111.壁の花と成り
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やはり事件は、パーティー会場でも起こっていた。
突如、男二人の手に赤い剣身の剣が現れ、使用人達を斬り付けたそうだ。
赤い剣による被害は、使用人達だけであった。何故かと言うと、彼らが率先して貴族たちを庇ったからである。骨のある人達だ。
幸い、使用人は武器を持っていなかったので、狂い、暴れても被害は少なかった。
赤い剣に斬られた者、その全員が、騎士の手によって捕縛されたそうだ。
殺害ではなく捕縛であった事は、素直に喜ばしい。
そして、騎士団を評価したい点でもある。
鎮圧するなら、殺した方が楽で手早い。だが、そうしなかった。
良い事だ。
今日、忙しなく働く使用人を見ていた。
彼らを『貴族でない』と斬り捨てるような騎士団であったのなら、見方を変えねばならなかった。
赤い剣の対処は、護衛騎士隊の隊長さん、あの渋い顔の人が行ったそうだ。
持ち主を気絶させても、動き続ける剣に面食らったそうだが、一人で二本の剣を捌き続けた。かすり傷一つ負うことなく。
ミュール様が、指輪の事を伝えた後は、解決まで早かったらしい。
現在、赤い剣の原因たる指輪を付けた貴族三人は、治療と経過観察中である。指輪の影響を調べねばならないのは確かだが、経過観察と言う名の、警戒と軟禁である。指輪の出どころも、調査が必要だろう。
赤い剣に斬られた騎士と使用人達は、純粋に治療中だ。回復術士の手が足りないそうで、パーティー会場に居たエルも、彼らの治療に向かったそうだ。
そして、人死にが出なかったとはいえ、貴族を巻き込んだ事件が起きたにも関わらず、パーティーは続く。
事件発生の謝罪、そしてパーティーの続行と安全の保証を、公爵様が皆の前で、宣言した。
公爵様は、年齢四十程の男性で、顔には、鋭く厳しい印象を持った。
光沢のある緑の髪は、綺麗に整えられており、一塊だけ、斜め前に垂れていた。
そして、公爵様の後ろに付き添っていたのが、公爵様の娘であるメリィディーア様なのだろう。
長く、そして輝く緑の髪は、ドレスの印象を忘れさせる程、煌びやかであった。
スッと通った鼻筋に、笑ってもいないのに柔らかに感じる口元。
そして何より目を惹くのが、その瞳であった。髪と同じ緑の瞳は、その美しさからか、宝石のように光を反射している錯覚さえ覚えた。
あれが本物のメリィディーア様なのか、影であるノワールなのかは、俺には判別出来なかった。
魔力の違和感は、彼女には無かった。
あれがメリィディーア様の姿なのか? ノワール本来の姿という可能性もある。
わからないな……まぁ、俺は、彼女の望む姿に対応するだけなので、知っても知らずとも、変わり無い話か。
公爵様が会場に現れてからは、より一層、貴族たちの熱が上がった。
俺は、変わらず壁の花に徹している。
耳に届くフクロウの鳴き声だけが、今の俺の癒しだ。
可笑しな魔力の流れが無いか、目を光らせる。
不審者がいないか、目を皿にして探す。
きっと、この会場で一番の不審者は、俺なのだろう。
それで、ここが安全であるなら、何も問題の無い。
事件と公爵様の登場。
二つの驚きで、皆、俺の事は慣れたのだろう。
周囲から視線と共に飛ぶヒソヒソした声が、聞こえなくなっていた。
少々の煩わしさが有ったので、今は快適だ。
ん? 多くの人の視線が一点に集まっている。
そして、それは少しずつこちらに近付いてきている。
貴族たちが動き、一本の道が出来た。
俺まで続く道が。
始点は……公爵様か。そして終点は、俺ということだろう。
公爵様が、真っ直ぐにこちらへ向かってくる。
正直、面倒だ。が、応対せざるを得ない。
背をさらに伸ばし、武器を持つべき右手を己の胸先まで持っていく。
近くまでやって来た公爵様は、手で礼を下げる様に示した。
俺は右手を横へと戻し、直立した姿勢になる。
公爵様の顔は、厳しさを帯びている。
流石に、失礼が過ぎて叩き出されるのだろうか? それで済めば、安い物だが。
「先程は助かったよ、マルク君」
先程会場内で行われた宣言に比べても、公爵様の口から発せられた音は、穏やかな声色であった。
「いえ、役目を果たしたまでです。この姿ゆえ、礼を失する事をお許しください」
「構わぬよ。ミネルヴァ氏のフクロウだろう。咎めれば、私が痛い目を見る」
「ミネルヴァ様は、決してそのようなことは」
「ハハハ、分かっているよ。安心したまえ」
「はい」
返答を思い付かず、ただ言葉で頷く。
ミュール様の楽しそうな笑い声が、頭の中で響いた。
公爵様は、俺を見ている。値踏みをするように、意思の強いその目で。
「おっと、娘を紹介したくて来たのだった。メリィディーア」
「はい。父上」
公爵様の後ろにいたメリィディーア様が、公爵様に並ぶ形で前へと出る。
近くで見ると、遠目で見るより尚、吸い込まれそうな翠玉の如き瞳であった。
先程は髪に見惚れ、服装を憶えていなかったが、黄色を基調としたドレスであった。腹部が細く締まり、腰からふわりと広がったスカートが足先まで隠している。
装飾は絢爛ではなく、服が、彼女の美しさを際立たせていた。
メリィディーア様は、万人に向ける微笑みを浮かべたまま、優雅に一礼をする。
「初めまして、マルク様。わたくし、メリィディーア・グラグトン・ハイディルムと言います。以後、お見知り置きを」
「お初にお目にかかります、メリィディーア様。マルク・バンディウスと申します。私は、様を付ける程の者では御座いませんので、呼称はお望みのままに」
メリィディーア様の視線が、白いフクロウへと上がる。
小さく微笑んだ口が、一瞬、猫のように形どったのを、俺は見逃さなかった。
「でしたら、フクロウ様とお呼びしても?」
「はい。メリィディーア様のお望みであれば」
彼女なりの冗談だと分かっていても、出来れば即座に断りたい気分だ。
フクロウ様だと、頭上の愛らしいフクロウか、魔法学派『フクロウの瞳』の使徒のようではないか。どちらも似つかわしくない。
「冗談です。お気を悪くならさないでね。マルク様」
「はい。分かっておりますので、ご安心を」
「すまない。娘は冗談が苦手でな。では、私達はそろそろ」
公爵様は、手を軽く挙げ、立ち去る合図とし、メリィディーア様は、美しい一礼を見せた。
「また会おう、マルク君」
「それでは、失礼致します」
「お忙しい中、ありがとうございます」
公爵様達は、俺に背を向け、再び作られた人の道を歩いて行った。
人の道が、自然と元へと戻って行く。
公爵様達の背が人混みに紛れ、見えなくなると、俺の体から力が抜けた。
体力的には問題ないが、精神が疲れる。
大した内容の会話は、していないのにな。
あの人混みの中では、この疲れる『挨拶回り』が、あちらこちらで行われているのであろう……想像しただけでも、耐えられない。
幸いなことに、パーティーが終わるまで、俺に話し掛ける奇特な人物は、一人もいなかった。
赤い剣の事件以外は、目に見えた問題も無く、穏やかなパーティーであった。
会場から帰る貴族たちを、静かに見送る。
ようやく肩の荷が下りた。とはいえ、警護に関しては勝手に目を光らせていただけなので、何もしていないのと同じであるが。
一つ思い残しがあるとすれば、美味しそうな料理を見ているだけで、結局手を付けずに終わったことぐらいか……心配事が無くなると、腹が減ってしまうな。