138.思い浮かべるその姿が
誤字修正 読みやすいように全体修正 内容変更なし
「だが、よくここに辿り着けたね。子供の頃、一度通っただけの秘密の道順を正確に歩いてこれるとは、実に記憶力の良い子だ」
「すみません、先程まで忘れてました……思い出の中の黒猫を追いかけて」
「やって来たと……そうだね。約束は明日のはずだから、不意な出来事って訳だ」
母が『モーちゃん』と呼んでいたのを思い出したので、何となく分かっていた。
「やっぱりモーちゃんさんは、モーリアンさんだったんですね」
「如何にも。本当は明日、我が弟子を案内に出す予定だったが、手間が省けたな。マルク少年。封印は今日にでも解くかい?」
食事でも誘うような調子で、モーリアンさんは言う。
是非、と返したい所ではあるが、封印がポンッっと叩いて解けるとは思っていない。封印を解くのに時間が掛かるとすれば、アムとの練兵場行きに遅れてしまうかもしれない。それでは駄目だ。
「いえ。時間も掛かるでしょうし、約束通り明日でお願いします。今日は昼から幼馴染と共に、騎士団へ会いに行かねばならないので」
「では、見るだけとしよう」
モーリアンさんが、カウンターから出て、俺の前へと移動する。
眠そうな目はそのままであるが、足取りに、先程までのふらつきは無かった。
そしてモーリアンさんは、俺の両肩に手を乗せ、目を閉じた。
モーリアンさんの魔力が体に通ったのだろう……少しばかり、むず痒い。
「指輪を外して、魔法を使って。そうだね……光と氷を」
「はい。≪光≫よ…………≪氷≫よ」
魔道具である指輪を外し、呪文をそれぞれ発し、魔法を生み出す。
小さな光が、横に出した右手から生み出され、店内を照らす。
同じく横に出した左手から、氷を生み出そうとするも、魔力が霧散し、消えた。
いつもと同じである。
俺の肩に手を置いたままのモーリアンさんが、口元を嬉しそうに曲げた。
「嗚呼、正常に機能している。問題ないね」
全身にあったむず痒さが、スッと引いていく。
俺の肩から手を離したモーリアンさんは、目を開き、一歩下がった。
「マリアが咄嗟に施したものとは云え、実に美しい出来だ」
「咄嗟に?」
「ああ、君が死にそうだったから、封じてしまったと言っていたよ。本人談だから、本当だと思うよ」
死にそうだった……咄嗟に氷魔法だけを封じてしまった……嗚呼、何だ、そういう事なのか。単純な事だった。
直接母に聞けない以上、真偽は不明なままであるが、答えは得た。
俺が氷魔法の制御を失敗して、暴走させてしまったのだと。
その根っこである俺の魔法を止めるために、母は封印を施したと。
だが、そんな記憶、俺にはなかった。
魔法を習い始めるより、もっと昔の幼い頃の出来事なのだろうか?
いや、自分の記憶力の無さを侮ってはいけないな。
まぁ、今はいいか。母の意思は、何となく分かったから。
それにしても――
「咄嗟で出来るものなんですね、そんなこと」
「魔力そのものを封じる方が、簡単なんだけどね。マリアは、魔法に関しては器用だったから」
モーリアンさんは、少し楽しそうだ。
母の話を、楽しそうに思い出してくれる。
それは、俺にとって嬉しい事に他ならない。
「解いても大丈夫でしょうか?」
「大丈夫さ。封印魔法に関しては、マリアよりも腕は上だよ」
そう言ってモーリアンさんは、寝ぐせで跳ねた髪をぐしゃりと掻いた。
気怠そうな雰囲気なのに、なぜか信頼感を感じてしまう。
「では、明日お願いします」
「任せなさい」
「あと、気になる事が一つ」
モーリアンさんが首を傾げる。
これは、ミュール様からも出なかった話なので、気になっていたのだ。
「お代は如何ほどに……」
モーリアンさんの目が点になった。何故?
「アハハハ。ミネルヴァからマルク少年の名を聞いた時点で、その話は終わってるよ」
「あぁ、またミュール様に借りが」
「何故、私がタダで仕事をするのに、ミネルヴァに借りが出来るんだい?」
「あっ。そっちでしたか。ありがとうございます」
素直に頭を下げる。
きっとこの件を受けてくれたのは、母や父への思いが全部のはずだ。
俺がそれを受け取らないなんて、絶対にあってはならない。
「頭を上げるんだ、マルク少年。君の元気な姿を見れただけで、報酬は貰ったようなものだよ。マリアの魔法も見れたし、もう十分を超えている」
「そう言って頂けると、助かります」
そう言いながら頭を上げると、モーリアンさんの口から息が抜けた。
「マルク少年の他人行儀は、セツナに似たのかもな」
「父にですか?」
自分の記憶の中の父は、そうでもないのだが、それは息子だからだろうか。
思い出し笑いだろうか? モーリアンさんの口から小さな笑い声が零れていた。
「フフン。セツナは最後まで、私に四角い態度をとっていたからね」
「俺の記憶の中の父は、柔らかで優しい人でした。俺のは……ただの性分と処世術です」
「構わないさ。誰に似ていたとしても、君は君さ」
「あはは。そうだと嬉しいですね」
正直、自分でも分からない。
俺が誰に影響されて、誰の意思に流されているのか。
それでも、自分の考えと行動は、自分で背負い込みたい。ただ、それだけは、忘れないようにしなければ。
「深く考える必要はないよ。私がセツナに似たと言ったのは、それが好ましいと思ったから……ただ、それだけなんだ。その目と同じ様にね」
モーリアンさんも、リンダさんと同じく、俺を通して何かを見ている。
その表情が柔らかである限り、俺にとっては、嬉しさでしかない。
リンダさんも、テラさんも、そしてモーリアンさんも、虚像でない父と母を知り、思い出し、優しさに変えてくれる人たちだ。
まだ、そんな人たちが居る。
それを、嬉しい以外で表現する術を、俺は知らない。
「はい、モーリアンさん」
「モーちゃんで頼む」
即答で返って来た。
俺を『少年』呼びは気にしないが、母が生きていれば同じぐらいの年齢の女性を『ちゃん』は失礼過ぎるのではないだろうか……。
「もう、そう呼ぶのも、そう呼んでいいのも君だけだ。だから……私の感傷に付き合ってくれ」
そう言われて断れるほど、俺の神経は図太くない。つもりだ。
少しばかり恥ずかしいが……覚悟を決める。
「はい。モーちゃん」
モーリアンさんが、俺の後ろに見ている二人の姿。
その姿が、俺が思い出せる笑顔と同じものであれば、嬉しいのだが。