれ? どんな夢だったか? 思い出せない。
まぁ、どうでもいいか。
「おはよう、マルク。君は寝起きに扉を開ける癖でもあるのかい?」
「無いな。何となくだ」
「顔を洗って、下りておいで。一緒に朝食を食べよう」
頷き、部屋へ戻る。
顔ぐらいシャキッとしてから行こう。
「今日は、予定通りモーリアンさんに会いに行くよ。もしかしたら一日掛かるかもしれない」
「双頭の白蛇で、待ち合わせだと言っていたね」
「ああ。だけど、直接向かうことになったよ。色々あってね」
また、記憶の黒猫を辿る事になる。が、嫌いじゃないので良い。
「僕は、お昼からまた学派だよ。ディムローズの名が無ければ、挨拶回りなんてせずに済むのに……」
「貴族も大変だな」
「その労いの言葉だけで、救われるよ。周りは『当たり前』と言う人間ばかりだからね」
アムもアムで、苦労が絶えないのだろう。
それに比べたら、俺は気楽なものだ。
アムに絡まる縁が、良い物であると祈るしかない。
もし悪縁ならば、いっそ叩き切るか? アムが望むのならば、そうしよう。
「変な事は考えなくて大丈夫だよ。挨拶の相手は選んでいるからね」
「選べるものなのか?」
「手当たり次第に仲良くすれば良いって話じゃないからさ。それなりには選ぶよ」
「へー」
俺の無関心な返答に、アムは、クスッと笑ってくれる。
表情には、余裕も満ちているし、大丈夫だろう。
俺は俺の心配をするのが先だな。封印解除が無事に済めば良いのだが。
記憶の始まりの場所から、小さな黒猫を再び追い始める。
どこが必要で、どこが不必要か分からない以上、最初から丁寧に進むべきだ。
思い出から生み出された幻の黒猫は、今日も機敏であった。
見失う事は無いが、しっかりと追う。
魔法関連の商店通りを通り抜け、脇道に入り、袋小路まで行き、引き返す。
記憶の子猫も可愛いが、昨日カウンターで寝ていた黒猫も可愛かった。立派に成長したものだ。
曲がり角を進み、丁字路を真っ直ぐ突き進む。
壁へと侵入しながら、道順が合っていた事に安堵した。
見える景色に変化が生まれる。一歩、二歩、三歩と進む。
もう既に、魔道具店の中であった。
俺の目線の先では、モーリアンさんが椅子に座って、うとうとしている。
「モーちゃん、おはようございます」
「ん? ああ、マルク少年。おはよう」
今日も、モーリアンさんの顔は、眠たそうに見える。
ぼさっと跳ねた金の髪も、昨日と変わらずだ。
だが、ゆったりと微笑む顔を見ていると、少し安心する。
「今日は、よろしくお願いします」
「気負わなくても、そう難しいものではないよ。少年は寝ていてもいいぐらいさ。まぁ、ここだと万が一があるから、奥でやろうか」
「はい」
店内を見渡さずとも、ここは魔道具で溢れかえっている。
この場所で何かあったら、大惨事になるだろう。
椅子から立ち上がったモーリアンさんが、奥の扉を触れずに開け、そのまま先へ行ってしまった。
慌てて俺も後を追う。
今日もカウンターで、黒猫が寝ていた。
黒猫が、俺の視線に気が付いたのか『見るな』と言わんばかりに、ゆったりと尻尾を動かした。そっとしておこう。
モーリアンさんを追い、廊下を進む。突き当りの部屋の扉が開いていた。
彼女と共に中へ入ると、そこには、中央に寝台が一つ。
それ以外は何もない、殺風景な部屋であった。
「ここならば、君の魔力が暴走しても、周囲に影響はないよ」
おお、壁に魔力を感じる。
扉を閉めれば、この四角形の箱は、完全になる。
「これも、封印魔法の一種ですか?」
「応用だね。見て盗めるなら、好きなだけ盗んでいいよ」
「……正直、無理そうです」
扉が独りでに閉まり、封印魔法が完成した。
正直、理解が及ばない。魔力の流れを追うので精一杯だ。
おっと、魔法を憶えに来たんじゃ無かった。目的を間違えてはいけない。
モーリアンさんが、寝台を優しく叩いていた。
指示通りに、寝台に横になり、天井を見上げる。
視界の中に、モーリアンさんの顔が、にゅっと現れる。
「私の魔力は心地が悪いかもしれないが、少しの間、我慢してくれよ」
「子供じゃありませんから」
「フフフ。ならば遠慮なく行こうか」
モーリアンさんが、俺の胸の上に手を置いた瞬間、ゾワリとした感覚が俺の全身を襲った。彼女の魔力が、俺の体に流れた証だ。
足の指から手の先まで、頭皮も、目も、鼻も、口も、耳も、首も、胸も、腹も、尻も……全身が、羽根で撫でられているかのようだ。
触れるか、触れないか。ハッキリとしないこの感覚……。
「すぐに慣れるから、そんなに跳ねないでおくれよ」
モーリアンさんの、笑い声が耳に届く。が、こっちは、それ所ではない。
我慢だ。っく。我慢。
身を委ね、笑い転げれば、楽なのだろうが、我慢だ。
抵抗したくても、魔力で抵抗するのは禁止だ。封印を解く邪魔になる。
大きく吸って……長く吐く……大きく吸って……長く吐く……。
深呼吸して、体と心を落ち着ける。
未だ、ぞわぞわするが、これぐらいなら昨日調べて貰った時と同じ程度だ。
モーリアンさんの魔力に、体が慣れてきたのだろう。
「では、まず封印を露わにするよ。≪封じの軌跡≫」
俺の腹の上。その宙に、薄く、青く発光した、複雑怪奇な図形が浮かび上がった。あれが魔法図形であると理解はできるが、全くと言っていいほど理解できない。
「次は分離させて……」
モーリアンさんは呟きながら、魔法で生み出された図形を手で触れていた。
モーリアンさんが、指で魔法図形をなぞり、摘まんでは、横へずらす。
なぞり、摘まみ、ずらす。なぞり、摘まみ、ずらす。と丁寧な作業を、モーリアンさんが繰り返す。
作業の度に、宙に浮かぶ魔法図形が増えている。
いや、あれは折り重なった魔法図形を分別しているのか……一つ間違えば、魔法図形が崩れかねない行動だ。
そして恐らく、あの宙に浮かぶ図形と俺の封印が繋がっているのだろう。あれが崩れれば、体の中の封印も不自然なまま、破壊される事になる。
その後の影響を、全く考えないのであれば、それでもいいのだろうが……。
モーリアンさんの目は、しっかりと前を向いている。
任せると決めたのだから、静かに身を委ねよう。
「さてと、後は順番に壊して、≪魔力≫よ」
モーリアンさんは、右手に魔力を纏わせ、指で魔法図形を弾いた――同時に、俺の体の中で、何かが壊れる感覚があった。
破壊された魔法図形は、解け、溶けるように空中へと消えていく。
そして、体の中を、いや自分の魔力を弄られたような不快感が、体を包む。
「安心しておくれ。跡は残さないよ」
順番があるのだろう、
モーリアンさんは、一つ一つ、宙に浮いた魔法図形を弾き、壊していく。
気分が悪くなってきた……これは、異物感ではない。喪失感だ。
実際の体に穴は空いていなくとも、魔力に穴を空けられている感覚だ。
痛みが無いのが救いだろうか。
「壊すのは、勿体ないけどね……」
モーリアンさんが、最後の一つを破壊する。
消える魔法図形を見つめるモーリアンさんの目が、少しだけ悲しそうに見えた。