115.幸せは朝に訪れる
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木剣を振る。昨日の赤い剣の動きを、思い出しながら。
あれを対人と考えて戦っていたら、動きに翻弄されていただろう。
回避することに専念し、一撃で終えたから良かったが、剣を交えるなら、どう対処していた?
剣を弾いても、体勢が崩れるのは、お荷物の人間だけだ。
赤い剣は、直ぐにでも斬り返してくるだろう。
だから、それも弾く。
どこかで、隙を作る? 距離を取って、素手と同じ対処を?
いっそのこと叩き割ってみる?
指輪の装着者を考慮しないのであれば、絶命させるか、腕を斬り落とすか。
想像上の赤い剣を相手に、木剣を振る。
弾き、首を落とす。弾き、腕を斬り落とす。
やはり、これが容易い。
「おはよう、お兄ちゃん。今日は難しい顔してるね」
「ああ、おはよう、シャーリー。ちょっと考え事をな」
「あんまり考え過ぎちゃ駄目だよ。お兄ちゃんは、一人で考えても変な方に行っちゃうから。ね」
そう言ってシャーリーは、俺の頬を指で突く。
思い当たる節が有りすぎる。
一人で考え事をしていると、暗く淀んだ方向へ進むことが多い。
「気を付けるよ」
「うん。とりあえずご飯にしよう。今日は、テラさんの分も持ってきたんだ」
「起きてくればいいけどね」
庭から台所へと二人で向かう。
二人で朝食を用意する。なんてことない小さな幸せだ。
と、言っても、焼く物が無い場合の俺の仕事は――
「お兄ちゃん」
「ほい、≪水≫よ」
魔法を使い、熱々のお湯を指の先から鍋へと注ぎ入れる。これぐらいだ。
後は、使う食器でも用意しておこう。今日は、三人分だ。
「スープないから、お茶もお願い」
「りょうかーい」
やれる事が、もう一つあった。
これは、どちらかと言えば楽しみの方だ。
用意ももう慣れたものである。茶は、一人前多く入れる。
後は魔法でお湯を――「≪水≫よ」――注ぎ入れる。
量の調整も、こちらの方がやり易い。
テラさんは、魔法を使った茶の方が喜んでくれる。
茶を喜んでいるのか、魔力を喜んでいるのか分からない時があるが、両方と好意的に取っておこう。ムウに飲ませたら面倒になる気がする。何故だろう……。
茶葉から抽出される時間を待つ。その間にカップを運んでおこう。
食堂へ入ると、目尻をトロンと下げたテラさんが丁度入ってくる所であった。
「おはよう、テラさん。座って待ってて」
「ふわぁぁ。おはよう。任せたのじゃ」
テラさんが、ふらり、ふらりと椅子に吸い込まれていく。
長い耳はふにゃりと垂れ下がっているのか、銀の髪に隠れて見えない。
お目覚めまで、時間が掛かりそうだ。
台所へ戻ると、シャーリーがパンを半分に切り、赤いジャムを塗っているところであった。ほのかに甘い香りが漂う。
「いちご?」
「せいかーい」
フフンと小さく笑った姿が、眩しかった。全く、朝から目が眩みそうだ。
作業をするシャーリーの隣で、茶の出来上がりを待つ。
ああ、茶と言えば、一つ聞きたいことが。
「シャーリー。クッキーとかって自作してる?」
「んー? 楽しいから作ることもあるけど、お店で買ってるよ」
「すまんが、店、教えてくれるか?」
茶葉の件で、分かっている。
自分には、基本的な生活の知恵が足りていないという事が。
まず一歩目は頼ることにする。信頼出来る人に。
次があれば、その時は自分で選ぼう。
「うん。えっとね……」
シャーリーから菓子屋の場所を聞く。
俺に、菓子屋の話をしている間、シャーリーは、何故だか楽しそうにしていた。
自分好みの菓子が、俺の家に用意されるのが、楽しみなのだろうか?
それならば、存分に食べて貰おう。まぁ、買ってきてからの話だ。
おっと、そろそろ時間だ。
茶葉から抽出し過ぎないよう、ティーポットからティーポットへとお茶を移す。
洗い物が増える面倒を減らす事と、美味しさの保持、天秤は美味しさに傾く。
シャーリーの準備も出来たようなので、テラさんの元へ向かい、茶を注いでいく。シャーリーが皿を並べれば、朝食の準備完了だ。
皿の上には、いちごのジャムを塗ったパンと、緑、赤と目を喜ばせる野菜たち。そして自分の淹れた茶が、隣で香りの自己主張をしている。
朝食って感じだ。
「「「いただきます」」」
揃って食べる朝食は、嬉しいものだ。
まずは、パンを一齧り。
ジャムに届かないが、ふわりと鼻を通る香ばしさが美味しいを生み出す。
そういえば、パンも何処で買っているのか知らないな……また今度でいいか。
今は、食事だ。
「お兄ちゃん。昨日は、結局何してたの?」
「ん? 公爵家のパーティーで警護に就いてたよ。頭にフクロウ乗せて」
「ねぇ……誰か偉い人に、嫌がらせされてないよね……お兄ちゃん」
シャーリーが心配そうな顔をする。
幸いなことに、シャーリーの想像とは無縁の話だ。
「むしろ助けて貰ってるよ。恥ずかしいのは、もう慣れたな……」
むしろ、乗っていると安心するくらいだ。
テラさんには、昨日の夜に話をしたので特に反応は無い。
美味しそうに、野菜を頬張っている。
俺も野菜を頂く。蒸したブロッコリーが美味い。
軽く塩をかけてあるのも嬉しい点だ。次は、赤カブを食べようか。
「日頃のお兄ちゃんを見てると、心配になるよ」
「まぁ、いい様に使われているとは思うが、真っ当な用事が殆どだからさ。そう嫌じゃないよ。昨日みたいなのは、出来れば断りたいけど……」
「縁のしがらみは、良し悪しじゃからのぅ」
俺自身が公爵家を敵に回すのは、別に良い。しかし、周りに迷惑が掛かりそう、いや、絶対に迷惑が掛かるからなぁ……断るに断れない。
テラさんのいう言葉の通り、縁が俺を、ギリギリ常識人に止めているのかもしれない。縁一つない自分を想像する……確実に、この町にはいない。そして何処かで野垂れ死にしている。
縁は大事だ。
だがその縁が、問題を引き連れてやって来る。
それが嫌なら、世捨て人になるしか無いだろう。
小さく千切ったパンを、口に入れるシャーリーを見る。
端からパンに噛り付くテラさんを見る。
俺は、世捨て人には成れないな。
「まぁ、俺には、シャーリーやテラさんが居るから大丈夫だよ」
変な事を考えると、頭が疲れるな。
こういう時は、茶を一口。
香る茶が通るのは、口と鼻だけではない。
心にも、スッと通って癒してくれる。ふぅ、美味い。
「また変な方向に、話が飛んだのぅ」
「いつもの事ですから」
二人は、静かに笑い合っている。仲が良くて実に良い。
齧ったパンも、ジャムの甘味と酸味が茶と合って良い。
今日は、幸せな朝だ。
一日も、そうであれば良いのだが……。