135.幕間~モルスの使徒~
読みやすいように全体修正 内容変更なし
「≪沈黙の帳≫」
どこにでもいるような冴えぬ少女が、小さく呪文を唱えた。
少女の隣には、不釣り合いな壮年の男性が歩いている。
「これで、黙って歩く二人にしか見えないわ」
「ありがとうございます。メリィディーア様」
「全く、失態ね……貴方が動けば、姿を変えている意味が無いわ」
「ですので、こうやって変装を」
少女は隣を歩く男を、冷ややかな目で見ていた。
「それのどこが変装ですか……まぁ、いいわ。父上は?」
「既に、屋敷へお戻りに」
「そちらに動きは、あったかしら」
「いえ、しかし、ハイディルム公爵様とメリィディーア様が、共に王都へお帰りになった事は、既に周知となっております」
「父上のお喋り相手なんて、あの子には苦労掛けるわね」
「それもまた、あの者の務めであります」
少女は、その言葉をつまらなそうに、聞き流した。
「パーティーの不届きものは、見つかった?」
「公爵様が既に手を」
「ミュールが目を付けた参加者には、調べを入れているのよね?」
「はい。抜かり無く」
「そう、なら待つだけね……さて、仕掛けて来るかしらね?」
少女は歩きながら、口に指を当て、思案する。
だが、答えが出ないのか、手を投げだした。
「守る側は不利よね。仕掛けるのは自由なのに」
「何が来ようと、お守り致しますので、ご安心を」
「ええ。父上とあの子は、必ず守り通してね」
「貴女様も、必ずや」
男の言葉を聞いた少女は、小さく笑う。
「ええ。期待しているわ。ナイト・クラウス」
「ハッ。この名と剣に懸けて」
夜の街に騎士の誓いが響く。
しかし、それを聞くのは少女一人であった。
「これ以上の資金援助は出来んぞ」
「いえいえ。今日は良き日取りが無いかと、伺いに来たまでのこと」
黒いローブで姿を隠した魔術師を、男は鼻で笑った。
「貴族に鼻薬を嗅がせてまでして、無様を見せた貴様が、次は何をしようと?」
「あれは、ただの余興にすぎません。公爵家の宴会に華を添えたまでのこと」
黒いローブの下から、気持ち悪い笑い声が上がった。
男は、それを不快そうに眺めている。
「まぁ、よい。仕掛けはなんだ」
「こちらを」
黒いローブの魔術師の手には、赤黒い袋が一つ握られていた。
中身は、男も知っている。ダークマターだ。
あの袋は、魔力の溢れぬように、高位の聖職者の血を染み込ませてある。
モルスの信者共は、やる事が単純で困る、と男は思い、溜息を吐いた。
「また、それか……一つ覚えだな」
「いえいえ。此度は、エサの味を憶えさせております故」
男は、黒いローブの魔術師の計画に、興味を持てなかった。
男にとっては、何を呼び寄せようと、知った話ではない。
国に被害が出るならば、王家を失墜させることが出来るのならば。
「フンッ。王の孫の誕生の日を祝って、近々、王城にて会食がある。そこならば王家に連なる者も集まるだろう」
「ほぅ。あの愚王も、孫には弱いのですねぇ。クックックッ」
「レオニード八世が愚王であれば、実に喜ばしいのだがな」
男の声は、平静そのものであった。既知たる事を、語っているからだ。
「代行者にて死すれば、賢愚の区別はありますまい」
「他者やモンスターではなく、己が手で殺してはどうだ?」
「それでは、モルスのお心に反します」
「面倒な奴らだ」
男には、黒いローブの下の表情など伺い知れない。
男にとっては、ただ不気味で、ただ気色の悪い魔術師でしかなかった。
「では、わたくしは、これにて」
「ああ。好きにしろ」
「我ら皆、モルスの元へと」
そう言い残し、黒いローブの魔術師が、男の視界から消えた。
存在が消えたのではなく、姿を消しただけであると、男は知っている。
「演出好きには、付き合ってられん」
そこに、まだ居るであろう黒いローブの魔術師へ向け、吐き捨てた。
それに対する答えは、返って来ることは無かった。