114.秘密のお茶会
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「そろそろ、お開きにしようぜ」
ブリジットさんが、クッキーを口に放り込みながら、そう言った。
エルも真似をするように、口にクッキーを放っている。
「そうね。時間つぶしに、護衛の品定めなんてしたけど、今回私達、話す話題が無いものね」
プリシラさんが、ブリジットさんの後押しをするように、そう呟いた。
ブリジットさんは、頷き、短い髪を揺らす。
「そうそう。表に出せない話なんて、今はねぇからな」
「わたくしは『何もない』で通してくれと、頼まれましたわ」
エルよ、それは言って良い事なのか? 少し心配していると、プリシラさんとメリィディーア様から、俺とは違う評価が飛び出した。
「分かってて言ってくれるから、エルちゃんって好きよ」
「秘密主義より、良いですね」
ブリジットさんとミュール様も、口を緩ませている。
ああ、エルは、教会内部に少々問題を抱えていることを、わざと言ったのか。
そういう機微は、俺には分からないな。
「んー。俺から話すことが、あればいいんだけどなぁ……おじ様に縁談持ちかける馬鹿が、まだいるって話ぐらいか?」
ブリジットさんが、首を捻りながら、そう言った。
教会の問題には言及せずに、別の話題に入るようだ。
「あらあら、ノック君が独身貫いてる話は有名なのに、そんなお馬鹿さんもまだいるのね」
「精霊銀に取り入りたい貴族は、多いですから。相手の事を考えぬ縁談話など、良いとは思えませんが」
ピュテルの町の生産力は、国そのものに大きく影響を与える。
ダンジョン由来の魔石や希少鉱物は、他では得難いものである。
精霊銀のギルド員の腕が良いという、分かりやすい理由もあるのだが。
プリシラさんが喰い付いたのは、精霊銀の話ではなかった。
「あらぁ。もしかして、メリィディーア様がピュテルに来たのって、縁談の為じゃないの? おばさんに話してみなさいな」
「違いますわ、プリシラ様。わたくしは、父の用事について来ただけです」
「太陽伯への、ご相談事でしたね」
メリィディーア様の否定に、ミュール様が補足を入れる。
周知のことなのだろう。特に反応する者はいない。
一人呟いたのは、プリシラさんであった。
「太陽伯か……この間も、私に伝言頼んで、会議休んだのよね」
「あの人は、よく分かりませんわ。会う機会も少ないですもの」
「あら? エルちゃんも中々会えないの?」
「ええ。きっとお仕事が大変なのですわ」
太陽伯? はて、誰だろう? エルの関係者だろうと言うのは分かる。
太陽と言っているので、太陽教と関係あるのだろう。
「エルちゃん放っておくなんて悪い人ね。メリィディーア様、ビシッと言ってやって。文句が出たら、責任は私の所に押し付けちゃって良いからね」
「残念ですが、わたくしが話す暇は無いでしょうね」
「プリシラ。わたくしは、それほど子供ではありませんわ」
エルは、穏やかにそう言った。
エルの後ろに立つギュストが、プルプル震えている。
あいつ大丈夫か……まぁいいか、ギュストだし。
「フフ、そうね。淑女でなければ、その席に座る資格すらないものね」
「当然ですわ」
エルの答えとその姿に、皆の目尻が垂れ、口元が緩んだ。
嘲りや嘲笑の感情など、微塵も入らぬ程の穏やかさだ。
この先も、普通の雑談が交わされ、時間が過ぎていく。
会話の内容だけなら、シャーリーとアムがしているお喋りと同じようなものであった。
そして、メリィディーア様がお茶会の終わりを告げ、解散となる。
俺は、メリィディーア様の了承を取り、屋敷に到着したときに着替えをした一室へと戻って来た。
今度こそ、今日の頼み事は終了である。
大したことはしていないのに、疲れてしまった。精神的な疲労は辛い。
独りになると、落ち着く自分がいる。
独りでいると寂しくなるのに、贅沢な話だ。
そういえば、ミュール様に聞きたかった疑問が一つあったのだった。
頭上のフクロウを通じて、ミュール様に語り掛ける。
『ミュール様、一つ質問があるのですが、宜しいですか?』
「構いませんよ」
ミュール様もお忙しいだろうに、優しい人だ。
『ありがとうございます。では、お茶会って、あれでいいんですか?』
「変な質問ですね。話の内容の事でしたら、あれで良いのです。それとも、もっと裏のドロドロしたお話でもしていると?」
『少しは思ってました』
「ウフフ。私達が秘密のお茶会をした、という事実だけで十分なのですよ」
頭の中で疑問符が舞う。
それを見透かすように、ミュール様が楽しそうに笑っていた。
夕日に染まった町が、美しく見える。
人に作り出された美と言う意味では、先程までいた屋敷の方が『良い物』とされているはずなのに。
この頭に白いフクロウが乗っていれば、更に良かったのだが……流石に、着替えの前にミュール様の元へ帰ってもらった。
正装に比べれば冴えない普段着で、日常へと戻る。
こっちの方が、体が軽くて良い。
体を大きく伸ばすと、頭の中にやりたいことが浮かんでくる。
一度、リンダさんの所に顔を出しておこう。途中で何か買っていこうかな。
屋敷にテラさんは居るだろうか? 食事は済んでいるだろうか?
まだなら、一緒に食事に行こう。
場所はいつもの……。
「あら、父上。旅の間でもお仕事ですか?」
ハイディルム公爵は、走らせていた羽根を止め、顔を上げた。
この屋敷の管理を任せている男の声。
そしてその姿は、声と同じく使用人の男の姿であった。
「私の前でくらい、魔法を解いたらどうだ、娘よ」
「はい、父上」
娘と呼ばれた使用人の男の姿が、薄れ、別の姿と重なり合っていく。
ハイディルム公爵は、目を背けた。
精神的に見るのが辛いからではない。直視していると、目が疲れるからだ。
「レディの着替えは覗くものでは無いですものね。もう、よろしいですわよ」
男の声と少女の声が交わりながら、やがて少女の声で落ち着く。
そして、その声を聞いたハイディルム公爵は、溜息を吐いた。
「また別の姿を気に入ったのか。まぁいい」
ハイディルム公爵の目に映るのは、娘の本当の姿ではなかった。
癖の付いた黒髪を茂みのように溢れさせた、愛らしい少女の姿であった。
貴族の品位は欠片も無いが、嫌いになれない姿だと、ハイディルム公爵は思う。
「それで何の用だ」
「用事が無ければ会いに来てはいけないの? 寂しいですわ」
「用が無ければ来ぬ者が、よく言う」
「フフ。でも、大した用ではないの。父上が、マルクをどう思ったか……少し気になっただけですから」
ハイディルム公爵の口が、楽し気に歪む。
「気に入ったのか? あれは玩具にするには高すぎるぞ」
「箱に入れて可愛がるなんて、勿体ない真似しませんわ。それに、そんな事をしたら……」
「我が一族は、氷像と化すだろうな」
「そんなことは、どうでもいいの。彼女に嫌われることの方が、私は嫌だわ」
楽しそうに笑う娘を、ハイディルム公爵は見つめる。
父として、小さな思いを抱きながら。
「それで、いかがでした?」
「思っていたよりは、普通の男だな。調べさせた情報からは、悪鬼のような男を想像していたのだが」
「あら。期待外れでしたか?」
「いや、態々会いに来た甲斐はあった。特に、貴族たちを前にして、フクロウの置物になっている姿は、滑稽――おっと、憎めぬ姿で、実に良かったぞ」
ハイディルム公爵は、パーティーで彼の姿を思い出し、口から笑い声を零した。
「その言葉、彼女に伝えておきますわ」
「ああ、是非そうしてくれ。メリィから見たマルク・バンディウスとは如何な男であった?」
「可愛らしい方……ですわね」
「フッ。手に入れたくなったら、私に言え。国を動かしてでも捕まえてやる」
「その評価が聞けて満足ですわ」
互いに笑い合う。
策謀の笑みではなく、ただ純粋に楽しく、小さな笑い声を。
「それでは父上。おやすみなさい」
「ああ、おやすみメリィ。だが、次に来るときには、茶ぐらい持ってこい」
「もうすぐ使用人が来ますわよ」
笑い声を残して、黒髪の少女は去って行った。
ハイディルム公爵は、羽根筆を取らず、暫し休憩を入れる事にした。
使用人の茶を、待つ間ぐらい。