127.挨拶回りは前日に
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「ん? おねぇさんにお土産は要らないよ。ゆっくり楽しんでおいで」
「土産? 必要ねぇよ。マル坊の土産話だけで十分さ」
「王都か……まぁ楽しんでこい。土産だって? 俺に贈る余裕があるなら、アムとシャーリーに贈ってやれ」
「マルク様。お仕事なのですから、気を遣わなくても宜しいのですよ」
王都へ行くことが決定したので、我が家に突撃してきそうな知り合いに、数日ピュテルから離れる事を伝えに行った。
パック先生もゴンさんも、ガル兄もカエデさんも、土産は要らぬと先手を打ってきた。カエデさんだけは、チラチラと視線を送ってきていたので、本当にただの社交辞令なのだろう。
他の三人は、純粋な気遣いである。
俺が、土産選びという難問に苦悩するのが、三人には、分かっているのだ。
何を買うかは王都に行かねば分からないが、何か用意しなければな……。
後、伝えるべきは、シャーリーとテラさんとサンディだな。
お昼はミュール様の所で頂いたばかりだし、サンディの所は夜に行こう。
テラさんが、昼に何処で何をしているのか知らない。これも夜に話そう。
ならば行先は、一つだ。
歩き慣れた道を、足の向くままに進む。
見えるのは、抽象化された鳥と、背負う道具袋から飛び出た二本の葱の描かれた木製看板。シャーリーとリンダさんの店である『鴨の葱』だ。
扉を開くと、鈴が鳴る。そうすれば――
「いらっしゃい。あら、マルクじゃないか。どうしたんだい? おばちゃんに用事かい? 手伝いなら大丈夫だよ。前回ので、もう大助かりさね。シャーリーなら倉庫で仕分け作業中さ。呼ぶかい?」
「いいえ。それは後で。こんにちは、リンダおばさん」
活気に溢れた声で、リンダさんが出迎えてくれる。
この明るい笑顔は、こちらも元気になる。
「ああ、こんにちは。で、シャーリーを後回しってことは、買い物かい?」
「別の用できたけど……水の魔工石を買っておこうかな」
「あら? マルクなら自分で補充できるだろう?」
「随分と変えてないから、新しいのをと思いまして。二つお願いします」
安いものだから、もっと頻繁に買い替えても良いのだが、つい自分で補充してしまう。自分で使わないから減らないのも、買い替えない原因か。
「選ぶかい?」
「良い物なのは、この前確認したから」
店内の魔工石を適当に二つ取り、カウンターへ置く。代金の金貨一枚も共に。
お釣りの銀貨二十枚と水の魔工石二つを、バックパックへと入れる。
「態々うちで買ってくれて、ありがとね」
「もう少し買いたいんだけど……」
「アハハ。無理に買わなくてもいいだよ。マルクは道具を使わないからね」
「ええ、あまり」
ポーションはガル兄の自家製品を買っているし、毒消しはムル婆ちゃんに用意して貰っている。
そもそも、使わないから買い替えもしない。
リンダさんに申し訳ないが、俺が道具屋で買うものは少ない。
「いいんだよ。顔出してくれるだけで、おばちゃん嬉しいんだから」
そう言ったリンダさんの表情は、いつもの満開の笑顔とは違い、ただ、ただ慈しみに満ちた笑顔だった。
時折リンダさんは、俺の後ろに誰かを見ている気がする。
それが誰なのかなんて、考えるまでもないだろう。
だから、余計に嬉しくなる。
「ありがとう、リンダおばさん」
ただ礼を言うよりも、少しばかり気恥ずかしい。
だが、この感情は言葉に出さないと伝わらない。
「アハハ。前より、いい男になったね。さっさとシャーリーを貰ってくれないかい。マルクが、他に取られる前にさ」
「俺なんかより、シャーリーの方が競争率高いですよ」
たぶん。
シャーリーを放っておく奴がいたら、目が腐っているに違いない。
冒険者だった頃の俺のように。
「シャーリーは昔から一途だからねぇ……もう相手は――」
「お母さん! お店の中で何て話してるの!」
裏からシャーリーが飛び出してきた。顔が真っ赤である。
まぁ、自身の恋愛話などされて、恥ずかしくない人など、いないだろうからな。
「おや。呼ぶ必要もなかったね。マルクと上でお茶でも飲みな」
「もぅ、お母さんったら。お兄ちゃん、上に行こう」
「ああ。お邪魔します」
リンダさんに軽く頭を下げて、シャーリーの後ろについて行き、二階の生活空間へと上がる。殺風景な屋敷に比べると、物があり、雑多な光景に少し落ち着く。
「お茶淹れてくるから、座ってて」
「ありがとう、シャーリー」
ソファに腰を沈める。
こうして、ぼぅっとしている時間も、心地良い。
台所に手伝いに行っても良かったが、今日は客人として大人しくしておこう。
それにしても王都か……昔、父と母に連れられて行っただけだから、あまり憶えていないな。人が多い。それしか印象に残っていない。
父と母に連れられて、母の知人に会いに行ったような気がする……何歳の頃の記憶かすら思い出せない。何処かも、相手が誰かも憶えていない。
まぁいいか。今は、気にする事でもないな。
「おまたせ」
「待ってました」
シャーリーが卓に、既にお茶の入った二つのカップを置いた。
ふわりと、香りが鼻から入って来る。
カップを持ち、鼻で味わう。一呼吸。そして口に含む。
香りも味も、家で飲む茶に比べると一段落ちる。
だが、シャーリーが淹れてくれたお茶は、変わらず美味しい。
「お兄ちゃんの家のお茶の方が、美味しいね」
「猫の日向の茶葉が美味しいだけだし、これも美味しいよ」
長い息が、口から出ていく。ゆっくりと、心の重みを吐き出すように。
俺を見て、シャーリーが声を出さずに笑っている。
可愛いから、いいか。
「でも、突然どうしたの、お兄ちゃん」
「ん? ああ、そうだった」
つい、用事を忘れる所であった。
お茶と居間のまったり空間は、手ごわい。
「頼まれごとで、明日から王都に行くことになったんだ」
「へぇ……長い?」
「いや、そんなに長居はしないよ。個人的な用事もあるから、直ぐ町に戻るって事は出来ないけどさ」
「そっか。楽しんで来てね」
「俺が楽しめる場所なんて、王都にあるのかねぇ……」
正直、王都に行っても、観光地を巡る趣味もないし、買い物も土産以外買う気もないしで、特に行く場所が思い付かない。
「私なら、行きたいお店いっぱいあるんだけどなー」
「シャーリーと一緒なら楽しいかもな」
「そういえば、誰と一緒に行くの? それとも独りで?」
「アムと一緒だよ。あと一人は、残念ながら秘密だ」
アムと聞いて、シャーリーが口を膨らませる。
子供っぽい仕草は、わざとやっているのだろう。
「いいなー。私も行きたいなー」
「アムは仕事だぞ。俺も観光に行くわけじゃ無いしな」
「うん。分かってるけどね。あれ? テラさんはどうするの?」
「テラさん次第だけど、たぶんお留守番かな? 家に居てくれればだけど」
同行を申し出られても、流石にノワールが居るので人を勝手に増やす訳にもいかない。家に居てくれるのならば嬉しいが、また旅に出ると言うのならば、止める権利は俺にはない。
考えても埒が明かない。テラさんに、直接聞くべき事だ。
「うん。毎日テラさんに会いに行くよ。明日って、お兄ちゃんは?」
「出来れば来てくれ。シャーリーと朝ごはんを一緒に食べないと、一日の気力が湧かないんだ」
「絶対に行く」
瞳も口も弧を描き、眩しい笑顔を見せてくれる。
嗚呼、この笑顔を数日見れないのか……用事は手早く終わらせて帰ってこよう。