132.御者台にて~アムと二人~
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旅は予定通りに進んでいる。
疲労対策の為に交換した二頭の馬も、我が儘をあまり言わない良い馬であった。
歩みも速く、力強い。
軽快な蹄の音を聞きながら、隣に座るアムに話し掛けた。
「なぁ、アム、御者は楽しいぞ。俺は中にいるより、断然こっちがいい」
「今まで考えた事も無かったけど、今回は、御者を羨ましく思ったよ」
「仕事にすると、これもまた大変なんだろうけどな」
こうやって馬を走らせているのは、楽しくて良い。
だが、仕事にするとなると別問題だろう。
今、こうしているのも、連れているのがアムとノワールだから問題無いのであって、知らぬ誰かを運ぶとなれば、面倒極まりない。
「良かった。君が、御者に転職するなんて言い出すかと思ったよ」
「ないない。町から離れるつもりは無いさ」
少しだけ、沈黙が流れた。
アムやシャーリーとの間なら、沈黙も嫌いじゃない。
アムは、変わらぬ調子で言葉を紡ぐ。
「それは、シャーリーが居るからだろう?」
「シャーリーも、だな……冒険者を辞めたあの日なら、シャーリーと、アムと、リンダさん。あとガル兄……それぐらいだったけどさ……周りを見れば結構居たよ。離れたくない人」
「へぇ……誰なんだろう」
その言葉は、問いでは無い。そう思ったので、俺は返事をしなかった。
再び静かな時間が流れる。響くのは蹄の音と、鳥の声だけだ。
アムの表情は、分からない。
隣のアムを見れば、きっと俺は、真っ直ぐに見てしまう。
だから俺が見るのは、進む前方と、ぼんやりと周辺を。
「僕はね、冒険者に執着するマルクが嫌いだったんだ」
「知ってるよ」
そもそも冒険者自体を、アムは好ましく思っていない。
それは、昔から変わっていないはずだ。
そして、そんなものに頭の先まで浸かり切っていた男を、好ましくなど思っていない事も、知っていた。
「でも、君が冒険者を辞めたって聞いた時、怖かったんだ」
「怖い?」
これまた変な事を言う。
言う事は不思議だが、アムの様子は変わらない。
「ああ、怖かったよ。マルクが、何処かへ飛んで行くんじゃないかと思ってね」
『飛べば、何処かで野垂れ死にしてただろうな』何て言葉が頭に浮かんだが、口には出さないでおく。
アムからこういう話をしてくるのは、珍しい事だ。
何が、アムの心の糸に触れたのかは分からないが、しっかりと話そう。
「だからあの日、屋敷に来てくれたのか」
「励ましと、君の気分転換に行ったのは、本当さ」
アムの声を聞きながら、少しだけ考える。
あの時の、ささくれていた心のままであれば、俺は、どうしていただろう?
自分でも分からない。
冒険者を辞めた次の日の朝、シャーリーとアムに出会わなければ……町を出ていたかもしれないな。
だがそれは、もしもの話だ。そんなものは存在しない。
あの日、アムが俺の家を訪れた。だから今、俺がここにいる。
「あれは……助かった。ありがとな」
「おや? 珍しく殊勝だね」
「当たり前だろ。本当に、そう思ってるんだからさ」
珍しいのは、お前の方だよ、アム。
だが、お礼ぐらい素直に言わせて欲しいものだ。
俺の言葉を聞いたアムは、小さく、穏やかに笑う。
それは、声だけで分かる。
「フフ。マルクは昔と変わったね」
「ん? 俺は、いつでも変わらないぞ」
今も昔も、ただ自分そのままに生きているだけだ。
ただ『変わらない』と口にして、少し思う。
俺は、流され易い人間であると。そして、今という俺は、ミュール様やテラさんに出会って、何処か流されているのではないか、と。
俺の言った『変わらない』に、アムの否定が入った。
「そうかな? 結構、変わってると思うけど」
「そうか?」
「そうさ」
疑問を投げても、即、言葉が返って来る。
自分では、変わったかどうか……分からない。
「でも、僕が気に入っている君は……昔から、同じだよ」
静かで、そして優しい声が、耳元で生まれた。
少し、こそばゆい。が、嫌ではない。
それに、アムが良いと思っている部分が変わっていないのならば、それで良い。
「そうか。なら良いさ」
きっと、俺は俺でいられる。変わった俺でも。
二人が、俺である事を示してくれるのならば、どう変わろうと、俺は、俺だ。
冒険者であろうと、無職であろうと、何であろうと。
それに、変わったのは俺だけじゃないしな。
「まぁ、アムも変わったよな」
「ん? どこがかな?」
昔のアムを思い出す。
俺より小さくて、俺より遅くに母に教えを受け始めたのに、一足飛びで俺を追い抜いていった、あの頃のアムを。
あの頃のアムは、もっと――
「威張り散らしてたよな」
「ん! 一体いつの話をしてるんだい」
アムの声が高く、強く発せられた。動揺を感じ取れる。
「一緒に、魔法を習ってた頃だよ」
所作が美しくないと、鼻で笑われた事を憶えている。
俺の不出来な土細工を見て、笑っていたのを。
魔法の矢を生み出す数で俺に勝ち、鼻を高くしていた姿を。
師である俺の母に褒められ、崩れた、あの可愛い顔を。
あの頃のアムは、俺にとっては好敵手であった。
今では、百歩も千歩も先を進まれているから、好敵手にもなれないだろうけど。
それが、アムに魔法の事を聞きたくない、理由の一つである。
「あの頃、僕が何歳だったと思っているのさ。忘れて……」
「嫌だね。俺の宝物の一つなんだからさ」
「そんなもの、宝物にしないでくれよ」
「いいだろ。誰かに言いふらす訳でもないんだし。可愛い思い出って奴さ」
「全く、君は……」
アムが、黙り込んでしまった。
今のアムは、一体どんな表情をしているのだろ?
隣を向きたい。その気持ちが大きくなる。
だが、今の俺は御者で護衛。よそ見は禁物だ。
どちらが何を言い出すでも無く、ただ時間が過ぎていく。
やっぱり、この沈黙は嫌いじゃない。